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闇に飛ぶ鳥  作者: トウリン
カラス

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10/60

襲撃

 誰もが寝静まった夜更け、ふと巴の目蓋が上がった。

 鋭く突き刺さる、無数の針のような気配。

 暗闇の中、一拍遅れて、ソレに気付く。

 物音は何一つなかったけれども、確かに、感じた。

 何かに引き寄せられるように縁側の方へ顔を向ければ、そこに佇んでいるのは月の明かりを背にした人の影。


「……カラス?」

 他に思い付かなくて口にした名前だったけれど、すぐにそうではないことを察した。逆光で顔は見えなくても、身体つきで判る。

 ――では、誰?

 巴の中に疑問がよぎったその瞬間、その人影が大きく跳ねた――彼女の元へと。咄嗟に身を転がせ、巴は床の間に掛けてあった薙刀に跳び付く。それは祖母の形見で、吸い付くように手に馴染んだものだ。クルリと猫のように起き上がり、中段に構えて右半身を取る。幼い頃から祖母に仕込まれた巴の薙刀の腕は、三本に一本は師範代から勝ちを得ることができるほどのものだ。なまじの相手には引けを取らない。


 ヒタと刃を向けた巴に、布団に突き立てた匕首を引き抜いた侵入者は、ゆっくりと立ち上がるとククッと喉の奥で籠ったような声を出す。

(笑ったの……?)

 こんな状況で笑みを漏らすなど、いったいどんな神経をしているのだろうかと、巴は内心で眉をひそめる。相手から発しているのは押し潰されそうなほどの威圧感だ。まるで、ネズミをいたぶる獅子のように、余裕と愉悦が感じられる。

 きっと、自分を殺しに来た者だ――カラスと同じように。

 そう思ったけれど、彼の時のように従容と相手の手にかかる気になれないのは、何故だろう。


「お引きなさい。声をあげます」

 人を呼べば、立ち去らざるを得ない筈。


 だが、しかし。


 侵入者はそんな彼女の思惑を鼻で笑い飛ばした。


「いいよ、別に」

 口元を布で覆ってでもいるのか、くぐもった声で相手は答える。それは予想外に若々しい男の声だった。巴と、いくつも違わないのではないだろうか。

 気圧されそうになる気持ちに活を入れ、巴は腹にグッと力を込めて相手を睨み付けた。

「人が来ますよ」

「誰でも呼べば? 死体が増えるだけだから。オレはあんたを殺せればいいんだよ」

 平然と、彼は言う。むしろそれを望んでいるような響きすら滲ませて。

 その言葉が虚勢ではないことは嫌というほど伝わってきて、巴は唇を噛んだ。

「もうさ、おとなしく殺されときなよ。どいつがあんたに死んで欲しがってるのかは、もう判ってるんだろ?」

「判りますが、あなたでは嫌です」

「へえ? じゃ、誰ならいいのさ」

「それは……」

 巴は口ごもる。頭に浮かんだのは、一つの名前。けれど、目の前の男と『彼』との違いが何なのかが、彼女には判らない。ただ、今会ったばかりなのと、十日ほど一緒に過ごしたというだけの違いだ。結果は同じなのだから、別に為す相手は誰でも同じの筈だというのに。


 答えを口に出せない巴に、侵入者はそれを言い逃れだと受け取ったのか、さほど待つことなく言い放った。

「まあ、面白いから抵抗してみてもいいけどさ。オレは強いよ?」

「……」

 相手の腕前は、宣言されなくても伝わってくる。薙刀同士、あるいは竹刀とであれば対峙したことのある巴だったが、匕首を相手にするのは初めてだった。得物から言えば巴の方が有利であろうが、経験という点を加味すれば彼の方に軍配が上がる。

 間合いを詰められれば、おそらく一瞬で勝負がつく――巴の死という形で。

 自分をこの世に繋ぎ止めるものなどもう何もないと思っていたのに、巴は、今、我が身を守る為に力を振るおうとしていた。

 柄を握る左手に、ぐっと力がこもる。

 と、その直後、無言のまま、一足飛びに侵入者が巴に迫った。彼女は後進しながら鋭く空気を切り裂く音を立てて彼の足もとを薙ぐ。

 命を奪いたくはない。

 足をやってしまえば、攻撃の手段は無くなる筈だった。

 だが、彼はトンと横に跳び、絶妙な間で繰り出した巴の刃を身軽くかわしてしまう。それは、まるで背に翼が生えているような身のこなしだった。


「へぇ、小っちゃいのに、結構鋭いね。薙刀ってのは相手にしたことなかったけど、でかい割に小回り利くんだな」

 薙刀の間合いの外に立ち、侵入者は興がる色を滲ませて言う。若干、様子を窺うような気配を漂わせるようになったのは、巴の腕前を見直した為か。

 尖先をぶれさせることなく構えを保ち続けながら、こんな状況だというのに、ふと巴はこんなふうに抗っている自分がおかしくなった。死ぬ覚悟などとうにできていた筈だと思っていたけれど、まだ、未練を残す何かがあるらしい。

 その瞬間、彼女の脳裏に、一人の男の顔が揺らぎ、消えた。

(今のわたくしの姿を見たら、彼も喜んでかかってくるのかしら?)

 こっそりと独りごちて、柄を握り直す。

 そうして、改めて侵入者をヒタリと見据えた。


 無造作に両手を下げて立つ賊と、正しい構えを崩さない巴。


 無言の睨み合いを切り上げたのは、侵入者の方だった。ピクリと、微かに彼の手が動いたような気がした。直後、巴に向けて何かが放たれる。咄嗟に薙刀を回転させて柄でそれを叩き落とすと、畳に突き立ったのは、手首の一振りだけで飛ばされた、小振りのくないだ。

 巴がそれに気を取られたのは、瞬き一つほどのほんのわずかな間だけだった。だが、その一瞬のうちに侵入者は距離を詰め、一気に巴の間合いの内側に入り込む。相手の腹を突こうとした石突は短刀で跳ね返され、足を横なぎにすくわれる。アッと思った時には、背中が畳に叩き付けられ、仰向けになって天井を見上げていた。両の上腕は踏みつけられていて、ピクリとも動かせない。


「ズルくてゴメンねぇ」

 申し訳なさなど微塵も感じさせない口調でそう言うと、彼は巴の胸の上にドスンと腰を落とした。カハッと肺の空気を吐き出した彼女に、また、「あ、ゴメェン」と嗤う。

「もう、降参?」

 弱い月明かりの中で覗き込んでくるのは、青とも緑ともつかない、錆びた銅のような色だ。呼吸もままならない状態で、巴は精一杯の力を込めて、その目を睨み返す。

「気持ちはあっても、身体は……ってとこだね。じゃ、あんまりいたぶるの趣味じゃないから、止めを刺してあげるよ」

 そう言って、彼は、台詞とは裏腹の愉悦に満ちた眼差しで巴に見せ付けるように手を振り上げる。そこに握られているのは、月光を弾く鋭い刃。

 空気を裂く音を立ててそれが迫っても、巴は目を逸らさなかった。


(おじい様…………カラス……!)


 匕首が突き立てられようとするその瞬間、彼女の頭を駆け抜けていったのは、その二人だった。一人とはもうじき会え、もう一人とは、この先二度と会えない。

 肉を切り裂く音が、耳に届く――と思われた直前、代わりに鈍い打撃音が部屋に響き渡り、唐突に巴の胸の上から重みが消え失せる。何が起きたのか、判らなかった。彼女は、瞬きをしながら視線を巡らせる。

 侵入者が消え失せたその先に佇む人影。この十日間で、すっかり見慣れてしまったカタチ。


「……カラス」


 夢でも見ているような心持ちで、巴はその名を呟いた。


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