父の帰宅と家族会議
(可愛い妹が、また転寝してしまったようだ。)
恐怖の余り失神し脱力した妹の首が、かくんと兄の程よく筋肉のついた胸元に勢いよく打つかる。
「あ~あ、かあわいそ!!その子が、かあわいそ!!」
兄の締まった右肩から、風の妖精であるカレンが、ひょっこりと顔を出す。
「おにいちゃん、いっけないんだあ!」
幼女が急に転寝した理由を察している小さな精霊は、なぜ兄が分からないのか不思議だと面白げにくすくすと笑った。兄は、自分の契約精霊に馬鹿にされたように思い、むっとしながら言い返した。
「一体、僕の発言の、どこに問題があったのか、説明してくれないかな?」
(できるだけ、分かりやすく説明したはずだ。でもアルテが眠ってしまったところを見ると、やはり難しすぎたかもしれない。)
兄は、自分の説明能力の不足を反省した。反省する点が大きくずれている。
「仕方がない。端的な説明方法については今後の課題だな。それより、石を部屋から取ってきてくれてありがとう。普段調べもの以外に使わないから、助かったよ。」
「い~い~え~!じゃあね!私の愛しい子!あなたの味、透き通っていてきれいで、すごく美味しいから大好き!また呼んでね!」
そうカレンは嬉しそうに囁くと、すうと消えていった。
契約精霊が生まれた地へと帰ってゆく様子を最後まで見つめていたレオナルドは、眼前に見える太陽の傾きからそろそろ昼食の時間だということを思い出した。
(13時には戻らないと。アルテがお腹を減らしてしまう。だが、この高さから急降下してしまうとびっくりして起きてしまうかもしれない。)
幼女は、高度1万メートルからの垂直急降下という素晴らしく恐ろしい絶叫マシーンを経験せずにすんだ。兄は、小さく柔らかな身体を愛おしみつつ抱え直して、地面までできるだけゆっくりと下降することにした。
羽の様にふわりと玄関に降り立つが早く、面倒見の良いメアリがつかつかと歩み寄った。
「お坊ちゃま!心配してたんですよ!お庭のどこを探しても見つからないんですから!」
そう苛立ったように言うと、食事のある部屋まで二人を案内しようとした。
その時、執事頭のダヤンが廊下から3人に向かって歩み寄り、主人の帰宅があったことと、書斎に今から来訪するように伝えてきた。
「お二人とも、お食事がまだなんですよ?後ではいけませんの?この方たちはまだお小さいんですのよ!育ち盛りですのよ!可愛そうですわ!」
白髭をエレガントに蓄えた60台後半のがっしりした長身の老紳士は、「いいえ」と穏やかに答えた。
「お腹がお空きのところ非常に心苦しいのですが、火急の用事ということで。お伝えしにきた次第です。特に、レオナルド様にお越しいただきたいとのことでした。」
レオナルドは、妹を優しく抱きかかえながら返答した。
「妹が眠っていて、起こしたくない。このまま連れて二人で行くと伝えてくれ。」
「かしこまりました。」
兄は、執事頭により開けられた書斎の入口をくぐった。何度か入口まで訪れたことはあるものの、実際に中を目にするのは初めてだった。何故なら、可愛い妹が四六時中、己が初めて手にする秘密基地の如く占領していたからだ。仲間に入りたくても、これまで必死の形相で断られていた。
「やあ、よく来てくれたね。ありがとう。今日はアルテミスがやっと外に出てくれたらしいね。とてもほっとしたよ。」
揺り椅子に座っていた父のギルバートが嬉しそうに立ち上がった。
「その様子だと今アルテは、よく眠っているね?ならば、大丈夫かな。娘をそこのソファに寝かせて、こちらにおいで。大切な相談があるんだ。」
「実は、」とアーデロイド公爵は真剣な目で13才の少年に話し始めた。
「君も気づいただろうが、娘にはまだ「魔力の覚醒」が見られない。問題はそこでは無く、魔力「覚醒時」の対応についてなんだ。」
公爵は昔を懐かしむ様に、ふっと窓の外に目を向けた。
「その前に、私と私の妻について話した方が良いかもしれない。ここだけの話だが、私たち二人は元素との親和性が高すぎて、覚醒時騒動を起こしていてね。例えば妻のリリアナは、その時訪れていた別荘を丸々全焼させたそうだ。幸い、怪我人も死人も出なかったそうだが。」
公爵が、悲しみを抑える様に目を伏せた。
「私の方は、もっとひどい。傍にいた乳母を一人亡くならせてしまっている。」
ギルバートは、当時の状況を淡々と伝えた。
「覚醒時、妻は4歳で私は3歳だった。勿論、覚醒時の力を最大限に抑える目的の陣を、服はおろか周りの品にまで付与していたとも。だがそれが効かないほど、私たちの魔力は強い。魔力が覚醒するきっかけを知っているね?」
知に明るい兄は、当たり前だと言わんばかりにすぐに頷く。
「自我の芽生えが、影響していると本で読みました。「強い欲や自我の対象が元素に向いた精神状況下」に置いて、魔法は発動しますしね。」
「その通り。それにも関わらず、アルテはまだ魔力の目覚めが見られない。あんなに自分をしっかりと持っている子なのにね。」
「多分、それは彼女が魔法の行使を恐れているからでは?今日、「魔法は怖い」と言っていたのを聞いています。」
「なるほど。それも、あるかもしれないね。だが、彼女が目覚めるのは時間の問題だ。いつ起きてもおかしくない。」
父は両肘をつき、そのまま両手を組んだ。
「この書斎にはね、貴重な書物も多数ある。だから至るところに、魔封じの陣を付与している。ついうっかり大事な本を燃やしたり、傷つけたりしないようにね。」
そう言われて兄は、周囲を見渡し思わず目を見開いた。魔封じに特化した、実によくできた要塞だった。もし自分がここで全力で魔法を発動させたとしても、風一つ起こせないんじゃないかと思った。
愛しい娘の心情を察する父が、悲しそうに伝えた。
「リリィとアルテはこの部屋で、良く絵本を読んでいたからね。きっとこの場所が屋敷の中で一番母を思い出せる懐かしい場所なのだろう。」
「周りから心配されていたけども、皮肉なことにアルテは、ここに籠ることで彼女の知らない間に住む場所や使用人たちの身の危険を守っていたんだよ。」
「魔法属性は、使用者の身体的形質の特徴に左右される。元素の恩寵を与えられた「最初の人達」に似ているほど、親和性が強くなる。あの子は、愛しい妻にそっくりだからね。覚醒するならば、火属性であることは間違いない。」
「ひい!!」
と、二人の背後で大きく息を飲む声がした。父と兄が慌てて幼女目をやると、びくりと大きく身を震わせたが、再びソファに丸まるようにして眠る様子が見えた。
(思わず、声が出てしまった。私の属性って、火なの!?うそでしょ!?思わず叫んでしまったわ。火だけに。)
顔がソファの壁の方に向いていて良かった。強張った私の表情を見られたら、盗み聞ぎしているとばれてしまう。アルテはすうすうと嘘の寝息を立て始めた。
ギルバートが、ふと疑問に思った。
「どうして娘は眠っているんだい?もうお昼時なのに。」
嬉しそうに兄が微笑む。
「今日、初めて一緒に外出した疲れが出てしまったようです。本人も、すごく喜んではしゃいでいましたし。」
そうかいそうかい、と父が満足げにうなずいた。
「やっと外に出て遊んでくれたかい。嬉しいな。それで、今日はどこまで行ってきたんだい?」
兄が、にっこりと微笑んだ。
「はい。屋敷前の庭を少々。それと、高度1万300メートル付近で、一緒に国土周辺の観察をしていました。」
ごばあっ、と卓上に置かれていたティーカップから、紅茶が勢いよく噴出した。「おっと」という声があがった。吹き出た紅茶はすぐに、元いたカップの中に逆再生されるかの如く戻って行った。
「…それは…大変だったね。」
思わず娘の方を、哀れな目で伺うように見た。
(可愛そうに。今頃、どこか高いところから落ちる夢でもみているんじゃないだろうか。それにしても、僕は息子の力量を見誤っていたんだな。)
「アルテは、高い所が苦手だから、次からは彼女に飛ぶ高さを前もって伝えるか、もう「少々」低く飛んでくれると嬉しいな。」
兄は、目をぱちりとした。
(少々。あれでも十分低く飛んだつもりだったんだが。だが、ひょっとすると僕は怖い思いをさせてしまったのかもしれない。)
普段味合わない焦燥感と共に、やるせなくなり深くうなだれ下を向く。
穏やかな父はその様子を見て、ははと笑った。
「仕方ないよ。力の強い者によくあることさ。かく言う僕も今見た通り、少し動揺しただけでもこんな有様だし。」
そう朗らかに返しつつも、げんなりした様子でこっそりと書斎を見渡した。
(今の行動で、一体いくつの陣が破壊されたのだろう。またダヤンに嗜められてしまう。)
「私はね、”半神級”の水使いなんだよ。」
「それは本当ですか!もう存在しないものだと思っていました!」
「私もその意見には共感する。本当にこんな力なんて、無くなれば良いのにと願わない日はない。こんな有様だから、私は妻の死後娘に余り近づけずにいたんだよ。愛しいあの顔を見るたびに、亡き妻を思い出してしまってね。悲しみの余りあちこちに湖を作ってしまいそうだ。この感情を抑えるには、もうしばらく時間がかかりそうだ。」
「そこでだ。」と父はできてまだ間もない息子に、大切な使命を伝えた。
「僕の代わりに、アルテに付き添っていてほしい。できるだけ長く。勿論、昼夜を問わず見張りをしろとまでは言わない。」
もはや妹にぞっこんであった兄は、当たり前だと言わんばかりに大きく首を振った。
「いえ、大丈夫です。24時間365日、可愛い妹のために全力を尽くします。」
出来たばかりの家族の、妹に対する愛溢れた素晴らしい返答に父は満足した。
「そうかい、ありがとうね。君は話の分かる子で、本当に良かった。この屋敷にいる使用人の中で、私以外に魔法は使えないからね。
君のその高い元素操作能力があれば、きっと娘の暴走時何か力になってくれるんじゃないかと、期待していたんだ。それもあって、君を養子に向かえた。利用したようで悪かったね。」
(この父は、本当に良い方の様だ。)
とレオナルドは思った。
(嘘の匂いが、全然しない。有りのままにまっすぐ真実を伝えてくれるばかりか、大人の事情まで説明してくれる。前の「父」とは大違いだ。この父なら、僕は息子として胸を張り、立派にやっていけるだろう。)
でもね、と父は添え伝えた。
「レオンの教育に手を抜くつもりはないから、安心すると良い。希望通り、明日から私が選んだ教師について学んでもらうことにするから。娘には、目の届くところにいてもらうことにしよう。」
熟睡しているはずの幼女は、悪夢を見ている時よりもひどい汗を、全身からにじませていた。(まさか不発弾は屋敷外でなく、自分だったなんて。私は、いつ火を噴くか分からないイタリアの赤い悪魔並みの危険物だったんだわ!!!)