へなちょこ登山隊
年号も令和に代わり、今ではもうすっかり定着した感があるが、その頃はまだハッピーマンデーという言葉も制度もなく、体育の日は毎年十月十日と決められていた。大学四年の秋、北海道を一人旅する私が羅臼岳に登ったのは、十月十日、体育の日のことだった。
同行したのは私を含めて全部で四人。みんな私のように一人旅をしている、関東からやって来た男子学生だった。
四人は前の晩から知床の岩尾別という集落にある、ドミトリー形式の安宿に泊まっていた。その日は早起きをして早めの朝食を摂ると、おにぎり二個と山のマップを持たされ、宿のライトバンで登山口まで送ってもらった。
北海道の自然はあまりにも雄大だ。そこには数多くの観光地が存在し、というか、北海道そのものがでっかい観光地のようなものだと言っても過言ではない。そして知床は北海道の東の果てにある。そして私たちには、金はなくとも自由になる時間だけはたっぷりあった。貧乏旅行を楽しむ私たちは、ここ知床にたどり着くまでに、すでにあちこちの観光地を巡ってきていた。
色づき始めた紅葉に、どこまでも澄んだ青空、地平の果てまで続くかに思える、どこまでも真っ直ぐな道。そして、まるでパッチワークのように美しい田園風景。そんな北海道の景色全てに魅了された私たちは、魅了されて魅了されて、そして見慣れていった。
前の晩、宿が催すオリエンテーションの中で、山を愛する宿の主人は羅臼岳の雄大さを雄弁に語り、紅葉が見頃を迎えた山の写真を紹介した。明日、この山を登ってみようという者はいないかとの問い掛けに、手を上げたのが私たち四人だった。
北海道の大自然にも慣れてきて、少々食傷気味になっていた私たちの小さな冒険心には、山登りというのは非常にタイムリーなイベントだと思えた。つまり、その時そこに集った四人とは、全くの無計画に集ってしまった四人組のことなのであった。
「登り始める前に、少し準備体操をした方が良いよ」
ライトバンで送ってくれた若いあんちゃんのアドバイスに、ああ、山登りとはそういうものかと、思い思いに身体を動かし始めた。
右に左にぎこちない動作で身体を捻っていると、登山道入口の掲示板にたくさんのヒグマ目撃情報が貼られているのが目についた。そもそも我々四人組は、山に対する予備知識のないへなちょこ集団である。その中の誰一人として山に登るような恰好はしておらず、みな普段着にスニーカーという軽装で、あまつさえその中の一人など、目にしたこちらが思わず目を背けたくなるような、ピッチリしたデニム生地の半ズボンを穿いている。
送ってくれたあんちゃんのライトバンが引き返していくと、とたんに私は心細い気持ちになった。曇りがちの空に山を訪れる登山者の姿はなく、頼りなく続く登山道のその先には、不気味に静まり返った原生林が悠然と待ち構えているだけである。そしてこの原生林のどこかには、冬眠を前にエサを求めてさ迷える狂暴なヒグマが、何頭も何頭も闊歩しているのだ。
「そろそろ歩き始めようか」
四人の中では一番体格もよく、元気そうに見える横山君がそう言った。
「う、うん、そうだね」
そして私たちは、まるで最初から決められていたかのごとく、しぜんと横山君を先頭にする隊列を組み、歩き始めた。何気なく腕時計に目をやれば、時刻は午前八時二十分。コースタイムは約八時間。まさに長い長い一日の始まりだった。
登山口からしばらくは、紅葉の樹林帯が続いた。無人の山に、落ち葉を踏みしめる自分たちの靴音だけが静かに響き渡る。それは2005年に世界遺産登録され、それ以来人気化している今となっては、贅沢とも言えるあり得ない静けさなのかもしれなかった。
三十分もすると、一団となって歩く四人の隊列に歪みが生じ始めた。元気よくマイペースで歩く横山君のペースに、四人の中では一番年下の笠原君が、遅れがちになってきたのだ。少しペースが速いなと感じていた私も、それに乗じて少しペースを落とした。相変わらずのマイペースでずんずん歩く横山君だけが一人先行くという、一強三弱という構図が出来上がった。まあ、所詮は寄せ集めの似非登山隊ということだ。
歩き始めて一時間弱で、最初の休憩地、オホーツク展望台に到着した。
私を含む負け組三人が息を切らし、汗を拭きながらそこにたどり着いた時、勝者である横山君は岩場に腰掛けながら指を差し、涼しい顔でこう言った。
「ほら、オホーツク海が見えるよ」
だがオホーツク展望台という名称からそんなことは想像がついていたし、こんな生憎の曇天の下では木々の隙間からの眺めなんて言われるほど感動するものでもなく、そこがオホーツクだろうとエーゲ海だろうと、家族連れでごった返す阿字ヶ浦の海水浴場だろうと、海は海だ。
そんなことより君が今、どかんと腰を下ろしているその座り心地の良さそうな岩場を、この哀れな負け組に譲ってくれないかと、私たちは心の中で念じた。念じながらも顔だけはその眺望に向けて、「ああ、本当だ」「すごいすごーい」「やったー」などと、こんな最果ての地では必要もないのに忖度、調和と世間体を気にする日本人の悲しき性なのか、あたかも小学生の学芸会みたいな棒読みの台詞で歓声を上げることを忘れなかった。