目覚め
古き時代より畏怖の対象であった異なる存在
闇に影に蠢き受け継がれるその系譜
今宵静まり返った街の古びた洋館でいま動き出す。
これはそんな人ならざる者たちのコメディーである。
昼間の活気もなくなり人の往来も見られなくなった丑三つ時
廃墟のように静まり返った街の一角、場違いな古びた洋館がそこにあった。
「あ゛っ!あ゛っ!あ゛っ!」
闇のなか陰鬱とした石造りの洋館から地獄のような叫声が聞こえる。
「う゛ぅぅ!う゛ぅぅ!う゛ぅぅ!」
寒気すら忘れる怨嗟の唸りが古びた洋館の中にこだまする。
”ダンッ!ダンッ!ダンッ!”
怒りの落雷を叩きつけたような爆音が部屋を揺らす。
「ゥ゛ア゛つ゛つ゛う゛ぅ゛ぅ゛ぅ゛~~~!」
言語化することが叶わぬような絶望を与える咆哮が場を満たす。
威厳を感じさせる重厚な黒塗りの棺から闇が動き出した。
棺より現れた闇の使者を見たものがいればこう褒め称えただろう。
粉雪のように白く陶器のように滑らかな肌
蛇のようにしなやかなで細い指
金色の瞳孔を伴う双眸には思慮深さを
そして口元に見える磨き上げた象牙よりなお美しい破滅の象徴
人ならざる者は復活のうぶ声を上げる。
「あ゛っ゛つ゛い゛!あ゛っ゛つ゛い゛!」
雄叫びが館の中を駆け巡る。
「吾輩の棺桶のなか蒸しあ゛っ゛つ゛い゛のー!」
目覚めしものは吸血鬼だった。
「なっ、何だっこれはっ!もう終末の時が来たとでも言うのか!」
流れ落ちる汗もそのままに、物憂げな面影は消え失せ苦悶の皺が刻まれていた。
とそのとき暗がりのなか気配すらなく影が動いた。
幼げを残した儚い美貌
冷たくも魅了する眼差し
それらを伴い静かな鈴のような声が発せられた。
「・・・旦那様、お目覚めですか。」
人形のような一人の少女が主たる吸血鬼のそばに佇んでいた。
続けて少女は慇懃な態度でこう言った。
「久しぶりの記録的な猛暑でございます。」
今年は過去最高の猛暑日が連日続いており熱帯夜だったのだ。
少女より渡された精気すら吸いかねないと錯覚するほど乾いたタオルで汗を拭い
渇望した生命の根源とも思える冷えた水を一気に煽り一息をいれる。
意識が冴えるほどに鎌首をもたげる疑問のため、主たる吸血鬼は少女に問う。
「我が眷属よ!我が従者よ!貴様はなぜそのように涼しそうにしているんだ!」
眼光鋭く解せぬ従者に主は問うた。
「いつでも旦那様のお世話ができるよう、送風機付きの服がありますので。」
表情を変えず従者は主に答えた。
”フオーーーン”
暗闇の中、ファンが風を切る音だけが無情にも鳴り響く。
この従者、世俗に聡く文明の利器を使いこなしていた。
抑揚のない無機質な音が止まぬ中
府抜けた表情を、まして怒りのうちに己が無知を晒すまいと主は耐えた。
そして、主は心の葛藤を悟られまいと物憂げな表情を作り再び問うた。
「それ、ちょっと貸して。うん!貸してみよう!積極的に貸してみよう!ね!」
その姿は子犬にお気に入りのボールを取られた子供のような哀れな懇願であった。
従者は主の態度も葛藤も気に留めず、表情もそのままにこう答えた。
「僭越ながら、そんなこともあろうかと旦那様の分もご用意してあります。」
従者が虚空に手をかざすと闇の御業で主のために用意した送風機付きの服を取り出した。
主のお気に入りの寝間着をベースに仕立てに抜かりはない。
「・・・フフフ、うむ、見事な忠義よ。やはり貴様を眷属にして我が目に狂いはなかった。」
胸のポッケにお月様、刺繍の業に抜かりはない。
「はっ、ではどうぞこちらを」
するりするりと不可視の力をもって従者は主を着替えさせ
闇の御業で取り出したリモコンを操作する。
”フオーーーン”
「おお、これは風が抜けて涼しいぞ。これならば我が眠りも妨げられることはないだろう。」
目を細め呟きを発した主の表情には静かに悦びの色が見られた。
「御意に。」
恭しく従者は主に頭を下げる。
しばしの間を置き体の汗も止まったころ、おもむろに主は従者にこう告げた。
「余はこれから再び眠りにつく。でわな。」
そう言い残し、安らかな表情で主は再び眠りにつく。
”ドンッ”
重苦しい音と共に棺がしまり、静謐な時間が部屋を満たす。
1刻2刻と時が過ぎ
「ム゛リ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛ィ゛~~~」
主たる吸血鬼が再び絶叫する。
「あ゛っ゛つ゛い゛の゛ぉ゛ー!蒸れた空気がグルグルあっついのー!フオーーーンってなにこれー!」
棺より現れたその姿は如何なる仕打ちを受けたのだろうか
髪はじっとり濡れ乱れ、寝間着は肌に貼り付き見るも無残なものだった。
「旦那様の寝床は旦那様の思いのまま、一部の隙もないように私が造り上げた逸品でございます。」
従者は抑揚のない声でそう答えた。
重厚な黒塗りの棺は主たる吸血鬼のこだわりと従者の業が造りし逸品。
送風機付きの服は絶え間なくファンを回し続ける。
従者の仕事にもちろん抜かりはなかった。
『精度が低く蓋がガタガタいうような安物の棺は要らん。重厚に隙の無いように作るのだ。』
ただ主たる吸血鬼のこだわりが全てを狂わせた。
密閉された空間で風切り音を響かせながら。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛~!もういい!もう外出する!」
主たる吸血鬼は慟哭あげながら悲痛な表情で部屋を駆ける。
闇の御業で着替えを行い、屋敷を飛び出した吸血鬼は黒き翼で空を駆け上がる。
「ああっ!旦那様!旦那様~」
自ら扱えぬその能力に置いていかれた従者は力の限り主を呼び止めるもその声は届かなかった。
「やはり外は涼しいではないか!」
古びた洋館を飛び立ち静まり返った街を眼下におさめ吸血鬼はそう言った。
「しかし我が館の周りも変わり果てたものだ。どこを見ても大きなビルディングばかりではないか。」
吸血鬼が眠っている間に館の周りは再開発計画で高層ビルが立ち並んでいた。
「これも世の趨勢か、ならばこの世に我の存在を知らしめようではないか!」
眼下に広がる街の中へ、あたかも自分の存在を溶け込ませるようにビルの隙間を縫い吸血鬼は飛び続ける。
北から南、西から東へ人の世の成す全てを嘲笑いながら縦横無尽に飛び続ける。
しかし街外れに来たところで最も憎き存在が姿を表そうとしていた。
「太陽か!」
空が白みを帯び今にも太陽が姿を現しそうな時間。かなり遠くまで来てしまった。
「我が闇の翼に追いつけるはずもあるまい。」
吸血鬼はにやりと表情を崩した。彼には己の翼に絶対的な自信があったのだ。
「さらば太陽よ、傲慢な貴様では我を捉えられまい。」
ぐんぐん速度を上げながら吸血鬼は空を飛ぶ。
「いかに巨大な建造物といえど、人の手が作りしものに我を止めるすべはない!」
右に左に空を舞いながら吸血鬼は棲み家たる館へ向かう。
「やはり我の勝ちであったな。所詮は物言わぬ太陽よ!」
吸血鬼が眼前に館が見えた時、太陽が姿を現した。
「はははは!ゴールは目の前もう遅い!」
あとわずかで館に着こうとしたその瞬間、光が吸血鬼をとらえ焼き尽くす!
「何故だぁぁぁ!まだ時間があったであろうぅぅぅ!」
太陽の光はビルと太陽光パネルの反射により吸血鬼を捉えていたのだ!
館の玄関、その手前にうず高く積もる、かつて吸血鬼であったその灰を
従者がほうきでかき集める。
日焼け止めクリームを塗り、ジャージ、クロッシェ、サングラスで完全防御した姿で従者はこう言った。
「また明日でございますね。」
従者「脱水症状と熱中症には気を付けてくださいね。」