誕プレと外出活動
アルテミスは、目前に広陵と広がる野原をぼうっと見ていた。季節は10月、時折にわか雨は降るものの過ごしやすい季節だった。
魔力の目覚めがないままに、彼女は先月の1日、8歳の誕生日を迎えてしまった。不発弾は、完全に湿気てしまったようだ。今幼女が一人でぽつんと立ち尽くす場所は、屋敷からほど遠い場所にあった。秋の乾いた草の匂いがする丘と原生林の間に、自ら望んで立っている。決して迷子になったわけではない。
(よく見ると、自分の知らない植生の木が多く生えている気がするわ。それに、奥の方から変なざわめきが沢山聞こえるし。何だか不気味な場所ね。)
こうして幼女が一人ぼっちで安心して外出できるのも、兄が6歳の誕生日にくれた左中指に輝く金色の指輪のおかげだった。不思議なことに、兄が触れなければ勝手に外れない仕組みである。
(なんで、外れないのかしら。自分の指を自由に、殺菌消毒できなくなる日がくるなんて。)
ぐぐぐっと、兄の贈り物を幼女の持てる限りの力を使い、思い切り引っ張ってみた。指輪は1ミリも動こうとしないばかりか、肌に張り付くが如く回転すらしない。
(ジョージに頼んで分けてもらった、豚のラードを周りに塗りたくってみても外れないのよね。何か特別な潤滑油じゃないと外れない仕様になっているのかしら。)
アルテは、もらった当時の状況を振り返っていた。
誕生日の夜、幼女が眠ろうとベッドの端に座っていたところ、金髪美少年が最大級の笑みと共に膝まづき、その小さな左手を恭しく取った。
「アルテ、6歳の誕生日おめでとう。これはね、僕の心からの贈り物だよ。風魔法をありったけ込めて作った、魔法の指輪なんだ。おとぎ話は好きだろう?わくわくしないかい?」
(『指輪物語』なら知っているけれども。やばい品じゃない。私、はめても精神汚染されないかしら。)
兄は、生まれて初めて作った魔法具の高性能さに、一人浮かれていた。
(我ながらいい出来だ。必要な陣は、全て指輪に溶かせこめた。自分が傍にいるが如く、アルテがいつどこで何をしているかこれで分かる。空中を飛んだ時の高さや秒速も分かるし、浮遊した瞬間の重力反発から最新の体重も掴めて、健康管理もできる。僕が触れなければ外れないようにしているから、うっかり落とす心配もない。それに、万が一魔力が目覚めた場合を考慮して、魔封じと風魔法の結界も施しているし。これで妹も自由に外出ができる。僕は、最高の兄さんだ。)
ちなみに材料は、兄の頭髪50グラム・高純度の魔石50グラム・契約精霊の生き血をティースプーン1杯分である。ときめきも何も、へったくれもない。
そして、指輪を近づけながら「最高の兄」は、今から自分のしようとしていた行為にぎょっとした。
(危ない。思わず薬指にはめるところだった。僕は妹に、決して欲情なんてしないのに。だが、どの指にしよう。)
女性に指輪を贈ったことなどついぞない兄の顔から、脂汗が出始めた。
(兄さまは、何を一体固まっているの?ひょっとしてその指輪にかかった材料費が高くついたから、やっぱり自分にはめたくなったのかしら。兄さんのなけなしのお小遣いでできていたら、申し訳ないわ。)
「兄さま、大丈夫?」
不安そうに伺う妹にびくりと反応しながら、兄はとりあえず近場だった中指にはめる。
「うわあ!きれい!ありがとう!」
幼女は、とりあえず嬉しそうな様子をみせた。そしてしぶしぶ眺めて驚いた。本当に美しい指輪だった。金を土台に、風をモチーフにしたような渦巻き状の彫り物が施されている。非常に、繊細な逸品であった。
(やっぱりこれ、すごく高価な品じゃないのかしら。返品した方が良いのかしら。あれ、外れない。)
陶器のように艶やかな皮膚をぽっと染めて、兄が囁く。
「うん、可愛い指にぴったりだ。僕の可愛い妹、よく聞いておくれ。この指輪があれば、アルテは空も自由に飛べる。いる場所も分かるから、もし危険があればすぐに駆け付けられる。だからね、もう兄さまがいなくてもお外に出られるね?またすぐに書斎にこもってはいけないよ?分かった?」
(なるほど、便利な品だわ。GPS機能付きということね。高度1万メートルを急上昇しないよう、後で使い方を教えてもらわねば。それに、この頼もしい兄さんなら、もし私が発火しても秒で駆け付けてくれそうだし。それにしても、なんで外れないんだろう。)
幼女の夜は、早い。既に意識が遠のきつつある頭に、その理由を考えられるだけの余裕はなかった。がくん、がくんと船をこぎ始めた妹を、兄はそっとベッドに運んで共に眠ったのだった。
「まあ、結局あの後高度3メートルまで、分速100メートルまでの制限をつけてくれたし、屋敷近くの野原ならどこでも遊びに行って良いと言われたから、良しとしましょう。」
(兄は、私の事情を知っている。そんな本人が大丈夫と言うならば、私は安心してお庭探索ができるわ。)
「たすけて、たすけて。だれか。いやだ、しにたくない。」
「うん?」
声の方をした方を向くと、不気味な森の茂みから、一匹の黒い子犬がまろび出てきたことが分かった。
幼女は、犬の四肢が撃ち抜かれたように怪我しており、小さな血の後が点々と散っていることに気が付いた。