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プロローグ

 川瀬環が初めて恋をしたのは、中学2年生のときだった。


 夏休みに入るころ、先輩たちが引退してしまったあとに環はテニス部の部長に任命された。


 「次の部長は環でお願いね」


 そう元部長の先輩に言われたときは正直戸惑った。

 環は今まで一度も人を指示する立場にたったことがない。元部長のように上手く部を回していく自信はとてもじゃないがなかった。


「先輩、私あんまり自信ないんですが…」


 そう言うと、先輩は優しい表情で答えてくれた。


「みんな、最初は不安だよ。でも環なら大丈夫。テニスはうまいし、ちゃんとみんなを引っ張っていけるような強さがある。わたしよりずっとりっぱな部長になれるよ! わたしが保証する!」


 憧れていた先輩にそういわれ、環はすごくうれしかった。 部長をやろう、先輩の期待に応えよう、そう心から思った。


 夏休みから始まった環の部長生活は想像以上に大変だった。

 部活を始まる前に部員全員の出席をとり、練習メニューの指示、時間になれば終了の合図。部活の終わりには全員の前で今日の反省点と明日の予定や目標を大声で話さなければならない。もちろん、サボっている人間に注意をすることも多かった。環はそれまであまり活動的な性格ではなかったため、そんな生活は慣れないことの連続だったが、それでも元部長の言葉を思い出し頑張ろうと思えた。


 ただ、それを気に食わないと思う部員もいた。

 あいつちょうしのってる、ちょっとあたまいいからってなまいきだよね、せんぱいにきにいられてたからってえらそうに、そんな声を毎日のように聞くようになった。環はそういった声を極力聞き流し、自分の仕事に専念した。しかし慣れない生活のなかで、そんな頑張りも長くは続かなかった。


 ある日、陰口をわざと環に聞こえるように話す部員たちを前にして環は泣いてしまった。


「ちょっとあんた、泣いてんの!?」

 

 先ほどまで陰口を叩いていた部員たちが慌てた様子で環に近寄るが気にならなかった。

 人前で涙を流すのはいつぶりだろう。年の割にはしっかりしていると見られることが多かった環にとってそれは幼いころに遡っても覚えのないことだった。

 自分でも驚いたがどうしても感情を抑えることができない。

 どうしようもなく悔しかった。自分が情けなかった。せっかく先輩に任されたこの役割をまともに全うできない自分が嫌になった。

 そんな感情が溢れ出し、涙は次から次へとこぼれ落ちる。


 そんなとき、

 ポーン、とサッカーボールがフェンスを超えてテニスコートに飛んできた。


 「すみませーん、今そっちに行ったボールとってもらえませんかー!」


 そんな声が聞こえ、


 「…あっ、はーい!」と環に寄り添っていた部員の一人がボールを取りに行く。


 顔を上げると、すぐ近くのフェンス越しでクラスメイトの牧野智也が立っていた。

 環と目が合う。

 が、ん、ば、れ と口パクで言ってくれたように見えた。

 それがなんだか不思議と環にはありがたく、心強く思えた。


 それから部員から陰口を言われることは少なくなった。段々と部員にも認められてきたようにもみえ、部長としてのやりがいや楽しさも徐々に感じ始めた。それでも日々責任を伴う部長としての生活に凹むことも多かったがそんな時に下を向いていると、ポーンとサッカーボールが飛んでことが幾度かあった。それを見るたびに環はがんばろうと思えた。



 夏休みが終わるころ、環は部員の出席簿を顧問に渡すため職員室へ行く途中、廊下で智也と会った。


「よっ」

「あっ、うん」


 そんな中途半端な挨拶をし、通り過ぎようとするが環はどうしても智也にお礼を言いたくなった。

 環は智也とはクラスではほとんど関わりがない。そのため挨拶以上の会話をすることはとても恥ずかしく、勇気がいるように感じたが、それでも感謝の気持ちを伝えたかった。


「あの、牧野くん!」

「ん?」


 恥ずかしさと緊張が一気に胸に押し寄せる。がなんとか言葉を続けた。


「あ、あの、その、こないだはありがとうございました!」


 いきおいよく言いすぎてお辞儀をしてしまう。顔中が火照っているのを感じた。


「川瀬はかっこいいよな」


 えっ、と環は顔を上げる。


「川瀬はさ、部長頑張ってるし、かっこいいなって。だから応援したくなったんだ」


 あはははー、と智也は照れくささを誤魔化すように笑う。


「あっ、じゃあ俺行くわ。 友達待たせてるから!」


 そう言って智也は環を残し行ってしまった。


 環は、自分が今とても顔があつく、鼓動が高鳴り、そしてなにより幸せであることを実感した。

 こうして環は人生で初めて恋をした。



 

 夏休みが終わり、環は少しずつクラスでも智也と話すようになった。そして、修学旅行前のクラスでの班替えの際、環は運良く智也と同じ班になることができた。それは修学旅行では、智也と一緒に行動ができることを意味する。環は班が決まったとき、浮かれすぎて思わず帰りのコンビニでハーゲンダッツを買ってしまったほどだ。そんなこと真面目な環は今まで一度もしたことがなかった。そして環は誓った。修学旅行で自分の気持ちを智也に伝えると。



 しかし、修学旅行で智也に告白することは叶わなかった。

 それどころか、修学旅行が終わったあと智也と話すこと自体少なくなり、次第に疎遠になってしまった。


 ーもう一度あの頃にもどれたら。


 環は何度もそう願ったが、結局なにもできないまま中学を卒業し、智也とは別の高校に進学した。


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