植物園③
趣味の分野になると途端に喋りだす姫様
石畳もないあぜ道をリリカと二人で歩く。先導しているのはリリカだ。彼女は引き抜いた小麦を手に持って気分良く進んでいた。
ジークはその後ろを追いながら見慣れてきた農園の周囲を観察した。手入れのされた木立とその側を流れる小川は清く澄んでいる。きっと植物につかう水はこの川から取っているのだろう。小川は木立の中から農園の側を通り、植物園の脇まで続いていた。
「ジークさん。これ見てください」
リリカは立ち止まって振り返り手にした麦穂をジークの目の前に掲げた。
「穂がずっしりと重くなって首が曲がってますよね。色もいいですし、乾燥し始めて艶もなくなっているので、もうすぐ収穫時なんですよ。今年は私も期待していることが多くて」
「農夫のおっさんに聞いた。…確か、姫さんのおかげで酒代が増えた、んじゃなくて小麦の収穫量が増えただっけ」
「お酒に変わっているのは知りませんでしたけど。そうですね。その人が育てている小麦はきっとこの農園の小麦から始まった子たちでしょう」
リリカの言葉にジークは首を傾げた。
「ここで取れた麦が種になってるってことか?」
「そう。何年もかけて選んで、育てて、やっと出来上がった小麦一号。この辺りで育っているものよりもほんの少しだけ病気に強くて、実の大きさと数が多い品種。七年かけて出来た私の作品。だけど、まだどうなるのか分からないから農夫さんに協力してもらってとにかく多くの検証をしてもらっているんですけど」
リリカの目線がジークに向けられた。ジークには目の前の少女が考えることの一割も理解は出来ない。
「植物ってそう簡単に弄れるもんなのか?」
「簡単ではないですけど時間と手間を惜しまなければ出来ますよ。そうですね。例えば人間の親子がいたとします。そこに赤の他人を何人か連れてきて『彼らの関係性はどうだと思いますか?』と質問してみたとしましょう。どう答えると思います?」
「そいつらが驚くほど似ていないとかじゃなきゃ、何人かは親子って答えるんじゃないか?」
「そうですね。血が繋がっていれば自然とどこかしかに、目端や鼻梁、体格などその色が出てくるでしょう。実際私も父とは目端が似ているそうです。それこそ性別も年齢も体格も違うのに、隣に並んで無くても分かるぐらいには」
眼前の華奢な少女に似た壮年の男性とはどういう顔なのか。その父を見たことが無いジークとしてみれば想像もできない姿だった。
「その親から子へ伝わる形質を遺伝と呼ぶらしいのですが、人で出来るのなら植物で出来てもおかしくないですよね」
「つまり姫さんはそれを小麦でやったってことか。自分が欲しい要素だけど集めて育てたってことだな」
「ええ。この地で育つ小麦の中から特に質の良いものを選び、時には他所から取り寄せて、人為的に受粉させました。ここは塀と木々に囲まれて外の花粉が入ってこないですし、麦は半年で成長し終わるので時間さえかければ成果は自ずと。それでも何度も失敗はしましたが」
この話に似た話をジークは耳にしたことがあった。
貴族の純血主義。“血統魔術”と呼ばれる秘法を守るために意図的に血を濃くしようとした貴族の話。
本来は親子でも異なる筈の魔術の形質を意図的に継承しようとした結果出来上がった特殊魔術だ。
それに似たことをこのお姫さまはやってのけたらしい。
「苦労はありましたが、私の場合は成果が出たので良い方ですね」
「ああ、おっさんも言ってたぜ。目に見えて小麦が肥えてるって、これなら生活にも余裕が出来るってさ。ジョッキ片手に姫様に乾杯って騒ぐぐらいには感謝してた」
「それは、少しだけ照れますね」
あははと小さく、照れた様子で笑った。
ジークにはそのリリカの反応が意外だった。今までリリカが見せていた笑みには余裕があったし、逆に言えば作られたような微笑を浮かべる場合が多かった。ジークに見せていた対応も年相応ではなく、大人のように落ち着いた言動が多かった。今のように年相応の照れた反応はもしかしなくても初めてみたのだ。
「何ですかその顔は? もう農園はこれぐらいにしましょうか。今他にあるのは日向でいい薬草とかハーブばかりで見て面白いのもありませんし、次は植物園に行きましょう」
ジークを置いてリリカは歩いていく。
その顔と言われても自分がどんな顔をしていたのかジークには分からない。どうしたものか、頭を一度掻き、ジークは小さい背を追いかけた。
「ジークさんは確かここに入るのは二度目でしたっけ」
「ああ、前は忙しそうで詳しくは説明されなかったが」
「あの時は持ち帰った植物の世話と溜め込んでいた授業もあったので」
濁ったガラス越しでも外から見てわかるほどその建物は緑に溢れていた。
先に扉を潜って中に入ったリリカを追いかけたジークは植物園に入った途端感じた咽返るほど濃い土と緑の臭いに辟易とした気分になった。
「ここに来るとあの大森林で遭難したのを思い出す」
「確かに似ているかもしれませんね。ガラスのおかげで温度と湿度が高いので、むっとした空気がありますし、普通はこう緑が迫り来るような場所ありませんから」
ああそれだと、ジークは頷いた。
見たことない植物が、人を覆うように成長している姿が似ている。人を呑み込まんばかりに迫ってくる迫力がこの植物たちからは感じるのだ。
そう考えると、途端にこれらの植物がまるで魔物のように見えてくるから不思議だ。
「ここは外で育てられないような特別な植物を置いています。多くはこの地方にないもので、商人さんや知り合いの学者に頼んで船や陸路で運んで貰ったんですけど、ここだけは王都の学院にも負けない自信があるんですよ」
「そりゃすごい」
いくつかの植物はジークも目にしたことがあった。ここよりもずっと暑い地域に生えていたものだ。そして寒い地域ではあまり見かけない植物でもある。きっとここは、そんな普通で育てればこの地域では育たないはずの植物たちを育てるための物なのだろう。
自分の趣味を話せるのが楽しいのか。妙に生き生きとしたリリカに連れられて、為されるままにジークは説明を聞いた。
やれこの植物は南部の島にあり果実と花は食べれるだとか、この植物は根に毒があり少しでも舐めれば全身が麻痺し呼吸も出来ずに死ぬだとか、逆のこの植物は多くの薬効があるが隣接した場所に毒草があるとすぐに薬効がなくなってしまうだとか。
正直、ジークには話の半分も理解できなかったが、雇い主の気分がいいのならそれはいいことなのだろう。
「そういや、この前持っていた鉢植えのもここに植えたのか」
ジークが拾われたきっかけを作った植物。確かアレはフリーダ大森林で手に入れたの言う話だったはず。それなら似ている環境であるここにあってもおかしくはないはずだ。
「いえ、あれは一般的な植物とは違って色々と手入れが必要なので植物園ではなく研究室の方に置いてあるんです。あそこでも数は少ないですが日光が差す場所もありますし、なにより鉢植えですので」
「へえ、植物ってただ水をやればいいんじゃないんだな」
「その考えは多くの誤解があるので今すぐ正したいぐらいですけど」
リリカはそういい眉間に皺を寄せながら小さく息を吐いた。
「あの植物はフリーダ大森林に住んでいる異民族から頂いた品なんです」
「大森林? あんな場所に住んでいる人間なんかいたのか?」
もう二度と行きたくない秘境に人が住んでいる事実にジークは驚いた。
「人間は人間ですが、あそこに住んでいるの森の住人であるエルフ族ですよ。私たちヒューマンでは生息できない魔界でも彼らにしてみれば天国のような場所なのでしょう」
「信じられないが、エルフは重度の引き篭もりって話だしそういうもんか」
「まぁそういうわけで、あの植物―――彼らにはリーリウムと呼ばれているそうですが、そのリーリウムはとにかく神聖視されている植物でして、彼らの隠れ里にはリーリウムを管理するためだけの職があるほどらしいです。手入れも定期的に土壌と水に魔力を込めて与えなくてはすぐに枯れてしまうみたいで世話をするのも一苦労なんです」
「草一つにそこまでねえ……」
「面白い文化ですよね。知っていますか? エルフの里では七十五で子供が成人を向かえ、百五十歳になると大人たちからリーリウムを加工した薬が配られるそうです」
「薬?」
「実際は薬とは名ばかりな煙草ですけど。彼らはリーリウムの葉を乾燥させたものをパイプに詰めて煙を吸うんです。それはもう素晴らしいほどの多幸感と高揚感を味わえるらしいですよ。前に一度、長たちが集まる会議にお邪魔したことがあったのですが、部屋中煙だらけで、それはもう酷い有様でした」
「薬っていうよりまるで麻薬だな」
呆れた声でジークが言えば、リリカは表情を変えずに頷いた。
「その通りだと思いますよ。確かにエルフにとって有用な物だとは認めますが、それが許されているのは長命種であるエルフだからであって、同じように私たちが吸えば数年と持たずに中毒で死ぬでしょう」
「おいおい、そんなもん育てていていいのか? 雇い主が憲兵にしょっ引かれるのは流石に面倒なんだが」
知り合いにも禁制品の薬をやって憲兵に追い掛け回されたやつを知っている。
そう話せば、リリカは驚いたように目を開き、音を立てて笑った。
「リーリウムを育てるだけなら罪にはなりません。というか、そもそも大森林以外に存在する加工前のリーリウム自体数えるほどもありませんし、現状では製造を禁止する法さえありません。所持もグレーではありますがセーフで、金銭での売買だけが有罪扱いですね。王国ではリーリウムの煙草のことを“森の煙草”と呼んでいるみたいですけど、世に出回ること事態珍しい奇跡の一品です」
「希少な薬物ね。そりゃ、さぞかし金になるんだろうな」
「そうですけど。盗んじゃ駄目ですよ?」
「しねえよ。俺が盗んだところで育て方も造り方も売り方もわからねえしな。それにそういうモンは大手を振るって売り出したらすぐに捕まるのが落ちだろ」
「良くご存知ですね。森の煙草も高価で絶対数が少ないからこそ見逃されているらしいですよ? そもそもコレは大森林のエルフにとってはもう無くてはならない代物ですし、製造を止めようにも異民族相手では王国の法も意味が無いので、現状のままなら放置するしかない、みたいな?」
いろいろと雑が過ぎる。もしかしたら国の高官にも熱心な森の煙草ファンがいるのかもしれない。
そんな風にジークが考えているとリリカは自分の手を叩いて話を続けた。
「この通りここには色々と高価で希少な物が多いのです」
「らしいな」
「ええ、ええ。先日は街道で賊が出ましたし、ここも物騒になりつつあると思うんですよ。だからこそジークさんには頑張ってもらいたいですね!」
「出来うる限りは善処するよ」
「はい。私はジークさんが出来る人だと知っていますので期待していますよ」
高貴な貴族の娘に希少な植物たち。その中には毒にも薬にもなる物がゴロゴロしている。
軽い調子で話すリリカの言葉を聞きながら、ジークは当初想定していた以上に面倒になる予感をひしひしと感じていた。
【森の煙草】
人間社会では非常に高価な麻薬として出回っている薬物。現状エルフのみ製造でき、市場に出回っているのはそこから流出した余り物。また麻薬以外の用途としてもエルフは用いている。