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犬の三楽斎  作者: 上泉護
3/38

穢多の女童


つき丸が源五郎の元に来てから数日がったある日・・・


源五郎は鍛錬たんれんのため時折ときおり持ち歩いている木刀ぼくとうを手に、つき丸を共に城のまわりを散策さんさくしていた。

つき丸は仔犬の足でなんとか源五郎に追いつこうと、一生懸命いっしょうけんめいついてくる。

その愛らしい姿を振り返り確認しながら、気ままに歩を進めた。


先日降った雨が路面に泥濘ぬかるみと水たまりをところどころ作り、青空に浮かぶ雲がその水たまりにうつし出されている。

そんな水たまりに水澄みずすまし(あめんぼ)が波紋はもんを生み出し、時折ときおり吹く心地良ここちよい風が蒲の穂をらす、まだ暑くなる前の初夏であった。


源五郎は足元を歩く”つき丸”に当たらないよう、気を付けながら木刀を振り

「つき丸、今日はよい日和ひよりだな・・・」などと話しかけた。


そんな源五郎をつき丸は見上げ、不思議そうな顔をしている。


荒川(元荒川)のわたしを通り過ぎ、こんもりとした林を左手に見ながら川沿いを歩いて行き、荒川が大きく取り囲む様に蛇行だこうする佐枝さえだという地まで来た時、河原の中ほどでなにやらわらべたちがさわいでいるのに気が付いた。


何事か?と近づいていくと

「ゑ(え)た」とも「ゑとり」とも言うさげすみの声が聞こえる。

数人の(わらべが、一人の着古きふるしたころもまとったわらべ石礫いしつぶてを投げつけていた。


投げつけられている童は足を引きずり、手で守る頭から血を流しながら、必死に逃げようとしている。

それへ浴びせかける様に

穢多えたはこのあたりをうろつくんでねぇ!うせやがれ!」

穢多えたくせぇんだ!」などと罵声ばせいを浴びせながら石礫を投げつけている。


源五郎は

「やめろ!なにをしているか?!」と後ろから駆け寄った。

振り返ったわらべたちは

「なんだお前は?お前も穢多えたか?」と逆に問い詰めてきた。


多勢たぜいによってたかって一人をなぶるは卑怯者ひきょうもののする事ぞ」

「お前も穢多えただ!穢多えたにちがいねぇ!」と源五郎にも石礫を投げつけてきた。


投げつけられた石礫いしつぶてを木刀でたたき落としながら、悠然ゆうぜんわらべたちに近づいていくと、その迫力はくりょくおそれをなした童たちは

「うわ~逃げろ!」と我先われさきに逃げ出した。


そんな様子を静かに見送った源五郎は、頭の傷を手で押さえ、くるぶしほどの川の流れの中でうずくまれている童を見た。


うちひしがれている様に見えるその姿は、よく見れば源五郎と年の頃は同じくらいの女童めわらべであった。

着古きふるしてはいるが、清潔そうに見える衣は血と川水に濡れそぼり、川底に手をつきうなだれている。

「大事ないか?」と源五郎が声をかけると

その女童めわらべは黙ってうなづいたが、立ち上がろうとして足の痛みに耐えかね、再び川の中に尻餅しりもちをついた。

源五郎は川の中に入り歩みると

「歩けそうか?」と問うた。

「大事ありませぬ」と応えた女童の言葉の抑揚よくようが、地元の者と違う事に気付きづ

「おぬし他国たこくの者か?」と聞いた。


祖父母そふぼ西国さいごくの者です・・・」と再び立ち上がろうしたが、やはり足の痛みで立ち上がれない。

「無理をしては余計ひどくしてしまうぞ、俺が背負って家まで送ってやろう」

女童めわらべはひどくおどろいた様子で

「私は穢多えたでございます・・・」

「穢多だろうが非人ひにんであろうが、人である事に変わりあるまい」と言って、背を向けしゃがみ込んだ。


女童は恐る恐る源五郎の肩に手をかけおぶさる。

その手にくしが握られているのを見て、源五郎は

恐らくこのくしを川に流してしまい、それを追いかけてここまで来てしまったのだろう・・・と察しがついた。


「名はなんと申す?」

「まゆ、と申します・・・」

「源五郎と申す。お前の住いはこのまま行けばよいのか?」


「はい・・申し訳ありませぬ・・・」と言った”まゆ”を、ひざかがめ伸ばす事でみずからの背の上の方に押し上げ歩き出した。


戦国時代、武士、貴族などには「官位」という肩書かたがきにより、身分の上下や権利、立場などに格差かくさがあったが、武士以外の百姓、商人、漁民りょうみんなどの一般民衆に対しては、後の江戸時代の様な職業による身分制度は定められておらず、職業による貴賤差別きせんさべつはなかったと言っていい。

しかし「穢多えた」「非人ひにん」という言葉や、「かわた」といった名で呼ばれている人達が存在していた。


けがれ”が”おおい”と書いて「穢多えた」と呼ばれた人々は、その人々だけに許されている特殊とくしゅな職業を生業なりわいとして生活していた。


それは牛馬の解体かいたい毛皮けがわの加工、葬送そうそう、土木工事、清掃、廃棄物処理である。

そういった仕事が”けがおおい”人達にたくされた背景はいけいには、当時の人々が現在の我々以上に「死」というもの、「人知の及ばぬもの」に対して、おそれや畏敬いけいねんいだいていた事による。


どこかの家で誰かが死ねば、それはその家に「死のけがれ」がつき、逆に出産で新しい命が生まれれば、出産しゅっさんの際に大量の出血がともなうため、「家族が増えた」という大きな変化があった事に対して「穢れがついた」とされた。

一旦いったん穢れがつくと、「きよめ」「物忌ものいみ」といって、家にこもり一切の活動を一定期間自粛しなければならない。

そういった神道しんとう風習ふうしゅうが、令和の現代でも残っている。

いわゆる「ふくす」や「喪中もちゅうはがき」「清めの塩」などである。

「死の穢れ」は伝染でんせんすると考えられていたので、外からもうかつに人を出入りさせる訳にもいかず、その穢れを家から持ち去ってくれたり、払ったりしてくれる人が必要であった。


その儀式ぎしきを行うのが「穢多」と呼ばれる人々の役目の一つでもあった。

その他にも、胎児たいじと共に母体から排出される胎盤たいばんなどを「胞衣えな」といい、きちんと手順を踏んで処理しなければならなかった。

その風習を「胞衣納えなおさめ」と言う。

それを怠れば出産の際の穢れが払えず、災難が降りかかると本当に信じられていた時代である。

その「胞衣えな」を処分する際にも「穢多」の人々が必要とされた。

民衆から「穢れを払い、清めてくれる力を持つ専門家」として、なくてはならない存在として必要とされる一方、その職制しょくせい皮革生成ひかわせいせいの際に発する匂いなどで、江戸時代以後の苛烈かれつな差別はまだなかったものの、この時代は差別と畏怖いふが混同する微妙な環境に、穢多の人々はおかれていたのである。


暫く”まゆ”を背負い歩いて来た源五郎は、河原から一段上がった場所にある集落を見つけた。


「あれか?」と源五郎

「はい・・」


と・・源五郎たちの姿を見つけた、両親と思われる二人が小屋の一つから駆け出してきた。

不思議そうな顔で源五郎に黙礼もくれいすると、頭から血を流していた娘に

「まゆ、大丈夫かぇ?」と聞いた。

まゆはうなずくと

「このおひとが助けてくれました」と言った。

父親が源五郎のいでたちを見て、どこぞの武家の小童とさっ

「これは、これは、娘が難儀なんぎなところをお助けいただき、ありがとうございました。父の善右衛門ぜんえもんでございます」と丁重ていちょうに礼を言った。


「いや、礼にはおよばぬ」と言いながらまゆを背から降ろす源五郎と、その足元の源五郎になついている”つき丸”を見て、源五郎の人となりを想像できた母親が


「みすぼらしい家なれど、どうぞ礼の一つでも差し上げたく存じます。お立ち寄り下さいませぬか?」

「よいのか?」源五郎は初めて見た「穢多」の家に興味を持ち立ち寄る事に決めた。


父親の方も、娘を助けてもらった事をたいそう感謝している様子で

「えぇ、是非ともお寄りになってくだせぇまし」と言った。


家の前の一画いっかくには稲木いなぎ(穀物等を刈り取った後に束ねて天日に干せる様、木材や竹などで柱を作り、横木を数本掛け作った物)を大きくしたようなものがあり、けものからいだであろう毛皮けがわされていた。


小屋の中は、ほとんどが土間どまで、気持ちばかりの板間いたまとその真ん中に囲炉裏いろりがあった。

板間の囲炉裏横に源五郎をまねきいれると、るされた鍋から野菜汁らしき物をよそい、

「つまらないものですが、よろしかったら・・・」とすまなそうに差し出した。


それは大根や、肉をいれたものだった。

なんの躊躇ちゅうちょもなく、源五郎は一口ひとくちすすると

「うまい、これはいのししの肉か?」と聞いた。


「へぇ、お口にあいますかどうか・・」

「あぁ、うまい」と屈託くったくなく言う源五郎に安心したものか、源五郎の人柄ひとがらに好意をもったものか


「我らこのようにかわ作りを生業なりわいとして生きております」と語りだした。

「あなた様はもしやすると・・太田様所縁おおたさまゆかりのお方でございますか?」

「あぁ、弟だ」とだけ源五郎は言った。


善右衛門は妻の”よし”と顔を見合わせると、

「これは・・知らぬ事とはいえとんだご無礼を致しました」と”まゆ”ともども土間どま平伏へいふくした。

「やめてくれ、俺は太田の家では厄介者やっかいものよ。その様にするにおよばぬ」

「へぇ・・・」

「さぁ、みな上がってくれ」と板間に上がる様うながした。

すると善右衛門、おそおそる板間に上がりながら、殿の弟君おとうとぎみである源五郎の飼い犬である”つき丸”も板間に上げたものだ。


その”つき丸”を”まゆ”がいとおしそうに抱いた。可愛くてたまらない、といった感じだ。

つき丸も嬉しそうに尻尾を振りながら、まゆの顔をめようとしている。

その時、初めて源五郎はまゆの笑顔を見たのであった。


「先日・・非人の者がこの村に立ち寄った時・・妙な事を言っておりました」と善右衛門は言い出した。

甲斐かい武田信虎公たけだのぶとらこうが、かわを買い集めておると・・」それは源五郎の父資頼ちちすけよりが十一年前、北条氏綱ほうじょううじつな後援こうえんたのみ岩付城を落とした後、扇谷上杉氏おおぎがやつうえすぎし後援こうえんで岩付城を攻めた武田信虎に耐えかね、扇谷上杉家へ帰参きさんした。という経緯いきさつを知っていて、太田家の源五郎の少しでも役に立つのではないかとの、肩入かたいれの思いからの言葉だった。


かわいくさで必要な武具や馬具になくてはならない物で、なめす前の物を”かわ”、なめした後を”かわ”という。

ちなみに”なめし”という処理は、高温多湿の環境では腐るという欠点がある”かわ”をくさらなくする加工法である。

原皮げんぴを川で洗いバクテリアの働きでなめす方法「油脂鞣ゆしなめし」や

煙であぶり煙に含まれるアルデヒド類の鞣作用なめしさようを利用する「ふすべ革」などがあり、どちらも強烈な”におい”を発する。


その”かわ”を買いあさっているという事は、武田信虎軍備たけだのぶとらぐんびを整えどこぞに攻め入るつもりか・・・と源五郎は


「しかしその様な情報しらせが、岩付の地におりながらも入ってくるものなのか?」と聞いた。


「はい、実は今、関八州かんはっしゅう穢多えたは二つに割れております」

「ほぅ・・」

源頼朝公みなもとのよりともこう長吏頭ちょうりがしら(自らはそう名乗った。穢多頭えたがしらとも言う)とお認め頂き世襲せしゅうされる我らが頭領とうりょう、「弾左衛門だんざえもん」と、北条ほうじょうが伊豆より連れ込んだ「太郎左衛門たろうざえもん」なるじんとの争いにございまする」

新興勢力しんこうせいりょくである北条が領土りょうどを広げるたびに、その地の穢多は弾左衛門から太郎左衛門に支配が変わるという事実に源五郎は


「我ら武家もおぬしらも、まったく変わらぬのだな・・」とつぶやく様に言った。

「弾左衛門様もこのままでは力(勢力)を失ってしまいまするゆえ、お味方の力となりえる様、非人ひにんなどを使い情報を集めておりまする」


非人とは領主に年貢ねんぐおさめられずに逃げた農民や、病気で働けなくなって生きる為のかてを得られなくなった人、捨て子などで物乞ものごいで生計せいけいをたてる者達もあれば、特定職能民とくていしょくのうみん芸能民げいのうみん呼称こしょうで呼ばれる者達もいた。

のちの世には被差別民ひさべつみん呼称こしょうとなるが、戦国時代の非人は職業の制約を受ける事がなく、身分制度が定まった江戸時代よりもはるかに自由に生きる事ができた。

「非人」の身柄みがらは誰の所有物にもならず、どこへ行くにも自由である。


非人は関八州では穢多頭、弾左衛門と各地の長吏小頭ちょうりこがしらの支配下にあるとされ、その非人を各地の穢多村との連絡つなぎに使ったり、情報を集めさせていた。


甲賀こうか伊賀いが伊那忍いなしのびなどの本職の忍びをやとい入れ、間諜網かんちょうもうを整備した戦国大名もあったが、その派生はせいことなるものの、この非人を使った「風魔者ふうまもの」と呼ばれる組織を使い間諜網を整備したのが、北条氏であったといえよう。

「風魔者」は他の忍びの組織を抜けた「抜忍ぬけにん」や牢人ろうにんなどもかかえ込み、そのおそるべき術技じゅつぎを高めていったものと思われる。


「今川氏輝様(今川義元の兄)も寿桂尼様じゅけいにさまの名で、かわた彦八という長吏小頭ちょうりこがしら皮革ひかわを調達せよとの命が下った様でございます」


「と言う事は、武田は今川と一戦交いっせんまじえる気か」

「おそらくは・・・」


物流という物の流れをを見るだけで、国の狙いや動きが垣間見かいまみえる、という事を源五郎は学んだ様な気がした。


後に、海道一かいどういち弓取ゆみとりと名をせる今川義元いまがわよしもと兄氏輝あにうじてると、戦国最強の虎と恐れられた武田信玄の父信虎ちちのぶとらが、駿河するが舞台ぶたいいくさを始めようとしていたのである。


太田道灌おおたどうかんの流れをくむ戦国の武士もののふの血が熱くなるのを感じ、それをまそうとするかのごとく、

邪魔じゃまをしたな。またなにか新しい情報しらせがあれば知りたい。またここに来てもよいか?」と源五郎は聞いた。


「え~え~、いつでもおしくださりませ」とうれしそうに善右衛門は応えた。


血で血を洗う戦乱せんらん波音なみおとが、元服前げんぷくまえの源五郎の耳に否応いやおうなしに聞こえ始めていた。


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