第8話
ああ、また面倒事か。
部屋に入るなり眉根を寄せて資料を差し出した執事にルーファス・ダグラスは小さくため息をついた。
よく言えば次期当主であるルーファスに敬う姿勢、悪く言えば度が過ぎるほどのそれは他者からすれば慇懃無礼に見える。
この男は昔からそうだ。擦り寄るように自分に付き従うくせに、感情を隠すのは下手。妹のリリカを毛嫌いしており、話題にされるだけで顔を顰める。性格に難はあるがそれでも使うのは欠点を補う程度には有能だからだ。
「お前がそんな顔をしているなんてまたリリカが何かやらかしたのか」
「……その件でしたらそちらの報告書に」
受け取った報告書とやらに目を通す。
理路整然としたもので、角ばった文字は読みやすい。
内容は明朝に捕らえられた賊の取調べだ。
「確かリリカが新しく護衛を雇ったんだったか。それに捕らえた賊は早々に口を割ったと」
「奴らはリリカ様が先日運び込んだ植物を狙っていたようで、スケープゴートにするために件の男を襲ったようです」
「雑な犯行だな。大方あいつのことだ。貴重な資料は自身の工房の奥だろうに」
「そのようで、もっとも彼らは知らなかったようですが」
「知らん方がいいだろう。アレの工房は正しく魔女の工房だ、下手に踏み込めば血液の一滴も残さず植物の栄養に成り果てていたはずだ」
「植物――ダグラス家の血統魔術ですか」
その話題に、男の皺がより深くなる。
「不満か?」
「い、いえ」
「リリカがうちの誰よりもダグラスの魔術に長けているのは事実だ。作品一つ取ってもあの歳にして既に歴代当主に並んでいるさ。それを見て次期当主は俺ではなくあいつ、なんて馬鹿げたことを考えている輩もいるらしいが、それも本人にその気がなければそれも滑稽でしかない。アレの本質は人でなしだというのに」
「人でなしですか」
「魔術師らしいといえばらしいがな。仮にアレを当主にでもした暁には領地の財源を全て研究につぎ込むだろうよ。そうなれば利益は出ても不利益の方が次第に大きくなって大混乱さ、有効利用するのなら今同様、適度に資金を与えつつ手元で過ごしてもらう他あるまい。この事は父もよく存じている、だからお前が無駄に気を張る意味はないぞ」
読み終えた報告書を机の端に置く。
思っていた通り面倒事だ。貴族の家で働く人間の多くは近隣の貴族や豪商などの伝手から紹介される信用できるはずの労働者だ。そんな彼らが犯罪を、それも殺人と当主の娘の所有物を盗むなど紹介した家の信用さえ崩す行いだった。
「奴らの裏にいるのは誰だ?」
ルーファスは思案をするように指を叩く。
「身元は近隣の子爵家から、賊は二人とも最低限の訓練はされているようでした。それと双方共に複数の金貸しに借金をしていたようです。尋問には自白剤が使用されましたが彼ら自身は酒場で出会った男に金になると教えられたようですがどうにも記憶に混濁があるようでした」
「目的は盗品の売却による借金の返済……にしては妙だよな」
「ええ、尋問で得た情報によれば彼らの目的としていた植物はそう簡単に闇市に流せる代物ではありません。それに手に入れたとしてもある程度の資金と人材がいなければ満足に栽培さえ出来ない植物という話です。そんな不確定なものをそこらの商人が大金を払ってでも買い取ろうとするとはとても考えられない」
「つまり金貸しは雇い主を隠すための偽装だと。酒場の男が気になるが魔術士か? 確か狙われたのは『森の煙草』の素材になる植物だったよな」
「リリカ様によればリーリウムという名の花だとか。大森林のエルフにとっては大層大切にされているようですよ。専用の守護役さえいるほどに」
森の煙草、リーリウム、エルフ、金。
ルーファスの脳内に言葉が並ぶ。報告書に載っていた金貸しにはそれらを御すほどの度量をもつ商会はいない。
「……父はまだ王都から帰ってこない。敵が動くのなら当主が帰還するまでだ」
「どうしますか、ルーファス様」
首を傾げる執事の姿を視界に納めながら小さく呻る。
「領地にいる商人と貴族を調べ上げろ。特にエルフに興味を持っている者を主にだ。大森林に手を出そうとしている奴もいたらマークしておけ」
「目的は煙草ではなくエルフですか」
「無論麻薬で稼ぐつもりもあるだろうが、あれは数が増えれば希少価値は下がる物だ。それよりもエルフが大事にしているリーリウムを利用してどうにかした方が利益は大きくなるだろう?」
「なるほど」
「それとリリカを動かせ」
「はい?」
きょとんとした顔で呟かれた疑問符にルーファスは鼻を鳴らす。
「自分が持ち込んだ厄介は自分で処理しろ、とな。アレなら最悪囲まれたとしても切り抜ける程度のことはするだろ」
「よろしいのですか?」
「お前があいつの肩を持つなんて珍しいな」
「…一応彼女は十五歳の少女ですから」
「くく、一般的に考えればな」
情報は共有する。要請されれば人員さえ貸し出そう。
どう転がっても妹にとっては良い経験になるだろう。
それに相手が喉から手が出るほど欲している情報を持っている少女を奴らは放っておくだろうか。護衛の数も少ない貴族の小娘一人。手を出すのならそこで敵の負け、罠だと疑い手を出さないのならこちらからじわりじわりと範囲を絞っていくだけだ。
「俺は当主代理として寝る間も惜しんで仕事をしているんだ。兄の俺が動いているのに、妹がのんびりと趣味に精を出しているなんて許す訳がない。今回以外にもあいつのせいで俺の仕事量が呆れるほど増えているんだ、それを回すのにバチなど当たるものか」
「役人の方からもリリカ様が関わった小麦畑から採れる収穫量が激増したと報告もありましたからね。他には化粧品でしたか。詳細な報告書を求められると現場は嘆いていましたよ」
相手が求める情報を正しく誤解なく伝えるという行為は経験と知識がなければ行えない。それも書類を通じてとなると更に何度は上がるものだ。だが、リリカにはそれが理解できないらしく、報告書やレポートを受け取ると毎回のように添削・修正を行いつき返すらしい。
数年前から始めたそれは、慣れていない新人にとってはプレッシャーと極度の緊張を強いる苦行となっているらしい。
「まぁそんなことはどうでもいい。あいつにはこの事態を解決するように伝えてくれ」
手元の紙に妹へ向けた文言を書き連ねる。
相手はエルフか大森林を狙っている可能性があること。
商人と貴族にはこちらから調べてみるが、リリカのほうでも独自に調べること。
相手側は相当な資金を持っている可能性があること。
必要に迫られれば屋敷の兵士を使うこと。
その他雑多に書かれた文言は半ば命令書の態を為していたがそれを気にする人間は誰もいなかった。
「ああ、これを渡す時に追加で、もし放置して事態が悪化したら植物園の予算を削ると脅しておけ」
そうすれば妹は機嫌を悪くしながらも解決に動くはずだ。なにせ彼女にとって植物園は研究施設であり、宝箱でもあるのだ。管理するだけでも金がかかる金食い虫だが、維持するだけなら彼女が作り出す利益だけでも事足りる。だが収集家である彼女が植物を買い付ける時に使われる伝手と資金の多くはダグラスの金庫から出ているのだ。それを削られれば途端に、自由気ままに買い付けることも出来なくなる。
「わかりました。コレは今すぐにでも?」
「ああ直ぐに渡してこい」
書き上げた紙を折り畳み執事に渡す。
彼はそれを恭しく受け取ると一礼して執務室を去っていく。
ルーファスはその後姿を見送ることもせずに、視線を減ることのない書類の山に向けてもう一度小さくため息をついた。