人食い鬼の憂鬱
昔々ある所に人食い鬼がおりました。
人食い鬼は身の丈三丈、腕も足も丸太のごとく太く、全身が黒い獣毛で覆われたとても恐ろしい姿をしております。
ある日、妖怪友達の烏天狗が人食い鬼の棲む山を尋ねて来ました。
烏天狗は倒木に腰かけている人食い鬼を一目見上げて、
「お主、ずいぶん痩せたのではないか?」
人食い鬼は10年ほど前烏天狗が人食い鬼と会ったときに比べ、一回り縮んでいるように見えました。心なしか獣毛に覆われた顔の頬もげっそりとしております。
人食い鬼はちらと烏天狗を見て
「うん、そうなんだ。実は長い間人間を食べてないんだ。」
とぽつりと答えました。その声は恐ろし気な外見とは異なり、気弱そうな声です。
「どうした? 人食い鬼が人間を食さないなど、由々しき事態。人間にでも襲われたか?もしそうなら烏天狗一族郎党で復讐を手伝うが?」
烏天狗が自慢の嘴を撫でながら、人食い鬼を心配しました。
「いやそうじゃないんだ」
「では?」
「うん、その、なんというかな、人間の味に飽きちゃったんだ。」
もごもごと小声で人食い鬼は告白しました。
烏天狗は目を見開いて驚き、
「人食い鬼が人間の味に飽きたとは前代未聞。如何様にして人間の味に飽きたのだ?」
と問いました。
人食い鬼は地面に目を向けたまま、
「特にこれといった理由もないんだけどね。生まれてから千年間、人間ばかりを食べている間に、少しずつ少しずつ人間の味に飽きちゃって。今ではもう人間の肉を食べれないありさまだよ。」
人食い鬼はハアと溜め息をつきました。その溜め息は強風となり辺りの木々を騒めかせました。
烏天狗は片手を掲げ、強風を避けました。山伏の服がバタバタとはためきます。
「それでもやっぱりお腹は空くし、どうしたらいいのかわからないよ。」
がっくりと肩を落とし、鋭く尖った爪を地面に突き刺し、人食い鬼はいじけました。
「友の苦境だ。方策を示してやりたいが」
烏天狗はしばらくの間、顎に手を挙げてなにやら考えておりました。
そしてパンッっと手を叩き、
「そうだ。人間以外の動物を食したらいかがだろうか?」
その言葉を聞いて、初めて人食い鬼は烏天狗にまともに目を向け、
「人間以外?」
と問い返しました。
「人食い鬼とはいえども人間ばかり食べなければならない決まりもあるまい。某は食したことはないが、人間以外の動物ならば味も異なるのではないか?」
それを聞いて人食い鬼は牙だらけの口の口角をわずかに上げ、
「それ、試す価値はあるかも」
と答えました。
烏天狗は嬉しくなり、
「では某が動物を取ってこよう。しばしお待ちあれ!」
と、背中の羽をはためかせ、いずこかへと飛び立って行ったのでありました。
一刻程経過した後、烏天狗は旋風と共に再び人食い鬼の前に降り立ちました。
手に動物をぶら下げており、それを人食い鬼の前に掲げ、
「これなら如何であろうか?」
「これは、鼠?」
鼠はまだ生きており、短い手足をバタつかせております。さらにヒギャー、ピギャーと騒がしく鳴き声を発していました。
「少し肉は小さいが数は多い。それに人間と違って反撃してくることもない。いいかがで御座ろうが?」
人食い鬼は烏天狗の手から鼠を受け取ると、その尻尾を爪で摘み上げました。それから畳1枚ほどもある口をぐわりと開けました。鼠は相変わらず必死で喚き散らしております。
しかしいざ鼠が口の中に入れられる段になる寸前に、人食い鬼の手がピタリと止まりました。そして優しく鼠を地面を降ろし、
「食べれない。」
と呟きました。
鼠は人食い鬼が尻尾を放したとたん、一目散に木々の間を逃げ、すぐに姿が見えなくなってしまいました。
烏天狗は首を傾げ、
「どうした? やはり鼠はお主が食すのに適さないので御座ろうか?」
と聞きました。
人食い鬼はもじもじと太い指を動かし
「いや、食べれることは食べれるんだけど、やっぱり命乞いをしてくる相手を食べるのは無理だったよ。」
「そういえばお主、動物の言葉がわかるんじゃったな。某は烏と人間の言葉しか理解出来ん。大したものじゃ。」
そう烏天狗が褒めると、人食い鬼は照れながら、
「動物と話せる能力は人食い鬼なら誰でも生まれつき持っているよ。だから褒められるようなことじゃない。見ず知らずの動物なら食べられるかと思ったけど、心が痛むから無理だった。せっかく鼠を連れてきてくれたのにごめんね。」
人食い鬼は烏天狗に向かって大きな頭を下げました。
「そう恐縮しなくても良い。お主と某は親友なのだからな。それに食せなかった場合も想定してもう一つ策を用意してある。」
そう言って、烏天狗は懐から小さな樽を取り出しました。その中には海水が張っており、魚がピチピチと跳ねておりました。
「この辺ではめったに見られない魚というものじゃ。海沿いの町のから盗んだ。どうじゃ? 魚ならば食せるで御座ろう。」
「すごい! 魚なんて初めて見る。」
小さな樽ごと人食い鬼の前に差し出しだすと、人食い鬼はそれを受け取り、口をパクパクしている魚をジッと見つめました。
しかしやがて小さく頭を振ると、
「やっぱり魚も食べられないよ。」
と悲しそうに言いました。
「なぜじゃ?」
「この魚には病気の妹さんがいるらしいんだ。可哀そうだから食べられないよ。だから海に返してやって欲しい。」
と人食い鬼は小さな樽を烏天狗に返しました。
「お主、魚の言葉も理解できるのか?」
「うん。たった今自分でも気が付いた。」
「そうか。動物の中には魚も含まれておったとはのぉ。しかしどうしたものか。某が用意していた策を使い切ってしまったわい。」
人食い鬼と烏天狗の間に重い沈黙が降りました。
秋の湿った日差しの下で、鈴虫がチリチリと鳴っておりました。
烏天狗は再び人食い鬼を見上げ、
「ならば植物を食すのは無理であろうかの?この山の草木でも人間たちの食す野菜などでも良いが。」
「植物を食べたらお腹壊しちゃうよ。」
人食い鬼と烏天狗は同時に溜め息も漏らしました。
「もう飢え死にするしかないのかな。」
人食い鬼は肩を落として落ち込みました。
「弱気になってはいかん!」
烏天狗が肩を怒らせ、人食い鬼を励ましました。
「でも人間を食べられない人食い鬼なんて存在価値がないよ。それならもういっそ死んでしまった方が・・・」
と人食い鬼が言ったとたん、烏天狗が飛び上がり、人食い鬼の毛むくじゃらな顔をバシンと平手打ちしました。
「某はお主が死ぬのは悲しい!いや某だけでない。たくさんの妖怪がお主が死んだら悲しむだろう!それをお主はどう考えておるのか!方法は必ずある!諦めてはならぬ!」
烏天狗はものすごい剣幕で叫びました
人食い鬼はしばらく呆然と烏天狗を眺めていましたが、 やがて人食い鬼の頬に大粒の涙が伝いました。
「うん、そうだね死ぬなんて間違っていたよ。」
その時、烏天狗の後ろでカサッと草が踏みしめる音がしました。
「誰じゃ!!」
烏天狗が声のした方へと反射的に振り向くと、旅姿の人間の女が立ち竦んておりました。
どうやら街道から外れ、この山奥にまで迷い込んでしまったようでした。
「あ・・あ・・。」
人間の女は人食い鬼のあまりの異形に口をパクパクさせておりました。
大木のような人食い鬼の腕が素早く動き、人間の胴体を掴みました。
ボキボキと何本か骨の折れる音がしました。
「ぎぃやああああ!!痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!やめてええええええええ!!」
人間の女はあまりの痛みに絶叫しました。
人食い鬼はそれを一瞥もせずにに烏天狗に向かって
「結局人間の味に飽きたなんて、僕のわがままだったんだね。烏天狗さんのおかげでなんだか勇気が貰った気がするよ。」
そう言ってにっこり笑い、口をバクリと開けました。
人間の女は足をバタつかせて抵抗しますが、人食い鬼の腕はビクともしません。
「いや!!いやだ!いやだ!いやだ!いやだ!いやだ! 助けて!!病気のお母さんがいるの!!いやだあああああ!!」
バリンッ
人食い鬼は無造作に女の頭を噛みちぎりました。
その瞬間、人間の女の悲鳴がぷっつりと止みました。頭を失った首から鮮血が噴き出します。
人食い鬼の顔が真っ赤に染まっていきますが、そのまま人間の女の胴体もバリバリと噛み千切り、足の先まで飲み込みました。
そして穏やかな表情で
「好き嫌いせずに人間を我慢して食べることにするよ。なんたって人食い鬼だからね。」
と烏天狗に言いました。
それを聞いて烏天狗は
(そういえば人食い鬼殿は人間の言葉だけは理解出来ないんじゃったな)
と思いましたが、人食い鬼の晴れやかな顔を見て、そして自身が人間の命などなんとも思っていないことを加味して、人食い鬼にはそのことを黙っていることにしました。




