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百合の乙女と服従姿勢

(まるで、マリア様みたいな顔立ちね。なんて神々ししいのかしら。) 


 真白の羽持つ美しい天使の掌から、白く輝く光の粒子が発せられている。虹色に淡く輝くその光は、自愛に満ち溢れていた。


 光の恩寵は、全身焼けただれた男を5分足らずで完治に導いた。

 (あれ?消毒はしないのね。後で破傷風にでもならなければ良いのだけど。)

「レオナルド様。終わりました。」


 中性的な顔立ちをした天使は、いとも簡単に奇跡を起こすとくるりと兄の方を振り返る。

 「ありがとうございます。」

(なんで、僕がゴミ修理の礼を言わねばならんのだ。あいつめ、まんまと命拾いしたな。)

「早く妹の怪我を治してください。とても見ていられない。」


 兄の切実な願いに頷いて、天使は幼女の前にふわりと跪いた。そのまま彼女の右手に手を当て治療しようとしたが、眼前の思いがけないものを目にした衝撃で思わずぴたりと止めてしまった。

(何故、闇の恩寵受けるゲテモノがここにいるの。視界に入れるだけで吐き気がするわ。)


 アルテは、膝の上で大人しく丸まりぴくりとも動かないふわふわに目を向ける。自分よりも余程重症にみえた。幼女はお得意芸である、最大限困った様子で瞳に涙を浮かべながら懇願した。


「この子の足を先に治して下さい。お願いします。」

(早くしないと兄さまに止められそうだわ。さっきから、ずっとこの子を不快そうに見ているのだもの。「拾った場所に捨ててきなさい。」と言われたら、私泣いてやるんだから。)


 聖母の眉が、不快そうにぴくりと動いた。

(このわたくしが、まさか野蛮なモノを治す日がくるなんて。でも、愛しい子羊の願いを叶えないのは、わたくしのプライドに関わります。やむを得ませんが、今回だけ特別と致しましょう。)

 なるべく黒い物体を視界に入れないよう顔を背けながら、そっけない様子で右手人差し指を向けた。光に当たった部分からみるみるうちに治っていく。


 10秒後、聖母が発狂した。

「ひいいいい!わたくしたちの一部が、犯されてゆくううう!もう、耐えられませんわああああ!」

 しゃがみ込んだ途端、がばあっと己を抱きしめて泣き叫んだ。

「わたくし、もう無理いいいい!嫌ああああ!」


 兄妹2人がこの光景に唖然とする。

(無料?無理だと?…何のためにわざわざ手間をかけて連れて来たと思ってるんだ?お前の飛ぶ早さが遅いせいで遅れてしまったのに。とっととしないとその羽毟るぞ。)

(まるで、生ける「嘆きのマリア像」だわ。)


怒れる兄は、天使の両肩をがくがくと揺さぶりながら叫んだ。

「早くして下さいよ!それでも百合の乙女ですか!仕事してください!」

「嫌あああ!助けてお兄さまああああ!」

「僕はあなたの兄では無い!怪我人を前にして逃げるおつもりか!いい加減にしろ!」

「嫌ああああ!犯されるうううう!」

「何てこと言うんですか!訴えますよ!?」


 まるで、阿鼻叫喚である。

 幼女がその様子をぼおっと見つめていた。

(この世界にも、名誉毀損罪はあるのかしら。そして、それは天使にも適用できるのかしら。)

 子犬は、2人の騒ぎでを覚ました。

「ここ…どこ…」「あら、目を覚ましたのね。もう大丈夫よ。あなたの皮を剥ごうとする奴なんか、もうどこにも居ないわ。」

 視界の端で男が失神していることを確認しながら、アルテは優しく囁いた。

(こいつは、ぼくをおそったやつらと、おなじにおいがする。)

 犬にとっては、男も幼女も同じくらい危険に見えていたのだ。ただ、体の大きさが違うだけで。

(でも、こいつは、ぼくをまもってくれた。それに、ぼくはこいつに、ふくじゅうしてしまった。)


 犬は、見てしまった。幼女の右腕は己が噛んだせいで、あちこちに血の滲む歯形が付いており、丸い箇所からいくつも血の筋ができている。文字通りの血みどろ状態であった。

(あの、はがたは、ぼくのだ。ぼくは、うえのものにさからってしまった。このこは、ぼくのおさになった。)


 だがその衝撃以上に子犬は、彼女の血がとても美味しそうに見えてしまった。故あってこの子犬はおよそ百年間、殆どろくな食事を摂れないでいたからだ。


 元素の恩寵を受ける人の体は、親和性が強い程強力な力を持つ。故に、妖精達を始めとする魔法生物達は、何かにつけて彼らの体の一部を欲しがった。毛髪や歯、血液などは彼らの大好物であった。


(おさの、ちを、なめてはいけない。のに、よだれが、とまらない。)

 こちらを見つめ上げ、はあはあと涎を垂らしながらこちらを見上げる様子を見て、幼女は思った(やはり、躾は初期段階から行うべきね。ビフォー・アフターの分かりやすいことといったらないわ。)


「どうしたの?遊びたいの?好きにしなさい。」

(やはり子犬ね。主人の膝の上から、早く飛び出したいと見える。)


 幼女は一連の流れから、すっかりこの犬の主人の気分になっていた。連れて帰った後、どう世話をしようか今の内から悩んでいた位である。

(え?いいの?なめても、いいの?)


 犬の抑えは、もう限界だった。がっつくように主人の腕や手を舐め、久方ぶりのご馳走に味をしめた。

 (おいしい。おささまのあじ、すごくおいしい。とまらない。)

(自分が噛みついたと分かって、慌てているのかしら。すごい勢いだわ。え。あれ、ちょっと待って。この子まだ、何のワクチン注射も受けていないのよ。もしかして私、狂犬病やジフテリアに罹った恐れがあるのかしら。)


その様子を見た火の精霊たちは、ぎりぎりと歯を食いしばった。

 (愛し子の味を、あんなに堪能して、僕たちだって、ろくにわけてももらえないのに。)


「ねえ愛し子、きみの妹が、黒い犬におそわれてるよ?」


 嫉妬する妖精達の報告を受けぐるりと振り返る兄は、見てしまった。青ざめた妹の顔と、傷ついた細腕を黒い毛玉が舐めまわす様子を。もう、精神状況が爆発一歩手前だった。


(妹の貴重な血をあんなに舐めやがって。分をわきまえろ獣風情が。怪鳥の住む谷に投げ落としてやろうか。)


 レオナルドは、怒りの余り犬の首を風の力でつかみ上げ、妹から遠く離した。きゃん!と情けない悲鳴を上げて、犬が幼女から奪われていった。

(兄さま?犬を持ち上げる時はちゃんと、お尻を持って安定させないといけないのよ?それじゃあ可哀そうじゃないの。)


 普段穏やかな兄の、動物虐待行為を思わせるそぶりに、妹はぎょっとした。


 兄はさらに、凄まじいことをした。「もうええわ」といった様子で、めそめそ泣き続ける天使の顔にいくつも流れる涙の粒を、乱暴な様子で拭い取ったのである。


(兄さん、もう少し優しくしてあげた方がいいんじゃない?あくまでも天使様よ?)


普段は紳士な兄の、女性に対する思わぬ一面も見てしまった、と妹は思った。


 次の瞬間、その紳士失格の兄はとんでもないことをした。幼女の傷口に、涙がついた右掌をべったりと擦り付けたのである。

「ちょっと何やってるの兄さま!?どうして服じゃなくて私の腕につけるの?一体どういうこのなの!?」

 理由は、すぐに分かった。涙の水滴が触れた個所から傷口が嘘のようにふさがってゆくのを、幼女はぽかんとした様子で見つめていた。


「なにこれ。どういうこと?」

「彼女は、聖光教より派遣された治療師なんだ。彼女たちは、自らの体の一部を分け与えることで傷を癒すことができる。別にアルテに嫌がらせをしようとした訳じゃないから、誤解しないでね?」

(経緯は分かったけれども、天使様の心の傷を癒してくれる人はいないのかしら。)


 幼女は、目いっぱい可愛らしくみえる仕草で天使の右手を取り、尊敬した口調でうっとりと言った。

「天使さま、ありがとうございます。私たちを治してくださって。あなたのおかげで、大切な命が救われました。この御恩は、一生忘れません。本当に、ありがとうございました。」


 幼女の思わぬ紳士的な態度に、優しい天使は涙をぴたりととめ、清らかに微笑んだ。

「いいえ、いいえ。あなたたち可愛らしい子羊のために、私たちは遣わされているのよ。私の涙が役に立って良かったわ。」

(無理やり搾り取った感があるけれども、あえて言わないでおきましょう。)


 空中に吊り下げられたままの犬は、百年ぶりの満腹感に身を包まれながら、うっとりとしていた。犬にとって生まれてこの方、こんなに満ち足りた気持ちになったのは初めてであった。

 ふと自分の長のいる方向を向き、犬はぎょっとした。

(ぼくらのむれをおそったやつらが、どうして、ここにいるの?おささまが、あぶない。)

 低く唸り声を上げ、ぎゃんぎゃん吠え出した犬を見て、天使と幼女もぎょっとした。

(天使様の対応に夢中になって、犬のことをすっかり忘れていたわ。可哀そうに、あんなに怯えてしまって。)


急いだ様子でアルテは犬の方へと向かい、優しく胸の中に抱きかかえる。宙に浮いていた哀れな黒い子羊を腕に抱きとめるその様子は、まるで聖女のようだった。


険しい表情で、天使が兄に囁く。

「レオナルド様、あれはただの犬ではありません。忌まわしき獣人族の子供ですわ。」

「僕も、それには気づいていた。あの黒い毛並みは初めて目にする。一体どこの種族だろうか。」


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