引きこもりと情報収集
アルテが最初に行ったことは,勿論,情報収集と己の状況確認であった。
まず,彼女が確認しなければならないのは,今置かれている地理的立ち位置と,社会的立場であった。
葬儀が終わった日の夕方頃,馬車で広い屋敷に到着した途端,彼女は一階の父の書斎に向かって駆け込んだ。
そして,周囲の使用人たちに頼み込み,時間が来たらその都度食事を書斎の前まで持って来てもらうことにした。少しでも移動時間を減らし,情報を詰め込む算段である。薄々本人も気づいていたが,彼女の社会的身分はおそらくこの世界で割と高い方だと勘づいていた。
何故なら,本人の食事の用意や服の着替えに対し,一般庶民には決して仕えていないであろう専属のメイドがいるからである。使用人を雇える金銭的な余裕のある面から,彼女の親はかなりの金持ちであることが分かった。
アルテは,日本語では無い慣れない文字に対し,更に分かり辛い辞書を用いて四苦八苦しながら,分野を問わず様々な文献を読み漁っていった。
外にも出ず,食事等必要最低限の行動以外,ひたすら書斎に引き籠る幼い主人の様子を見て,周囲の使用人たちは酷く心配していた。
「お嬢様,今日も部屋からお出になりませんの。」
塞ぎこんだメアリが,父であり現公爵家当主であるギルバートに不安気に報告した。
(旦那様も,あれからずっと外にお出になっていますし。三日に一度くらいしか,お屋敷にお帰りにならないのだもの。私たちがお仕えする家族は,あなたとお嬢様の二人しか居ませんのよ?本当に,使用人ともども寂しい限りですわ。早く,元通りとまでは申しませんが,いつものように笑って下さいませんと。このお屋敷にとっては,あなた方は光なのですから。その大切な輝きが,今や失われた状態ですわ。)
父は,「そうだね」と元気無く頷いた。
「アルテはきっと,自分でもどうしたら良いか分からない悲しみに,一人で向き合っているのだろうよ。メアリが心配する気持ちは痛い程分かる。だが,きっと,そっとしておくのが娘にとって一番良いのかもしれないね。食事は,きちんと食べているんだろう?」
「勿論ですわ。三度三度決まった時間に,お食事をお持ちするようにお嬢様から仰せ遣っておりますし。」
父が、目をぱちくりとさせた。
(娘が,知らない間に随分としっかりしてしまったようだ。)
「そうかい。身支度はメアリが整えているから,心配ないしねえ?」
「いえ,それが。今までさせていただいていたお着替え等も,ご自分でされるようになりました。ご起床される時も,私が起こしに伺う前には,もう起きていらっしゃいますし。それに,決まった時間になればお一人で入浴もされています。お休みのお時間も,私が伺う時間には既にベッドに入っていらっしゃいます。」
父は娘の急な変化に動揺していた。
(え。そこまで自分でしているのかい?妻を亡くして,娘は急に成長してしまったようだ。)
父は,どこか遠い目をし、すう、と長い溜息をついた。
(愛しい娘の顔を見れなくなってから,もうどれだけ経ったろうか。本当なら,私が傍にいて優しく慰めてやれたら良いものを。すまないね,アルテ。こんなろくでもない父親で。)
「自分で身の回りができるくらいだもの。思っていたよりも,心配ないかもしれないね。それでも,自分の心の世話は難しいだろうね。ねえ,メアリや,それでもできる限り娘の面倒を見ておくれ。私はやむを得ない用事があって,どうしても娘の傍にいることができない状態だから。よろしく頼んだよ?」
可愛い顔を引き締めて,メアリは強く頷いた。
「勿論ですわ,旦那様。精一杯,お仕えさせていただきます。」
(お嬢様のために,お仕えしておりませんの。私の幸せのために,喜んでしていることなのですから。)
月日は流れ,初夏めいた六月を迎えた。
(もう,あれから三カ月が経ったのね。)
あの「事件」があった三月から,外の様子は随分と変化していた。窓の外に広がる整えられた庭には,様々な色の花が美しく咲き乱れていた。近くの枝に目をやれば,梢に胸を赤く染めた可愛らしい小鳥が尾を上げ下げし,そのまま鳴きながら空を飛んでいく。
(良いなあ。私も,早くお外に出たい。)
だが,何があるか分からない外に出るのが,非常に恐ろしくもあった。
(町に出た途端,変な奴にからまれたり,露店で毒入りのお菓子を売りつけられたり,それこそ馬に蹴られて死んでしまうかもしれない。私は決して,誰の恋路の邪魔もしないのに。)
日々の読書で疲れ切った幼女は,う~ん,とふかふかの椅子に座ったまま大きく両手を上げて伸びをした。
(体のあちこちの筋が,固まってしまっている気がする。これまでの作業がひと段落したら,しっかりと全身ストレッチしなければいけないわね。)
左腕の肘を右手で掴んで抱き寄せ,肩周辺の筋繊維をゆっくりと伸ばしながら,彼女はこれまで自分が学べたことを振り返った。
(父は,様々な分野の書籍を収集しているようね。おかげで,この世界のことが大分分かった気がするわ。ざっくりまとめて言うならば、この世界はまさに「あいつ」が言っていたとおり,広く魔法や魔力が普及している世界だった。)
幼女は,この世界を創造した偉大なる存在を,もはや「神」とすら呼びたくなかった。
(そして,今いる世界の他にも,さらに平行する形で異世界が混在し,そこには妖精やエルフ等のファンタジックな魔法生物が一通り生息,及び国の統治を行っているらしい。)
幼女は,異世界に転生してしまっただけでもうんざりしているのに,さらに別の世界が待っている事実に対して,ひどくげんなりした。
(ちなみに,地図で把握する限り地形や自然環境などは,不気味なほど地球のものによく似ていたわね。そこは,お手本通りという所なのだろうか。地名が所々異なっているが,前世の記憶とのすり合わせの結果,今まで培ってきた知識や見分はひとまず使い物になりそうだということが分かったわ。)
今アルテの目の前に広がっている世界地図から見える景色は,一部分を除いて地球に存在するものとほとんど同じ形状だった。
(今の時代軸は,大航海時代以前のものといったところかしら。なぜなら,描かれている世界地図にアメリカ大陸が存在せず,その辺りはぽっかりと大きな空白が広がっているのみなのだから。地図の形態から,魔力を用いた何かしらの空路が開発されているのかもしれないわね。良かったわあ。鱗地図みたいな,全貌が把握し辛い物しか無かったら,どうしようかと思ったもの。)
右肘を卓上につき,そのまま右人差し指で,自分の右頬をこんこんと突く。
(一番問題だったのは,世界史の流れが大分異なっているということだろうか。人を含めた様々な他種族が混在しているせいで,政治体制や経済の在り方などに多少の違いがある。それに,「アルドの民との魔石紛争」とか,「多種族保護問題」など,やはり「人同士の問題」よりも,「人とそれ以外の種族」同士で起きた戦乱や,問題の数の方が多そうだ。今の時代軸は,そうした他種族間のいざこざが一段落し,様々な協定が結ばれて平和を維持し始めてから,やっと百年が経ったところといったようね。良かった。今の世界は,まだ平和なようね。)
幼女は,小難しく頭が痛くなりそうな歴史に関する書籍を,にこにこ顔で読んでいた。
(前世ではイギリスであった国が,「聖ファルキア王国」として存在しているらしい。だから幸いにも,使用言語は英語に近い形態をしていたわ。ただ,魔法や魔力学に関する単語が多く,これを理解するには大分時間を要しそうね。)
「あいつ」の創造した設定である魔法や魔力に対して,アルテは,よく理解する前から既に否定的だった。
(魔力学は,まず,潜在型と構築型の大きく分けて二種類あるらしい。)
幼女は,やれやれといった様子で天井を見上げた。上空に美しいシャンデリアがくっきりと煌いている。
(前者は,人が内包する魔力を用いる方法ね。人や,その他種族が内包できる魔力には個々で特徴があり,「火・水・土・風・光・闇」の六属性に分かれている。どれか一つだけを有している場合がほとんどで,そもそも潜在型の人間は王家を始めとする,限られた小人数しかいないらしいわね。なぜ,人に魔力が備わっているのかは,この世界の歴史をもう少し漁る必要がある。)
自分に,その恐ろし気な魔力が備わっていないことを願いつつ,次に「構築型」について考え始めた。
(後者が,魔石を加工した道具を用い,陣を描いて行うものらしい。魔法陣の形状の特徴は,前世の娯楽作品によく登場するありがちなものだった。円形の内側に,ケルト文字・数式・アルファベット・その他何かの象形文字を正しい法則性で書き込むことで,目的とする行為を生み出すことができるらしいわね。これについては,魔力の素となる魔石がある限り行えるため,インフラ整備から日常生活に至るまで,広く活用されているそうだ。)
ちなみに,メアリに自分の両親は魔力属性があるのか確認したところ,母は火属性の力を有し,一方父は水属性の力を有しているそうだ。自分にも,何か属性が遺伝していないか気になって,それ以上詳しく話を聞いていると,メアリのおしゃべりな普段の性格が顔をひょっこり見せたらしい。
「お二人とも,大恋愛の末にめでたくご結婚されたと伺っておりますわ。普段は穏やかなあの旦那さまが,奥方さまのお父上に…。」
と,メアリは,可愛らしい顔を興奮で赤らめながら楽しそうに話していた。
しかし,そういった話を聞けるほど心の余裕の無い娘は,途中から話半分に聞いていた。
次にアルテは,我が身に置かれている状況について振り返ることにした。
(お父様は,ここの地を治めるアーデロイド公爵…らしい。貴族階級制度は,イギリスのものと同様みたい。そして私は,王族と血縁関係があるらしい。とな。)
「うげえ。」
幼女は,そのいかにも乙女ゲームにありがちな設定に対して,激しく嫌悪感を抱いた。
(ちょっと待って。この展開,私にとって,すごくまずいきな臭さを感じるわ。)
前世で広くありがちな乙女ゲームの設定では,所謂性悪な性格をしているキャラクター達は,大体高い身分を持つ。
例えば,「悪役令嬢」などはその設定があるが故に高慢で,意地悪な性格であり,周りの男どもの尻を必死に追いかけ回し,可憐で素直な主人公をネチネチと苛め抜く役割が多い。そして最後に,主人公に惚れ込んだ周囲の大量の男性たちによって,「悪役令嬢」は酷い場合死亡するに至るまで,徹底的に粛清されてしまうのである。
(私は,一体あの如何にも詰まらなさそうなゲームで,どんなキャラ設定の性質が備わっていたのかしら。)
木と石造りの屋敷は一年を通してひんやりとしており,全く暑くも無かった。にも関わらず,幼女の脇の下からは嫌な汗が滲み出始めていた。
「よし。取り合えず,この世界の成り立ちや,今の私の立ち位置が分かったわね。では次は,今後の対策と行きましょう。」
一人自分を落ち着かせるように何度も頷くと,ぱたりと手に持っていた歴史辞書を閉じる。
「私がまず把握すべきは,あの乙女ゲームの中身についてだわ。あの,クソしょうもなさそうなタイトル名から連想される内容について,じっくりと考察していきましょう。」
(何が、『百合薔薇の乙女と精霊の森♡~愛は氷の王をも溶かす~』だ。タイトルを覚えていただけでも,本当によかった。)
幼女は,自分が今まで一度も手を出したことがないジャンルのゲーム内容について,攻略しようと真剣に考えてみた。
(私が思うに,乙女ゲームは恐らく十代から二十代女性を対象に作られた恋愛シミュレーションゲームだわ。つまり,その年頃の女性が、「こんなシチュエーションがあったら良いな」と思われる話を想像して,その中で危険があると思われる行動を極力避けたら良いのだよ。)
アルテは、「そうだ,そのとおりだ」と一人にやりと微笑んだ。
(それにしても。ゲームの中で青春するだけのパワーがあるなら,学習したまえ若者よ。いや,今は私の方が若いのか。)
アルテは,書斎に置かれたアンティーク調の楕円形をした壁鏡をちらりと覗く。そこには,可憐な一人の幼女が映っていた。
(私ったら未だに,自分の容姿に慣れることができないでいるわ。そもそも,自分が本当に人間なのか不安な部分もあるし,一度具体的な身体的特徴を観察して整理しましょうか。)
そうして、鏡越しに自分の体をあちこちと眺める。彼女の身体的特徴は,次のようなものであった。
まず,皮膚は白色人種そのものである。皮膚がんにつながりそうな黒子やシミなども見られず,全体的につやつやと健康そうだ。
頭髪は赤褐色に近い深みのある赤毛をしていて,ゆるい巻き毛が背中にふわりとかかっている。前世の彼女の毛質と違い,直毛ではない。因みに,つむじは右向きである。
頭部の形は西洋人の骨格をしており,横幅が狭い。幼女自身も感心するほど整った形をしていた。耳が長く尖っていないため,エルフ族の血を引いている可能性は低い。
目の形は猫のように目じりが少し上を向いていて,その中にある眼球の光彩は原色に近い緑色をしていた。まつ毛が恐ろしく長く,平均して1.5㎝以上の長さがあった。加えて毛量もあり,瞬きする度に風が起きそうである。
(それにしても,この長いまつ毛。万が一抜けて目に入りでもしたら,すごく痛そう。前世でも,短い毛が一本でも目に入ったら涙が出る程痛かったのに。この長さのものとか,まじ凶器じゃん。)
幼女は,己のまつ毛を曇った表情で凝視しながら,目を極力擦らないようにしようと思った。
歯並びは,乳歯の状態でまだ判別つけがたいが,虫歯の治療跡も見られない,形の良い歯が噛み合わせも良く綺麗に整列していた。
(本当に良かった。前世でも高いお金を出して歯列矯正してたのに,また一からやり直しになったらどうしようかと思ったわ。)
すっと伸びた高い鼻は,高すぎず低すぎず顔の中央にバランスよく収まっている。
(この鼻の側面,洗顔するたびに凹凸の深さに手の動きが追い付かず,未だに慣れないのよね。だけど,健康な皮膚は大切だから,丁寧に隅々まで洗うように注意しないといけないわ。)
首から下の身体の特徴だが,すらりと伸びた細い首に,華奢で可憐な手足が服から覗いていた。まさに,春の妖精のような姿である筈なのだが,幼女はこの点をばっさりと切り捨てた。
(これといって,日本人だった頃の姿と違いは無いようね。肩甲骨に羽も生えていないし,大丈夫そうね。多分,今のところは。)
そしてこの三カ月間,金持ちの高位貴族であるにも関わらず,毎日同じような服を着て,最低限の生活行為以外ずっと書斎に閉じこもっている自分の状態に気づき,幼女はげんなりして鏡に映る自分に向かって独り言を話した。
「本当に,どうしましょう。せっかくお母さま譲りのこの可愛らしい姿が,私の精神年齢のせいで年相応に見られなかったら…。やばいわ。これでも私,前世でも女性だし,一応お洒落やお化粧は人並みに興味があるんだからね。あの「クソ野郎」が変なこと言わなければ,私は今の姿でとっかえひっかえ色んな可愛いフリフリのお洋服を着て,楽しそうなお庭に出て綺麗な花でも摘んでいるはずだったのにクソが!」
幼女は,だんだんと込みあがる怒りを抑えきれなかった。
「私,この世界にいるだけで,ストレスでだんだんと口調が乱暴になっていく気がする。私は貴族のお嬢さん。良いところのお嬢さん。消して「クソ」とか言っちゃだめ。」
ぶつぶつとニヒルに表情を歪めながら,鏡に映る自分に対して言い聞かせているその様子は,一端の悪役令嬢並みに物騒な雰囲気を醸し出していたのだった。
そもそも,とアルテは自分の境遇を振り返る。
「一体,何が楽しくて,誰が作ったかも分からない薄い娯楽作品に,大事な自分の人生を左右されなければいけないのかしら。」
この三カ月の間積もりに積もった彼女のイライラが,一気に破裂した。幼女に似合わぬこめかみに盛り上がった青い血管が,今にも破裂しそうである。
(あの類の娯楽作品にありがちなもの。イケメン・青春・大恋愛?まじでくだらんわ!!)
整った歯で,ぎりぎりと歯ぎしりしながら食いしばる。両掌をぎゅっと握りしめた。
(はあ?イケメン?格好良くなる努力もしないでイケメンということは,きっとその御大層なご両親も,さぞかし美男美女揃いなんでしょうね。ふん,何よ,この,「親の遺伝子の七光り」どもめが!)
幼女の,一度火が付いた鬱憤は簡単には止まらない。
(青春?何が,青春よ!そんなの,金と時間を持て余した若者どもの,夏の一夜に過ぎないわ。そのエネルギーがあれば,色々ともっと有効活用出来ることがどうして分からないのかしら?本当に,「若さの無駄遣い」とはこのことを言うのよ。)
幼女は,乙女ゲームによる恋愛が楽しめる最大の利点を,反吐が出る程すっかり嫌いになっていた。
(恋愛?え?十八歳で死ぬかもしれない私が,そもそも恋愛してどうするの。例えば,恋愛と性欲がイコールで結びついているとして,万が一恋の盲目故に理性を亡くし,どこぞの貴族のボンボンと一線超えてみなさいよ。若くて健康な男女が性行為すれば,妊娠するのは当たり前じゃない。
もしも,十八歳で妊娠してみなさいよ。お腹にいる子供もろとも死んでしまうか,子供を一人残して死んでしまう可能性だってある訳でしょう。そんな「子不幸者」になりそうな,あほなことできるわけないじゃない。)
幼女は,人を見た目で判断する人が大嫌いだった。
(大体,何がイケメンよ!私,前世でもその定義が良く分からなかったわ。それなのに,こっちに来て余計に意味不明よ!大体,人間はおろか,この世界には獣人,エルフにドワーフみたいな多種多様の人型魔法生物がいるのよ。何がイケメンなのか,誰が良いのかなんて,そんな下らない好み,人によりけりでしょうが!人の中身を重視しない「イケメン」なんて定義,私,大大大嫌いよ!)
幼女は,段々と鼻息が荒くなり,はあはあと荒く息をつき始めた。じわりじわりと,怒りのボルテージが極まってくる。
アルテは小さな両腕の力にまかせて,ばあん!ばあん!と目の前の机に分厚い辞書を思い切り叩きつけ,そのまま地面に転がり両手の拳で床をぽかぽかと殴りつけた。
「ほ・ん・と・う・に!どうかしている!大体、何が魔力じゃあ~い!そんな超便利なモンがあったら,地球でも普及していて欲しかったわ!」
床を殴る手が,もう止まらない。止められない。
「何で魔法陣みたいなお洒落マークをちょっと書いただけで,何かが召喚されたり天変地異が起こせたり,化学肥料や農薬無しに穀物が豊かに育ったり,工事車両の代わりにゴーレム動かせたりするん?」
幼女は,まるで納期直前の疲れたサラリーマンみたく,小さな両手でふわふわの頭をがしがしと掻きむしる。
「人間の英知を,そんなあやふやなものに任せすぎじゃない?だから,この世界は科学が発展していないのよ!」
そのまま両手拳を思い切り床に叩きつけるとともに,天井に向かって大声で吠えた。
「ネット環境はどこよ。OSはどこよ!私の前世の存在意義を返せえええええ!!」
と。
思い切り発狂しすぎたせいで,哀れな幼女はこの年に似つかわしくない程の眩暈がしてきた。
(だめだ。私のこの年で死因が,まさかの「高血圧による血管破裂」とか,本当に情けなさすぎる。とにかくおっ,オチツカナクテハ。)
そのまま仰向けになって,大の字で寝っ転がってしまった。
(もう何もしたくない。私,もう息をするのも面倒くさい。疲れた。温泉入りたい。)
死んだ魚のような目になった放心状態のアルテが床に寝そべっていると,おずおずとした様子で書斎のドアがノックされた。
(私の可愛いメアリが、昼食を持ってきてくれたらしい。いや,どうも違ったようだ。)
普段はノックされてドア越しに声を聴くだけだったが,それがゆっくりと開けられた。メアリの可愛らしい顔が,木製の扉からちらりと覗く。
「お嬢様,体のお具合は,大丈夫ですか?今,ドアの外まで響くほど,すごく大きな叫び声が聞こえたのですが?」
アルテは,急いでバッと飛び起きるが否や,ドレスの乱れた裾を手早く直し,笑顔で取り繕ろうように返した。
「大丈夫よ,メアリ。このところ,ずっと書斎にこもり過ぎたせいで,体を思い切り動かしたくなってみただけだから。それだけなの。」
(お願いよ。そんな不憫そうな目で,私を見ないで。大丈夫。まだ発狂していないから。まだ,私の精神状況は発狂一歩手前だから。)
メアリが,どこかほっとした様子で微笑んだ。
(ようやく,お外に出ていただけそうですわね。)
「そうですか、お情様。それなら,調度良かったかもしれません。お嬢様に,大切なお客様がお見えになっているんですよ。旦那様のご親族と言われる方が,お嬢様にご挨拶にお見えになっているんですの。応接間まで,今からお越しになってくださいませんか?」