1章の三 見よう見まねで
何かあると察した。
カズシの左腕を見て、獣人は何かを察してしまった。
あと三秒程この状態にしていれば殺せただろうに、瞳の中にあった得たいの知れないものを見なければ殺されたであろうに、
その何かが起きるかわからない恐怖が、カズシの中に潜んでいる恐怖が、獣人を動かしてしまった。
「うお!」
獣人は大きく叫ぶと、仰け反ってカズシが放出した魔力をよけた。
そして、獣人の体勢が崩れた瞬間をカズシは見逃さない。
マウンドポジションをとられていたが、腰は自由に使える。
カズシは腰を浮かして、足をあげると、獣人の首に足を引っ掻けて獣人を姿勢を崩してダウンさせた。
いきなり倒された獣人と、次の行動に移っていた人間、
どちらが先手をとれるか明白だった。
カズシは一呼吸で息を整え、左手で握ったナイフを最も近くにあった部位、獣人の右足に突き刺す・・・
前に獣人の蹴りがカズシに炸裂した。
胸部に当たったカズシは再び吹き飛ばされて、壁に激突する。
そして壁は壊れて、カズシは外に突き出された。
(あのゴミ野郎、どれ程の筋力と反射神経をしてやがる!
一瞬で状況を判断し、俺の攻撃を防ぐどころか反撃しやがった!)
カズシは二階から地面に衝突するのを理解して、とっさに受け身を行った。
地面に衝突して、左手に大きな衝撃が入る。
「!!!」
痛みに嘆く時間を割いて、カズシは先程までいた建物を二階を見上げる。
そこには獣人が立っており、カズシを睨むと二階から跳んで地面に難なく着地した。
ズシンと言う音に反して、獣人は痛みを感じる素振りは見せず、カズシに向かって突撃する。
(体格は奴が上、感覚も奴が上、技は使っていないようだが、立ち振舞いから、あの時の魔人のような直線的な力だけでは無さそうだ)
つまりどういうことか?
簡単に言えば、カズシの勝つ見込みは極めて薄かった。
千回、一万回やり直しが出来たとして、やっと勝てるかもしれないと思うことができるくらいの差があると判断した。
建物の二階にいた時は、獣人は油断と隙があった。だから助かったが、今では見当たらない。
だから、カズシは普通では勝てないと判断した。
判断したからこそ、カズシは・・・
「やめて!!」
その言葉が建物の方から聞こえて、獣人の拳がカズシの眉間寸前で止まった。予備動作が殆んどなく、隙のない、そして10mもの距離を、自分が反応できないスピードで詰めていた。
「ギルバートさん!何してるっすか!怪我人に何てことしてるんすか!」
ギルバートと呼ばれる獣人はその言葉を聞いてカズシを睨んで建物の方を振り返る。
そこには、怯えている子供を背中に隠し、先程とは違った怒りを表しているメインの姿があった。
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「メイン!止めるな!こいつは絶対只者じゃねえ!」
「知らないっす!どんな人でも怪我人に手を出すのは許さないっす!」
「俺はお前のために言っているんだ!村でのお前の立場とかじゃない!お前の身に危険が及ぶから言っているんだ!」
ギルバートと呼ばれる獣人はそう言って僕に指を指した。
「お前、人間じゃないよな!人間がそんな臭いをするわけがねえ!何者だ!」
・・・人間なんだが?
正確には地球人であるのだが・・・もしかして、地球人と異世界人は人体構造が違うのか?
そうか、そうかもしれない!魔力という地球では存在しないと言って良いほど希少な物質をこの世界では大量に含まれている。
魔力がどういうものか詳しくは解らないが、この世界の人間が使っているのであれば、それを使うための構造が適応されている。つまり、魔力が扱えない地球人と魔力の扱える異世界人では体の構造が違う。だから、あの獣人は僕を警戒したのか?
臭いが違うということは体臭、つまり汗か?99%が水分で、他がミネラル、塩、尿素などの物質が主なのだが、異世界人ではそこに新たな物質が・・・いや、足りない物質があるかもしれない!だが、電車での一件で僕は魔力によって体に作り替えられているとあの悪魔は言っていたな(本当かどうかは定かではないが)。もしそうなら、今の仮定は証明ができない。日が浅いからまだ馴染んでいないのか?それとも、地球人として持っている物質を奴の嗅覚が反応したのか?気になる、気になるが、素材が少なすぎる!比べようにもサンプルが僕だけではどうすることも・・・
「なに考え込んでいるんだ!良いから答えろ!」
僕が少し考え込んでいると、短気なのかギルバートという獣人は苛立ちながら僕に言ってきた。
いやね、答えるのは良いんだけどね、ちょっと君に問題がある気がするんだよね?
「答える前に聞くけど、僕が其を答えて素直に信じるの?」
「信じるわけねえだろ!」
でしょうね。
ここで「僕は本当に君たちとは無関係だ!」と正直にいっても、「嘘つくな!死ね!」と殺しに来るし、
ここで「君が思っている通り、魔族だ!」と冗談を言っても、「やっぱりそうか!死ね!」と殺しに来るだろう。
・・・詰んでるねえ!王手だね!
逃げるはない。あの身体能力の差で逃げきるための術は殆んどないし、土地勘もない。どこに逃げれば安全というのもないし、逃げた後が厄介だ。
戦うはもっとない。向こうはアドレナリンがビンビンで、今にも殺しにかかろうとしている。メインがいなければすぐに襲いかかるほど準備万端だ。
対する僕は、右手が全く動かず、左手も指がヤバイ感じだ。あとついでに、左足も少し痛い。1秒で負ける自信がある。
選択肢がない
・・・・訳ではない。
ここで助かるためにはちょっと賭けの要素がいる。
まあ、賭けに勝っても助かるとは限らないが、だが仕方がない。
他の選択肢に比べれば可能性は未知の分だけ期待できる。いや、するしかない。
僕は左腕を獣人に向けて唱えた。
「かの者を鎮め、かの者を静め、惑わし心に救済を、『リラ』」
「はあ!」
僕が唱えると、左手から光が現れて獣人に向かう。そして、獣人はその光に包まれた。
「てめえ!・・・何を・・・」
光を浴びたギルバートは先程までとは違い、殺意が薄れていくのが分かった。
『リラ』という法術は精神系の状態異常を正常に戻す術
ここで注目すべき点は『正常』についてだ。
そもそも精神的な正常とはどのような状態か?
精神の正常と異常の区別は医学的にも難しい。なぜなら、人間の思考は様々で地域の文化や環境で全然違う。
つまり価値観が多数ある状態で客観的な答えはでない。
ここまで聞くと何を説明しているんだと首をかしげる人もいるだろうが、要は精神的な正常というのに一つの仮説を出した。
正常とは普段の状態であること。
外部による刺激やストレスに影響されない状態であること。
これで理解できない人はあれだ!『賢者モード』を想像しよう!あれに近い状態だと思ってくれ!
そういう状態になると僕は予想して、ギルバートという獣人にかけた。
結果は予想通りだった。
先程まで殺気が痛々しいくらいに僕に刺さっていたのだが、それが大人しくなり、警戒している息遣いもなくなった。
異質な僕の存在に対しての刺激をリセットしたから、奴は怒りを理解しても、感情が表れない。
そのため、冷静になった。何で自分はこいつを行きなり襲ったのか?目的は?理由は?
行動よりも思考を優先させた。これで話を聞こうと思うだろう。
僕は法術を使って、獣人の暴走を抑えた。
いや、本当によかった。見よう見まねでやってみたけど、上手くいったようだ。失敗したら向こうを余計に刺激して攻撃されてたかもしれない。
建物の近くにいるメインは驚きを隠せない表情をしていた。どれにたいして驚いたのかは解らないが、今は獣人の対応が先決だ。
「僕の話を聞いてくれますか?妙な真似をしないように拘束しても良いですから、まずは話をしましょう」
「・・・え・・・あ、ああ」
先程のドスのきいた言葉ではなく、普通の口調で獣人は気まずそうに頷いた。
とりあえず、一難去ったかな。
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さて、この状況をどうしようか?
「ギルバートさん、何か言うことはないっすか?」
「ああ、いや、違うんだメイン!俺は別にお前を困らせようとした訳じゃないんだ!本当にあの時はお前のことを思って・・・」
「へえ、勘違いしたあげくに我が家を半壊させて、怪我人をさらに悪化させて、それを私のせいにするつもりっすか?」
「あ、いや、そうじゃなく・・・」
先程とは全く違う顔で弁明をしているギルバートに、僕と最初に顔合わせした時に、見せなかった冷たい表情で、メインは怒りを表していた。
メインに話したように、ギルバートにも事情を説明すると、ギルバートは警戒は解いていないが一応、納得してもらった。
僕が彼らに損害を与えない限り、再び攻撃はしてこないだろう。
で、僕の話が終わると、『私のターン!』とばかりに、只今メインがギルバートに猛攻撃をかけています。
「どうするっすか?ここにお金がもうないの知っているっすよね?子供たちを飢え死にさせるっすか?」
「あ、いや、ちゃんと弁償するから、その・・・」
牙を抜かれた獣人さんはそれは見事な土下座を行った。
というより、異世界に土下座があるのかよ!
それで僕はというと、お昼ご飯を食べていた。
メインが作った料理は始めてみるものばかりだが、どれもが旨かった。
海老なのか蟹なのか分からない甲殻類をトマトみたいな酸味と旨味がある果肉で煮詰めたスープ
ピリ辛でコクのあるソースがかかっている、鶏肉のささみに近い肉を挟んだパン
食材は地球とは違うはずだが、地球人の僕でも美味しく、いや、地球で食べていたものより遥かに旨かった。
・・・いや、後々考えれば旨かったと思うと言った方がいいだろう。
なぜなら、このときの僕は羞恥心で味わう余裕がありませんでした。
「カズシさん、口を開けて」
優しそうな女性が僕に対してスープを掬ったスプーンを差し出してきた。
その女性は年齢で言えば、およそ10歳位だった。
「えっと、僕は自分で食べられるから・・・」
「両腕が使えないのにどうやって食うつもりだよ!」
「ほら、『あーん』して!」
やんちゃそうな少年がつっこみ、少女が再び優しくスプーンを差し出す。
少女の無垢な瞳にやがて僕の心は折れてしまった。
「・・・あ、あーん」
僕は一回りも二回りも小さい子供たちに看病されていた。
なんだろう、何か涙が出そうなんだけど。
左手も指が使えなくなってしまい、新しいベッドで両手を動かせないように固定されて、ついでに左足も固定されて小さい子供にご飯を食べさせてもらっていた。
別に監禁ではない。怪我の治療のためだ。痛み止めの法術『ディペイン』をメインからかけてもらったため、痛みは今はないが、右手以外を完全に治癒するまでには少なくとも二、三日はかかるらしい。
流石異世界だった。法術の力は偉大だった。地球じゃ少なく見積もっても1ヶ月はかかる怪我だろうに。
だが、その間は絶対安静みたいで、この建物、孤児院に住む子供たちに看病されることとなった。
「えらいね、えらいね、それじゃご飯もちゃんと食べられたし、トイレに行くよ。手伝ってあげるね」
そう言って十歳くらいの女の子が僕をなでなでしました。
誰か!誰かいませんか!
僕を!僕を殺してください!
く、くっ殺!!!
捕捉
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