夢見るホットパンツ
「あ、ごめんごめーん。笠原君にもこれ上げるねぇー」
そう言うとデューク・ザ・ホットパンツは、もう一枚名刺を取り出し、自ら飛び込んできた夏の虫に差し出した。
「へぇ~。井口さん、こんなものを持っているんですねぇ」
興味深そうに笠原君はそう言うと、すこぶるつきのホットな場所で被爆したその名刺を手に持ち、ためつすがめつ眺めていた。そこにはホットパンツの本名たる井口明という氏名と共に、奴が生息する世田谷の下宿先の住所と電話番号が印刷され、裏を返せばご丁寧にも最寄り駅からの行き方が稚拙な図で描かれていて、更にはそこに少女じみた丸っこい字体で、"すぐにでも遊びに来てね。待ってまーす!"という一文が、ハートマーク付きで添えられている。
さすがに不穏な何かを感じ取ったらしい笠原君が、「あー……」と言いかけたまま二の句が継げずにいると、そこにすかさずポンコツスナイパーの二の矢が放たれる。
「実は僕には、得意な料理があるんだ。それは何だと思う?」
何だっていい。どうせ食べないから。
得意気な顔で覗き込んでくる奴の目を避けながら私は、胸の内でそう呟いた。
「ふふーん、そ・れ・は、カレーでーす!」
そこまで誇らし気に言うような料理かっ! このオタンコナス!
「だけど僕のカレーは、普通のカレーとはわけが違う。秘密の隠し味が入っているんだ!」
勝手に言ってろ! このスットコドッコイが!
とどまることを知らないポンコツスナイパーの夢見るホットパンツ劇場毎日が閑古鳥の相手をするのもいい加減アホらしくなり、私と笠原君は必死で歩く速度を上げるのだが、左から吹いてくる強い北風に大きく煽られ、踏み出す足も覚束無い。そんな悪条件でも夢見るへなちょこ・ザ・ポンコツは飄々と歩き、私たちの前に回るとパッツパツのホットパンツが裂けるのではというくらいに大股を開き、まるで歌舞伎役者がやるような大仰なポーズを決めながら変顔で見得を切った。
「ジャジャーン! では問題っ! その秘密の隠し味とは、一体、何なのだぁ~?」
うへぇ、まさか貴様の体液が入っているわけではあるまいな!
私の脳裏には、鼻唄などを歌いながらコトコト煮込んだ熟成ホットパンツカレーの中に怪しげな薬品を流し込む奴の姿が鮮明に浮かび上がり、思わずハッと息を飲んで歩みを止めた。
「ねえ……、何だと思う……?」
今度は一転、ポンコツパンツはまるで舞台が暗転したかのようなおどろおどろしい口調で語りかけてきた。
「ネェ……、ヒデオクン……、ナンダトオモウ……?」
米粒のような瞳の奥に宿る怪しげな光に射すくめられ、私はまるで催眠術にかけられたかのように、気づくとこう口走っていた。
「え、え、えーと……、ホウライエソとオオグソクムシをすり潰してミキサーにかけたものを水とエタノールの混合液に浸して抽出した濃縮エキスでも入っているのかな?」
「ほほーう! すると秀夫君は、僕の神聖なカレーに、そんな得体の知れないグロテスクな深海生物のホウライエソとオオグソクムシの濃縮エキスなんてものが入っていると、そう言うんだね」
「え、いや、あの、その……」
再びポンコツデュークの鋭い眼光がギラリと輝き、私はしどろもどろになった。
「すごいすごーい! さすが秀夫君、やっぱりオドロオドロ深海生物研究大学に通ってるだけのことはあるねー!」
あれ、そんな名前の大学だったっけ? というか、何でホウライエソとオオグソクムシが深海生物だということを知っておるのだ?
「それで笠原君は、何だと思う?」
「えっ……?」
「やだなあ、笠原クン。僕のカレーに入っている秘密の隠し味のことだよ。何だとお・も・う?」
デューク・ザ・毎日が失業中の、人差し指で腋の下ツンツン攻撃を受けた笠原君は、「ウヒャッ!」と小さくハヅキルーペ悲鳴を上げ、しどろもどろになりながらも何とか答えを捻り出した。
「えーと、えーと……、トラフグの卵巣とシロタマゴテングタケをすり潰してミキサーにかけたものを水とエタノールの混合液に浸して抽出した濃縮エキスでも入っているんですか?」
あれ? どこかで聞いた工程だ。
「ほほーう! すると笠原君は、僕の神聖なカレーに、そんなテトロドトキシンだかアマトキシンだかの恐ろしい毒物が混入されていると、そう言うんだね」
これもやっぱり聞いた件だ。だが、何故に毒物に対してもそんなに詳しい?
「え、いや、あの、その……」
「すごいすごーい! さすが笠原君、やっぱり毒虫毒蛇毒キノコ 毒のことなら何でもお任せ毒物研究大学に通ってるだけのことはあるねー」
やはり笠原君も架空の大学をでっち上げておったか。しかしまあ、あまりと言えばあまりのネーミング。
「だけど二人の答えは、惜しっくもっ、外れでぇーす!」
惜しいのかっ!
「それでは正解は――」と熟成パンツは、勿体つけるように言葉を切って私たち二人を見回し、「あのね……」と今度は、内緒話でもするように声を潜めた。
何だ? 何だ? 早く言えっ! グロテスク生物? それとも劇物、薬物、猛毒か? よもや、人間の臓器が丸々一個、ぶち込まれている訳ではあるまいな? ああ、焦れる、焦れる、焦れったいぞ、早く言え~っ!
「正解は……、ブッブッー! 外れた人には教えて上げませ~ん! それは、食べてからのお楽しみぃ~!」
な、な、何だとぉ~! それでは正解を知るためには、この身を犠牲にするしか方法がないではないかぁ~!
今やロシアンルーレットなんか足元にも及ばない。致死率100%と噂の、その秘密の隠し味とは一体、何なのか? ああ~、気になる気になる。とことん気になるぞぉ~。
憤りで髪を掻きむしらんばかりの私を嘲笑うかのように、夢見るデュークは淡々と続ける。
「それじゃあ二人とも、いつ僕んちに来る?」
いつの間にか、熟成パンツのアパートに遊びに行くことが前提になっているではないか。そんな約束をした覚えはないし、金輪際する気もない。
そう言おうと口を開きかけた私に、またしてもデューク・ポンコツの米粒のような瞳がギラリと光った。
「ネェ……、ヒデオクン……、イツクルノォ~……」
「あ、あ、それじゃあ……、東京に帰ったら、すぐにでも――」
と、おかしいなことに私の唇は、己の意志とは関係なく言葉を発していく。更には金縛りに遭ったように身体の自由も利かなくなり、ジリジリと額から脂汗が染み出してきた。そして何かに押さえ付けられるような圧迫感に頭部を上げることさえ出来ず、その下げた視線の先には奴の、前面が規格外に盛り上がったパッツパツのホットパンツが見える。
「あ、あ………、すぐに、でも、ア、ソ、ビ、ニ……」
その先は言うまいと必死に抵抗を試みるが、痙攣した唇から己の意志とは関係なしに、思ってもいない言葉が溢れ出ていく。そしてロック・オンしたままの視線の先では、不気味に盛り上がった熟成パンツの中で、正体不明の何モノかがモゾモゾと、右に左に激しく蠢いている。
何だ、どうした? 何がどうなっている? このまま私は奴の巣窟に赴き、餌食となってしまう運命なのかぁ~?
まるで幻覚でも見ているみたいに意識が薄らいでいき、暗澹たる絶望に打ちひしがれそうになったその時、「おーい、おーい!」と、遠くの方で自分たちを呼ぶ声が聞こえてきた。
はて、と視線を向けるとそこに、遥か先を歩いていた横山君が手を振る姿があった。どうやら休憩して自分たちのことを待ってくれているらしい。
「おーい、何やってんだー。早くこっち来いよーっ!」
「ごめーん、今行くよーっ!」反射的にそう答えた私だが、すぐに「あれっ?」と気づいた。
今しがたまで自分を戒めていた、あの鬼のような呪縛から解き放たれているのだ。目も口も自分の思い通りに動くし、あれほど強固に凝り固まっていた身体も元通りになっている。
私は自由になった身体を確かめるように二度、三度と腕をぐるぐる回し、笠原君の肩をポンポンと叩いた。
「それじゃあ、行こうか」
「はいっ!」
少し元気を取り戻した私たちが再び歩き始めたその時、私は「チッ」と小さく舌打ちするカレー妖怪ホットパンツの、その劇画調の濃く太い眉毛と米粒のような瞳を宿す切れ長の目が醜く歪むのを、視界の隅に捉えていた。