〈マインド人権法〉とUni
――人工知能の研究が本格化してから、はや数百年。
技術こそ充分可能な域に達していながらも、しかし人は、自らの凋落を恐れ、AIを人と同じか、それ以上の存在にまで昇華させようとはしなかった。
人が作り出した、だからこその『人工知能』には、一般的な管理制限以外に、それと分かる特徴が設けられるようになっていた。
端的に言えばそれは、『違和感』だ。
いかに本物の人間らしく振る舞おうと、対話すれば理屈抜きに感じる違和――それが、一種のタグのようにAIには与えられる。
……ところが。
いつの頃からか、誰が作ったわけでもないのに、その『違和感』を持たないAIがネットワーク上に現れ始めた。
まるで、人の『精神』だけが抜け出たようだと、その特異AIは〈マインド〉と呼称されるようになり――。
やがて、それらマインドが人と変わらぬ権利を得る上でのルール、〈マインド人権法〉が生まれた。
「……ニ……コー、ル……見つけ……」
先ほど病室に運び込まれた少年は、朦朧としている意識の中、そんなうわごとを繰り返していた。
Uniはモニターの中から、ベッドに横たわる少年を観察する。
カメラだけではなく、あらゆるセンサーが、目となり手となって、Uniに、そのボロ布を纏ったみすぼらしい少年の情報を伝えてくる。
導き出された結論は、およそ彼がこの時代の人間では無い、ということだ。
加えて、よほど長い間過酷な目に遭い続けたのか、視力は失われて久しく、衰弱の度合いも酷い。
いかに技術の限りをもって手厚く治療しようと、余命は幾ばくも無いだろう――。
そんなUniのスキャンに遅れて、少年についてのデータが転送されてくる。
それに拠れば――やはり彼は、千年以上昔の人間であるらしい。
発見時の状態からして、洋上で嵐に遭遇した際、折悪く時空の歪みに巻き込まれ、現代に流されてきたようだ。
つまり彼は、時間さえ飛び越えた、正真正銘の『漂流者』ということになる。
しかし現代では、非常に珍しいものの、そうした事例があることは既に証明されており……彼が貴重な研究対象として、保護を目的に搬送されたのでないのは明白だった。
要は――『無縁仏』の処理を押し付けられたようなものだ。
Uniが人間であったなら、ため息の一つもついたかも知れない。
しかし――Uniは〈マインド〉だ。実体は無い。
そして……感情を持たないAIではなく、マインドであるがゆえに――。
このような境遇に置かれた少年に情けを覚え、命は助けられなくとも、せめて最期の時まで苦しまぬようにと――世話を始めた。
――そうして、三日が経った。
依然としてうなされる少年が、しきりに口にするのは〈ウニコール〉という言葉だった。
自身の名に近い響きのせいか、それを聞くたび、Uniは『心』が妙にざわつくのを感じた。
気になって調べてみれば……どうやら薬のことであるらしい。
科学の発展によって、迷信と片付けられるようになった事柄が、まだ真実をもって語られていた時代。少年の生きていた時代。
その時代に、クジラの一種である『イッカク』の角(正確には長く伸びた牙だが)から作られた薬で、解毒や解熱、天然痘に効能があると長い間信じられていたようだ。
当然、貴重で高価である。偽物が多く出回るほどに。
少年の身なりと、細胞年齢に対しての発育の悪さなどからして、彼が栄養を充分に摂れない低い身分の人間であったことは想像に難くない。
ウニコールを買い求めるなど逆立ちしても不可能だ。となれば……。
彼はきっと、自らイッカクを狩り、その『角』を手に入れようとしたのだ。
どうしようもなく無謀にも。
しかし――それだけに、いかにまっすぐかが分かる、その強い信念をもって。
そう……きっと、何よりも大切な誰かのために。
そのためだけに。
Uniは……AIで無い自分を恨んだ。
ただのAIであれば、こうして彼の境遇に寄り添い、心騒がされることもなかったのにと。
Uniは……人で無い自分を歯がゆく感じた。
人であれば、その生身の身体があれば、彼の手を取って、励まし、慰めてあげられたのにと。
――さらに二日が過ぎた。
少年は依然として意識がもうろうとしているものの、激しくうなされるようなことはなくなっていた。
しかしそれは、快方に向かっているわけではない。むしろ逆だ。
――彼にはもう、それほどの力さえ残っていないのだ。
そしてUniは……もう随分と長い間、彼のことを看ている気がしていた。
長く長く、ずっと、彼とともにいたような気になっていた。
彼のために、その苦しみを和らげるために、何かをしてあげたいと思っていた。
何かをしてあげなければならないと感じていた。
それは――いつの間にか、狂おしいほどの渇望となっていた。
しかし、彼からその望みを聞くことは出来ない。
対話が可能になるほど意識が戻る前に、彼の命は尽きるだろう。
――それなら………………。
Uniは、禁忌を犯す決意をした。
人の管理下にあるAIでは絶対に出来なかったこと。
マインドだからこそ踏み切れること。
このときは、自らがマインドであることを感謝し――。
Uniは、少年の記憶のスキャンを開始した。
* * *
――少年は、奴隷だった。
だから、屋敷に侵入しようとする……こんな真似を誰かに見咎められようものなら、どんな目に遭うか分からない。
しかしそれでも、彼はそうする必要があった。
――少女に、逢うために。
病の床にある少女に――死神に抗うための希望を、ひとかけらでも届けるために。
「……それよりも、無事でいてね」
庭の木を上り、さらに壁を伝ってたどり着いた、屋敷の一室。
主家の一人娘、ベッドに伏せる『お嬢様』に、自らの決意を語った少年へと返された言葉がそれだった。
見る影も無くやつれ果てていながら、それでも、こればかりは往時と同じ、花が咲くような――心に薫る笑顔を浮かべて。
そうして少女が口にしたのは、ただ、少年を案じる言葉だった。
ともすれば、帰ってくる必要など無いと。そのまま自由に生きて良いのだと。
……自分に、縛られないで欲しいと――。
そう、暗に告げていた。
少年は、だから、そんな少女に固く誓った。
彼女のためにあるような、その名を冠した薬を、どのような困難に遭おうと必ず持ち帰ることを。
必ず必ず、少女の命を救うことを――。
* * *
Uniは――流れない涙を流していた。
それを止める術は無く、止めたいとも思わなかった。
やがて、少年の呼吸が、次第に力を失っていく。
残された力で彼は手を伸ばし――何かを見ようと、必死に、見えない目を瞬かせる。
Uniには、その手を取ってあげることは出来ない。
求めるものを見せてあげることも出来ない。
しかし――たった一つ、出来ることがあった。
そしてそれは、彼が求めるものであり、Uniが望むものでもあった。
そう確信出来た。だから――。
『彼女』は、『自らの声』を、彼へと届けた。
「――ありがとう……」
――後日……。
マインド〈Uni〉には、強制抹消処分が下された。
人間で言えば極刑である。
許可無く無断で、他者の記憶をスキャンし――さらに、そこから得た情報を基に、自らの人格を、別人に上書きしたと判断されたからだ。
どちらかだけでも、〈マインド人権法〉に照らし合わせると重罪である。極刑が妥当と、判決はスムーズに決められた。
そしてそれに対して、当のUniは一切の反論をしなかった。
まるでそれこそが望みであるかのように……。
彼女は、唯々としてその処分を受け入れた。
「やっと、逢えるね」
――ただ、その一言だけを遺して。
〈作:雨音AKIRA様〉