ショートショート016 巻き戻る
おう、おどれ。おどれやおどれ。アホ、誰が踊れ言うた。そこにぼけっとつっ立っとるおどれ、おどれのことを言うとるんじゃ。
すまんが、そこのロッカーはわしのじゃ。どいてくれや。おう、すまんな。すぐ着替えたるから、ちょお待っといてくれ。そない謝らんでええぞ。兄ちゃんが悪いんとちゃう、アホみたいに狭いこの銭湯がいかんのじゃ。
なんや兄ちゃん、ええガタイしとるくせして、えろうビビリやのう。そないにわしが怖いんか、ええ。そうビクビクせんでもええがな。わしが悪いことしとるみたいやないか。別にええやないか、刺青のひとつやふたつ。なに、ふたつどころか全身に入ってるじゃないですか、やと。うるさいわい、わしの勝手じゃ。文句は言わせん。ほれ、見てみぃ、番台に座っとるじいさんも他の客連中も、わしのことは見て見ぬふりしとる。兄ちゃんもそうせんかい。
だいたいな、兄ちゃんも他のやつらも、みいんな騙されとるようやけど、わしの刺青な、本物とちゃうんや。フェイクっちゅうやっちゃ。タトゥーシールっちゅうのがあるやろ。あれとおんなしや。貼って剥がして、また貼れる、まあそないな感じや。正確にはちょっとちゃうねんけどな。せやろ、そうは見えへんやろ。一流の中の一流の、そのまた一流の彫師にやってもらったもんやからな。そう簡単に見抜かれてたまるかい。わしが彫師にいくら払た思てんねん。そうか、言われてみると立派な刺青てか。そうやろそうやろ。わしの自慢やからな。
でもな、この刺青、実はちょっとした秘密があるねや。兄ちゃんは、なんやえろう喋りやすいから、特別に教えたるわ。なんや、そない遠慮せんでええんやぞ。聞きたいやろ。まあ聞いとけや。おっさんの暇つぶしに付き合えや。そうや、おとなしいして聞いとれ。
この刺青な、ほれ、この左肩のやつや。ええか、よう見ときや。わしの右手の甲をな、この刺青に当てるんや。ほらいくで、三、二、一。
何か変わったか、分かりまっか。ああ、今さわった刺青は消えましたな。その他に、何か気づきまへんか。分かりまへんか。ま、そうでっしゃろなあ。あんさん、出身はどこでっか。はあ、ちょっと遠いでんな。そら分からしまへんわ。仕方おまへん。ほれ、わての口調ですわ、口調。ちょっと丁寧になりましたやろ。さっきまでは、大阪の下町を描いた昔の某有名マンガに出てくる、主人公のお父ちゃんみたいな喋り方やったわけですわ。それが今は、そのお父ちゃんやなくて、お父ちゃんのお父ちゃんみたいな喋り方になってますやろ。お父ちゃんのお母ちゃんでもええんやけど。分かりまへんか。じゃあとりあえずそうやな、『じゃりン子チエ』いうマンガをいっぺん読んできて。あ、分かる。そうか。よう似とるやろ。そうでっしゃろ。
実はな、この刺青な、わての人生を記録してるんですわ。ほれ、全身の刺青、全部で十、いや、ひとつ減って九つか、ありますやろ。わては今五十歳なんやけど、今しがた左肩のを消しましたやろ。刺青ひとつ消したら、性格が五年、巻き戻りますねん。せやから、四十五歳の頃の性格になったいうわけですわ。不思議でっしゃろ。体は大人、頭脳も大人、せやけど口調と性格だけちょっと子供、っちゅう感じですわ。なに、信じられまへんか。まあ、仕方おまへんな。この五年、いろいろありましたからな。性格もだいぶ変わってしもうたもんやさかい。えっ、そういうことではない。さいでっか。
なに、もういっこ消してみてくださいやって。四十歳の頃を見てみたいと。まあええですわ、ついでやし、見せたります。
ほな、今度はこの右肩の刺青。こっちは、左手の甲で消しますねん。ええでっか、三、二、一。
どうですか。お分かりになりますか。そうですか、分かりましたか。標準語になったでしょう。イントネーションも普通の標準語。関西弁のかけらも無いでしょう。この頃まで、私は関東に住んでいましたからね。ええ、普通のサラリーマンです。いえ、そんな仕事はしていませんよ。今だって真っ当な仕事をしていますしね。
あの頃は、メーカーの営業でした。私も、いろいろあったんです。でもまあ、それなりに幸せでしたがね。当時は、息子もまだ小さくてね。かわいい盛りでした。だから私も必死に働いていた。家族を守るためにね。いえ、妻も息子も、まだぴんぴんしてますよ。私の変化の理由ですか。まあ、そのへんはご想像におまかせしますよ。
なに、もう一回やってほしいんですか。仕方ありませんね、あと一回だけですよ。じゃあ、次はこの右足の太もも。この刺青を消しますよ。そうすると、私はさらに五年巻き戻って、三十五歳の頃になりますから。
ああ、でもよく考えると、三十五歳と四十歳では、特に変わりなかったですね。変化があった頃と言うと、そうですね、二十五歳の頃ですか。では、右足の太ももと、左足の太ももと、左胸にある刺青、合わせて三つを消しましょうか。そうすると、十五年巻き戻って、二十五歳の頃になりますから。
えっ、どちらの手の甲でやるのかですって。いえ、さも理由がありそうな風に言いましたが、本当のところは、別にどちらの手でも構わないんです。単に、手の甲なら自分の体に触りにくいので、スイッチを手の甲にするように彫師の方にお願いしただけなんですよ。それどころか、私の手じゃなくてもかまいません。なんなら、あなたの手の甲でもいいんです。彫師さんが、こんなこともできるぞとおっしゃるので、それは面白そうだと思って、手の甲が触れると刺青が消えて、巻き戻るようにしてもらったんです。理屈なんか、私には分かりませんよ。世の中には不思議なこともある。それで十分じゃあないですかね。
話がそれましたね。それでは、三つ消しますよ。一つ目、二つ目、三つ目。
何が変わったか分かる? 分からない? だめじゃん、せっかくやってあげたんだから分かってよ。今は二十五歳、まだまだ若造の頃だよ。そうそう。言葉づかいがガキ臭くなってるだろ。ちょっと恥ずかしいけど。
まあこんな感じで、刺青を消していくと、性格が巻き戻っていくんだ。五年ずつね。不思議じゃね? そうだろ。
ああ、それは大丈夫。また手の甲を当てたら、刺青は戻るんだ。もう十分だと思うしな、そろそろ年齢を元に戻すぜ。
えっ、口調を変えているだけで、別に性格が巻き戻ったわけじゃないんじゃないかって。それはねえよ、兄さん。人がせっかく面白いものを見せてやったってのに。信じられないかー。本当なんだけどなー。
なに、じゃあもっと巻き戻せば分かるだろうって。いやいや、それはだめ。これ以上、昔の俺を見せたくないじゃん? ほんと、勘弁してくれよ。はいはい、これでお開きにしようぜ。あっ、何をするんだ。右胸に触るなっ……!
……って、もう、巻き戻っちゃったじゃない。やめてよね、もう……って、まだやるの?! 待って待って、これ以上は本当にダメ! やめて、背中に回らないで! お願いよ、肩甲骨の刺青はやめて! 待って、そんな、両方の肩甲骨をいっぺんになんて……もう、ダメっていったよね、お兄ちゃん。もう十歳だよ? あっ、やめてよ、首に触らな……ふえぇ。幼児だよぉ。もうこれいじょうはめっ、だよ? おへそだけはダメだからね? おへそのいれずみだけは消しちゃダメって、ほりしさんが、言ってたもん。とんでもないことになるからって。あっ、何するのおにいちゃん、ダメ、ボクにもどうなるかわからないんだよ、にんげんって、生まれたときがいちばん、むくで、ざんこくなんだよ、こんな、ちいさな子どもみたいなことばづかいでも、ちからも、あたまも、おとなのときと同じなんだから……って、ああっ!
……ええか、番台のじいさん。それに、他の客連中もや。おどれらは、なんも見んかった。あとはわしが、あんじょうやっとく。わしがやったことも、このドスのことも、そこに転がっとるアホのことも、全部忘れるんや。ええな。せや、それでええんや。世の中、知らん方がええこともある。このアホは、そこを間違えたんや。不思議は不思議のままでええんや。
ああ、せや、一つ言い忘れとったわ。
わしの過去のことも、全部忘れえや。せやないと、わし、またここに来たとき、お前らの前で、全身の刺青消したるからな。
【裏話】
この男の仕事は真っ当なものです。具体的には決めてませんが、とにかく真っ当です。
そうですね、たとえば、大阪の、かなり気性の荒い料理人だとでも思っておいてください。気性が荒いから刺してしまうし、普段から食材を取り扱ってるわけだから、当然、後片付けもお手のものですね。
えっ、どう片付けるか、ですか? そこはまぁ、あなたのご想像におまかせすることにしますね。