同居人が女の子になった件-短編-
「やあ、はじめ君!今日からお世話になるよ」
大学1年の春、休みだったので、一人暮らしのアパートにこもってお気に入りのエロゲーをやっていたところ、陽気な声が扉の向こうから聞こえてきた。
突然だった。
俺の部屋にイケメンがやってきたのだ。
若干色を抜いてあるのか明るめの髪、優しげな目元、白くて並びの良い歯、すっと通った鼻梁、背も高く180近くある。それでいて無駄な脂肪がない、どちらかというと華奢で細身だ。手足が長くすらっとしている。
モデルか俳優かアイドルか。TVの向こう側くらいにしかいなそうなイケメンが大量の荷物を抱えて、部屋の外に立っていた。
信じられないかもしれないが、一応こいつと俺は同じ大学の学友で、友人関係にある。
スクールカーストの頂点みたいなこいつと、底辺の俺がだ。
当然俺から友達になろうなんて声をかけるはずがなく、向こうから声をかけてきた。
最初はなんの企みがあるのかと勘ぐっていたが、どうやら本当に友達になりたかっただけらしい。
眉をハの字にして、困ってるんだかわからないそいつの笑顔を俺は見上げた。
嫌な予感がする。
「…何の用だ」
「住まわせておくれ」
的中した。
友人関係となり1ヶ月程度経過したわけだが、まさかこんなことになるとは。
自分の行いを振り返り、思わず頭を抱えてしまう。
「どうしたんだい?具合が悪そうだね」
「お前のせいだよ馬鹿野郎」
ニコニコとしやがって。分かっていて言っているだろう。
田舎から出てきて借りる予定になっていたアパートが不動産屋の手続きミスでダブルブッキングしたらしい。こともあろうに相手方に快く部屋を譲ってしまったそうだ。新学期の始まるこの季節じゃめぼしいアパートは埋まってしまっている。不動産屋が新しく見つけるのにも時間がかかるらしい。
事情はわかったが…
ずれたメガネを持ち上げて、一応抵抗を試みる。
「ここ一人暮らしのアパートなんだけど」
「大丈夫、多少手狭でも僕は気にしないよ」
「そのデカイぬいぐるみいらんだろう」
「ダメだよ。ボクはこれがないと寝られないんだ」
「いくつだお前」
「君と同じ18歳だけど?あ、7月になったら誕生日だからよろしくね」
「…」
どうやって断ろうかと逡巡している間にすでに搬入および荷ほどきは完了していた。
1Kの広くもないこの部屋の半分はすでにこいつの私物で占領されしまった。
両手で抱えなければ運べないような巨大なぬいぐるみとか、着替え一式とか、歯ブラシとか、本とか、諸々のアイテムが持ち込まれたのだった。
…不満はあるが、俺は殊の外こいつのことを嫌っていない。というか大学における友人がこいつしかいないので、自然と仲良くなった。向こうは向こうで知人はいっぱいいるようだが、友人と呼べるものはあまりいないらしい。意外に思えるが、こいつは結構独自の空気感というかテンポで生きているので、うまく合わせられるか、気にしない人間でないと一緒にいるのは辛いだろう。
俺は人に合わせるなんて器用なことはできない。なので後者である。
まぁ、とりあえず、そんなわけで、こいつとのルームシェアは了承してやることにする。
家賃もちゃんと半分出すと言っているしな。
「お前今までどこで寝泊まりしてたんだ?大学始まって1月近く経つぞ」
「荷物だけ不動産屋さんに置かせてもらって、ネカフェとか」
「…家出した学生か。金もかかっただろうよ」
「店員さんと仲良くなってね。結構割引してくれたから助かったよ」
くそ、これだからイケメンは…。俺と違って人生イージーモードなんだろうよ。
…でも入学早々宿無しっていうのも哀愁を誘うな。
俺がこいつと友達でいられるのも、どこか残念で親近感が湧くからだろう。完璧超人みたいなやつだったら一緒にいるだけで苦痛だ。
…自分の欠点ばかりが見えてしまうからな。
「とは言えさすがにお金がほとんどなくなってね。僕には君が天使に見えるよ」
「強引に転がり込んだんだろうが。つーか、なんでわざわざ広くもないウチに住もうと思ったんだよ。多少なりとも他にも頼れる人物がいただろう」
「そうだねぇ、君が一番押しに弱そうだったからかなぁ。正直いきなり住まわせてくれっていっても普通は許してくれないよね」
だろうよ。
「それに僕はきみのことが好きなんだよ」
「…男に好かれても嬉しくない」
そいつはカラカラと笑った。
◇◇◇
男二人の共同生活が始まって2ヶ月程度が経過した頃、同居人が突如熱を出した。
「具合どうだ?」
「んー…39.9℃…うわぁ、新記録」
「ほぼ40じゃねえか…とりあえず風邪薬と食えそうなもん買ってきたから食ったら薬飲め」
「すまないねぇ」
眉毛をハの字にして苦笑している。顔色が良くない。本当は病院に連れて行った方がいいのだろうけれど、運悪く外は嵐だ。こんな状態で病人が外に出るのは自殺行為だろう。
この嵐で大学の講義は休講になっている。心置きなく休むがいい。
同居人の看病をしつつ俺も部屋でくつろぐ。うとうとしていたら突然俺の携帯が鳴った。
びくっとして携帯を手に取ると、見たくない名前が表示されていた。思わず胃がキュッとなる。
「…もしもし」
『あ、出た出た〜!よぉコナン君!高校ぶり〜♪都内に住んでるんしょ?S宿までこいよ〜』
「…ぁ、あの、、今日、台風で、ちょっと外出れないかなって…」
『んなん気合だろ?何、俺のいうこと聞けないっつーの?いいからこいよ(ブッ』
なんでなんでなんで。なんであいつ、俺が都内で一人暮らし始めたの知ってるんだ!?
周りの奴らには何も言ってないのに!くそっ!折角苦労して都内の大学受験して一人暮らし始めてあいつらから解放されると思ってたのに!また高校時代に逆戻りかよ!!
頭を抱えてたら、同居人が心配そうな顔でこっちを見ていた。
「大丈夫?顔色悪いよ」
「…お前ほどじゃねぇよ…」
…どうする?行きたくない。でも行かなきゃ。行かないと何をされるか…。
過去の思い出が俺のことを苛む。ちょっとしたことであいつらに絡まれて、高校は最悪の一言だった。
本当毎日が苦痛だった。だけど卒業して、ようやくあいつらから逃れられたと思ったのに…。
「ねぇ、はじめ君。手を握っててくれよ」
「…はぁ?なんでだよ」
「安心するからさ」
「ぬいぐるみ抱いてろよ」
「人の温もりが欲しいんだよ」
「なんで男の手なんか握らないといけないんだ」
「細かい事は気にするなよ」
「細かくねぇよ…」
逡巡したけれど、なぜか俺はそいつの手を取った。恐怖と焦りで拳を強く握りしめていたからか、中々手が開かず苦労したけど。
男のくせに細くてすべすべした手を握ると、発熱しているせいかかなり温かな体温が伝わってきた。
そんな温かさに溶かされるように心の中のゴワゴワした感情や焦りが緩やかにほどけていって、気がつけば俺は隣で眠ってしまっていた。
7時丁度の携帯のアラームが聞こえる。手を伸ばしてアラームを止めた。
ぼんやりとした頭を覚醒させ、カーテンの隙間から入る陽の光に目を細める。
…朝だ。そう、朝である。つまり次の日である。
しまった。完全に寝てしまった!あいつの呼び出しをブッチしてしまった!!!
携帯を見ると何件も着信があった。冷や汗が吹き出す。
うわぁ…。
だが、もう過ぎてしまった事だ。今から行ったところで誰もいないだろう。
それに初めて呼び出しを無視したことで、気分はちょっとだけスッとしていた。
やってやった。俺はやってやったぞ!一般人には小さな一歩かもしれないが、いじめられっ子の俺には偉大な一歩である。
一人膝立ちでガッツポーズを決めようとしたら、手を繋いだままだったようで、病人を布団から引きずりだしてしまった。
「朝から激しいじゃないかはじめ君」
「すまん」
恨みがましい顔で見られたが、昨日に比べて随分と顔色が良さそうだ。
薬が効いたのだろうか。
しかし何か違和感がある。なんだろう。全体的にこう…
「なあ…お前ってそんなに背、低かったっけ…」
「なんだか頭の位置がいつもと違う気がするねぇ」
「なあ…お前の声、そんなに高かったっけ…」
「なんだか自分の声じゃないみたいだねぇ」
「なあ…お前の髪って一晩でそんなに伸びるの?」
「こんなに伸びたのは初めてだねぇ」
「…なあ…その、なんだ、若干胸が、膨らんでいるような…」
「たぶん、おっぱい、だねぇ」
うっすらとだが、Tシャツが微かに持ち上がっており、なんていうか、ぽっちが2つ見える。
「お前の性別は…?」
「女の子、かもしれないねぇ」
朝起きたら同居人が女の子になっていた。
握りしめたままだったそいつの右手は、小さくて柔らかくて、相変わらず細くてすべすべしていた。
さて問題です。イケメンの友人が朝起きたら美少女になっていました。あなたならどうしますか?
1. とりあえずおっぱいを揉む
2. 別人じゃないか疑う
3. とりあえずお尻を揉む。
正解は〜〜
4. サブイボを出して失神する
でした☆
バターン!
俺は同居人の手を握ったままブラックアウトした。
「はじめ君!?はじめくーーん!!!」
◇◇◇
…はっ。変な夢を見ていたみたいだ。目が覚めたら同居人がいきなり女の子になっているなんていう荒唐無稽な夢だ。やれやれ、神様、どうせ夢を見せてくれるならこの間攻略した『はじるす〜恥じらい留守番電話〜』にでてくるしほりちゃんでも出してくれっていうんだ。リアル女子なんて怖すぎる。ああ、思い出しただけでサブイボが…
「やぁ、目が覚めたかい?」
「…」
なんでウチの台所に肩に掛かるくらいのサラサラした明るめの髪で少し背の低い、胸の慎ましやかな美少女がメイド服姿で立っているんだろう。見たところご飯を作っているみたいだけど…。まだ夢見てんのかな?
「もうお昼だよ。ご飯食べてなかっただろう?もうすぐできるから待っていてくれ」
鼻歌交じりに手際よく準備していく様はまるで新妻のようだ。くるくると回る姿が可愛らしい。
しばらく見とれていたら、一通り調理が終わり、小さなコタツテーブルの上にトントンと並べられていく。
白いご飯に油揚げと大根のお味噌汁、それと焼ジャケ、ほうれん草の胡麻和えだ。
いい匂いに刺激されたのかお腹が小さく音を鳴らした。
「さあ、召し上がれ」
「…いただきます…」
促されるようにして食事を開始する。
うん、うまい。やっぱり日本人は白いお米とお味噌汁だよな。胡麻和えもうまい。
ようやく回ってきた頭で俺はすべきことを思い出した。
「ところで、きみは、誰だ」
「ん?やだなぁはじめ君。熱でもあるのかい?僕は君の同居人じゃないか」
そう言って首を軽くかしげてこちらを見てくる。ああかわいい。ってそうじゃない。
あれ?俺がおかしいのか?俺の同居人は確か男だったはずだけど。どうしよう自信なくなってきた。
「巴?」
「なんだいはじめ君」
「いつから女になったんだ」
「今朝から」
「今朝から!?」
やっぱり!?ていうか女になったのか!?あれ?夢じゃなかったのか?それともこれが夢か?
「ちょっとほっぺたつねってくんない?」
「うん」
ぎゅぅ
痛い。あ、サブイボでてきた。
俺は過去に年上の姉達にこう、性的なアレやコレを受けたおかげで、3次元女子に触られると恐怖からサブイボが出てしまい、ひどい時には失神してしまうのだ。つまり俺の体が反応したということは目の前にいるのは紛れもなく女子であるということだ。
まじかよ、同居人が女の子になるなんて、なんてエロゲ。
改めて女の子になった巴をじっと見ると、やっぱり可愛い。サラサラとした毛質はそのままに、肩まで伸びていて触り心地がよさそうだ。目は大きくくりっとしていて、以前の面影を残している。まつげなっげ。体つきは細くて華奢だけれど腰がなだらかにくびれていてなかなか扇情的だ。…抱きしめたら気持ち良さそうかも…。
巴と目線が合うと品定めするように見ていた自分が恥ずかしくなった。軽く咳をしてごまかす。
「…なんで女になったんだ?」
「そんなこと僕が知りたいよ」
困ったように眉を寄せているが、あんまり深刻そうに見えない。
本人に聞いたところ、昨日熱を出して寝込み、朝起きたらこうなっていたんだと。
俺の知っていることとなんもかわらなかった。
「ところでそのメイド服はどうしたんだ?」
「ああ、はじめ君のタンスから見つけたんだよ。君、こんな服を持ってるなんて、変わった趣味をしているねぇ」
「ちょおおーーーー!!!!!?」
そんなことをのたまいそいつはカラカラと笑う。
お、おま、それ俺のブツか!?その、俺はまったく欲しいわけではなかったんだけど、昔買ったエロゲに付属してきた貰って困る特典だ。そのゲームの登場キャラが着ているやつで、スカートは短く、胸元が広い。つまりちょっとエッチなやつだ。俺は男だし、彼女なんていないし、かといって処分するには出来がいいし、実家に置いてくるわけにはいかないしで、とりあえずタンスに突っ込んで遺物と化していたはずだ。
そういう目的で手に入れたわけじゃないのだけれど、他人に見られるととてつもなく恥ずかしい。しかもなんで着てるんだよ!
「はじめ君が喜ぶかなぁと思って。どう?嬉しい?」
「ぐっ」
体を乗り出して、ずいっと顔を近づけてくる。あ、なんかいい匂いがする…。
3次元の女が苦手な俺でも、巴くらいの美少女がメイド服を着ていたらさすがにときめいてしまう。いや、でも、俺にはしほりちゃんという心に決めた嫁がいるのだ。ああ、でもそうやって前かがみにされると白くてすべすべしてそうな胸が、、ああ、、さきっちょが、、ピンク色の先っちょが、見え、み、みえ、マイサーーーーーン!!
「ってノーブラ!?」
「あ、おっぱいみてたな。スケベ」
顔を赤くしてさっと胸を隠す巴。なんていうか仕草が女の子っぽくてどきっとする。
しかしなんでノーブラやねん
「さすがにきみの私物にブラジャーやショーツがなかったからね。あったらどうしようかと思ったけど。あはは」
そうか、こいつの話を信じるならば今朝女の子になったばかりのはずだ。それならば女性用下着なんて持っているはずがない。
…ということはつまり、そのメイド服の短めなエプロンスカートの下は…
こたつ布団を今はかけていないので、ちらりとテーブルの下を覗くと巴の綺麗な太ももが見える。
「トランクスだよ」
「ですよねー」
ちっ。ちょっとでもノーパンを期待した自分が恨めしい。
あれ?思ったより俺3次元の女の子平気だな…?なんでだろう。メイド服を着ているからだろうか。
「それにしても僕が元男だからって、太ももをマジマジと見るのは無作法が過ぎるんじゃないかな」
「そうか?」
「…まったくきみは…」
ふぅっ、と大きくため息をつかれる。む。い、いいじゃないか!男同士なんだし!それにただの知的好奇心であって、嫌らしい目的ではなくて、なんていうかそもそも3次元に興味はないっていうか。
「はいはい。ごちそうさま。さてはじめ君。出かけようじゃないか」
「あ?どこへ?」
「下着を買いに行くのさ。見たいんだろう?僕のパンツ」
にやりと挑戦的にそいつは笑った。
◇◇◇
俺たちはとあるショッピングモールにやってきた。ここにはいろいろなテナントが入っているので見て回るだけでも面白いのだろう。…普通の人ならば。
俺は極度の引きこもりの上、コミュ障なので、人のいっぱいいるところは基本的に苦手だ。息苦しくなって目眩さえしてくる。
なので本当は一緒になんて行きたくなかったんだけど、女の子になったばかりの巴一人を買い物に行かせるのは不安だった。
なぜって、あまりにも無防備すぎるのだ。もともと男だったからだろう、男に対して忌避感がないというか、距離感が近いというか…。それに元来の人懐っこい性格もあって、こうベタベタとひっついてきたりする。
家を出る前にスマホで店を調べてたら、画面を見ようと背中越しに抱きついてくるし、背中には小さいながらもそれなりに主張している塊が二つ当たって柔らかいっていうか、気持ちいいっていうか、興奮するっていうか、サブイボが出るっていうか…。
と、とにかく、男に対して抵抗がないのだ。うっかりナンパなんてされたらほいほいついて行ってしまいそうだ。なので目を光らせておく必要がある。3次元の女に興味はないが、…一応、友達だからな。
ハラハラ、ドキドキ、くらくらしながら、ようやく目的の下着屋にたどり着く。
光りまぶしいそのエリアは色とりどりの下着が所狭しと陳列されている。
さすがにこの中に入っていく勇気は俺にはない。店の外で待たせて貰おう。
ちらりと店の外に視線を向けると、彼女の買い物についてきたのか、高校生くらいのバスケしてそうな長身イケメン男子が手持ち無沙汰にしていた。
くそ、イケメンが。お前も人生イージーモードなんだろうよ!!
憎々しい視線を向けていたら、下着屋からすごくかわいい中学生くらいの女子がでてきた。
むっちゃおっぱいでかい。スカートも短い。なんつーか、ロリ巨乳って感じ。エロい。ロリコンめ。中学生と高校生ならセーフか?
まぁ、俺は大きいよりもう少し小さい方が好みっていうか。巴みたいなほうが…。
いやいや!何考えてるんだ!巴は男で、友達で、3次元だ!俺には2次元の嫁がいるじゃないか!
ブンブンと頭を振って雑念を吹き飛ばしたり、2次元の嫁に言い訳をしたりしていたらお店から巴が出てきた。
「何してるんだい?」
顔をあげると随分と姿が様変わりしていた。
夏らしい青っぽいワンピースに白いカーディガン、靴もスニーカーじゃなくてサンダルになっていた。
どうやら下着だけじゃなくて洋服も一式揃えてきたみたいだ。手には紙袋をぶら下げている。
「服も買ってきたのか」
「うん、原因がわからない以上、この姿で過ごすことも考えておいたほうがいいと思ってね」
ふうん。異常事態だってのに随分と冷静だな。こいつはぽえっとしているようで案外しっかりしているのだ。
要件が済んだならば早く帰ろう。こんな人混みさっさとおさらばしたい。
「…なにか僕に言うことはないのかな…?」
「?」
言うこと?なんだろう。なにかしてしまっただろうか。
以前は俺よりも背が高かった巴が、今は低くなり、俺のことをすこし拗ねたような顔で、上目づかいで見てくる。そんな目で見られても分からんものは分からん。
「なんだ?」
「…もうっ!きみは乙女心がわかっていないなぁ」
乙女心て。お前男だったろうが。ぶつぶつとスカートをつまみあげて文句を言っている。
巴がぽつりと呟いた。
「似合ってないのかなぁ」
「いや?よく似合ってると思うけど」
そう言うとぱっと顔をあげて太陽のような笑顔で微笑んだ。
「そっか。ならよかったよ」
不覚にもドキッとしてしまった。
イカンイカン。こいつを見ていると胸の奥底が変な感じになる。キュッと苦しくなるというか…。
とりあえずその感情については深く追求してはいけない気がしたので、無理やり奥底へと押し込んでおくことにした。さー、帰るぞー。帰ってエロゲでもやろう。
「きみは女の子がいる前でエッチなゲームをする気なのかい」
じと目で睨まれるが、ずっとお前の前でやってたじゃねーか。…流石に処理はしてないけれど。
「まあいいさ!」
スタスタ歩いて行ってしまった。何を怒ってるんだアイツ。
慌てて後を追いかけてたら、歩いている人にぶつかってしまった。
「ってぇ」
「ぁ、す、すいません!」
相手の顔も見ずに慌てて頭を下げる。怖くて他人の表情なんて見れない。
「あっれぇ〜〜〜〜?お前もしかして…コナン君じゃね?」
聞き覚えのある呼び方と、喋り方と、そのかすれ気味の低い声に一気に頭が真っ白になった。
え。え?嘘だろ?なんでこいつらがここに?
顔をあげるとそこには高校時代に散々俺を苦しめた3人組がにやにやと人を嘲笑うかのように立っていた。
全員頭を茶色く染めて、耳にはピアスやらなんやらくっつけて、だらしなく腰よりも低い位置でズボンを履いている。
「久しぶりじゃ〜ん、コナン君!あれぇ?なんでこんなとこいるのかな?昨日の俺の電話でなかったよねぇ?」
「出れなかったっつぅーことはさぁ、、死んでたんじゃないのww?」
「ゲハハハッ!ウケる!なんで生きてんのww死んでればよかったのにwつーか死ねよww」
口々に俺のことを罵倒してくる。たまにちらちらとこちらをみてくる他の客もいたが、誰も俺のことを助けようとはしてくれない。絡まれてんだよ!分かれよ!…分かってて助けないんだよな。そりゃそうか…。
誰だって自分から厄介ごとに首なんて突っ込みたくない。俺だって100%無視すると思う。
3人は俺のことを取り囲みつつ、俺のことを軽く蹴りながら、人の目がつきにくい場所へ誘導する。
本当にこういう手際ばかりいい。役に立たない社会のゴミのくせに。
「まぁいいや。ね?またお金貸してよ〜。カンパカンパ」
「そうそう。とりあえず3万でいいよ。そしたら許してやっからさぁw生きてるのww」
「ゲハッ!w生きてるの許すとかw」
冷や汗が滝のように出てくる。手足が自分の物じゃなくなったみたいに震えて動かせない。
喉がカラカラに乾いていて、助けを求める声すら出すことができない。
「ぁ…」
絞り出すようにしてようやく1音喉を鳴らす。
「ん?なに?聞こえねーよ」
「お、お金、今、なくて」
「そこにATMあんじゃん。下ろしてこいよ。」
「ぁ、ぁ、はい…」
このままお金を引き出しにいくフリして逃げよう!全力疾走すればきっと逃げれる!
「あ、逃げようとか思うなよ?ちゃんとついていってやっからさw」
「ゲハフッ!wまじコーメーww」
「あ、あははは…」
コーメー?孔明?ふざけんなくそついてくんじゃねーくそばかどもが…!
どうしようどうしよう。早く逃げ出したい。いっそ消えてしまいたい。もうやだ。なんでいつも俺ばっかり。こういうのがいやだから外なんて出たくなかったんだ!巴が女になったのがいけないんだ!あんなやつと一緒に住むんじゃなかった!さっきだって巴が先に行っちゃうから、慌てて走ったせいで、そうだ全部あいつが悪い。くそくそくそくそくそっっ!!!
「オラ、早くいけよ」
軽く尻を足で小突かれる。
なんだよ、それが人に物を頼む態度なのかよ。なんでこんな低脳なバカ共にいいように扱われなきゃならないんだ!どうせお前らなんて、社会に出たってなんの役にも立たず、低賃金で一生暮らして、そのうちクスリとかやって、体がボロボロになって死ぬんだ!ざまぁみろ!あははは!あははははは!
…なんだよ…、なんで俺ばっかり貧乏くじ引かされるんだよ…
くそおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!
なんで誰も助けてくれないんだよおおおおお!!!!!
「きみたち、はじめ君を囲んで、なにをしているのかな?」
「…えっ?」
視線を広めの通路に向けると、水色のワンピースに白いカーディガンを羽織った可愛らしい女の子が、可愛い顔に不釣り合いな睨みを利かせてやってきた。
「うぉ、めっちゃ美少女じゃん!」
「え?誰?まさかコナン君のカノジョ?ww」
「ゲフッ!wwwウケるwwwんなわけねーべwww」
巴?あれ?なんでここに?視線でそう尋ねた。
「きみがなかなか追いついてこないからだよ。まったく。本当にきみは乙女心がわかってないなぁ」
「…こっちにも事情があったんだよ…」
眉尻を下げて答える巴。
それに対してこんな状況なのにいつもの調子で返答したら、3人組に睨まれた。
「あ?なに俺たち無視して楽しげに話してんの?」
「なあ、もうこいついいからさ、あの子と一緒に遊びにいこうぜww」
「ゲヒッ!wあ、それサイコーwそうしよw」
「あ、お前もーいらねーからw適当に死んでw」
などと勝手に話を進めている。正直なところターゲットが俺から移ったことで内心ホッとしていた。
早くこの場を去りたい。
3人は巴を取り囲んでしまった。
不安そうにこっちを見る巴。だが俺は巴に目を合わせられない。合わせたらまたあの場所に逆戻りだ。
「ねぇ、あいつなんてほっといて遊びにいこうよw」
「あ、ホテルがいいw?さっそくヤっちゃう?ww4人で楽しんじゃう?w」
「ゲヒヒヒッ!wうわまじ勃つわww」
男の一人が巴の肩に手を伸ばした。
「やっ…」
「『やっ』だって!wかわいいーー!」
「ヒュゥー!」
「ゲハー!w」
ビクっとなって巴が後ずさる。
またしてもこっちをちらちらと見てくる。
『助けてくれないの?』
まるでそう言っているかのように。
「あ?なに?コナン君が気になるの?」
「ねえー、コナン君さぁぁー、この子とどういうカンケー?カノジョなわけねーよなぁ?」
「ゲヒーッ!wないないw」
「っ…彼女じゃ、ない、です…」
反射的にそう答えて、走り出した。その場から脱兎のごとく逃げ出した。
全力疾走した。
巴を置いて。
走って、走って、走って、走って、、
気がついたら最寄りの駅まで戻ってきていた。
肺が痛い。汗が止まらない。足がガクガクしている。
こんなに全力で走ったのはいつ以来だろう。
酸欠で目が回る。気持ち悪い。胃の中の物を全てぶちまけた。
「…ぉぇええぇえぇ!!」
通行人が驚いて飛び退いた。
汚い物を見るように、嫌なものを見たと言うように、俺のことを一瞥して去って行った。関わりたくない、そういう気持ちだろう。
そうさ、関わらなければいいんだ。
自分に危険を及ぼすかもしれないものと関わらない。それは生物として正しい。厄介ごとに自ら首を突っ込むなんて愚か者のすることだ。
俺はあの場に巴を置いて逃げ出した。
だってあいつらは危険だから。
危険な場所を避けるのは生物として当然だ。俺はなにも間違っていない。間違っているのは巴のほうだ。だから俺は、なにも、悪く、ない。
ないはずだ…。
なのに、なんで、こんなにも、気分が悪いのだろうか。
わからない。わからない。知らない。知りたくない。
◇◇◇
新一それが俺の名前。
シンイチって読めるから、それだけであだ名は昔からコナン君だった。
出来もしない推理をさせられて、笑い者にされたこともあった。
それでも、小学校、中学校は、まぁぼちぼち上手くやってきてた。
最新のゲームはいつも買ってたし、漫画はいろいろ読んでたから話を合わせるのも難しくなかったし。
そんな調子で俺は高校生になった。
んで高校で友達作るぞ〜と思って色々と持ち込んだんだけど、クラスにはそういうのが好きな奴らがいなかった。いや、本当はいたと思うんだけど、あの場でいきなりそういう本性は出せなかっただけなんだと思う。だって、下手したら高校生活3年間の立ち位置が決まっちゃうからな。
ちょっとずつ小出しにしていって、仲良くなったらさらけ出せばよかったんだろう。
俺はそれを間違えた。
中学の時いつもやってたカードゲームとか、お気に入りの漫画とかを持ち込んで、一緒にやらないか?なんて柄にもなく声をかけてしまった。
そしたらなぜか周囲にドン引きされて、キモいとか言われて、気がつけば一人も友達はできずにクラスで孤立していた。
そんなときあの3人組が声をかけてきてくれて、一緒にご飯をたべてくれた。
やった、仲間ができた!そう思った。
休み時間は寝たふりして過ごしてたから、他の人との会話が本当に楽しかった。
そしたらある日
「なあ、ちょっと今困っててさ、お金貸してほしいんだけど」
なんて言われた。え?と思ったけど、絶対返すっていうし、友達だと思ってたから、貸してあげた。
でも貸したお金は返ってくることはなかった。
それでもまたお金を借りようとしてくるから、この間のお金を貸してもらってないことを伝えたら、人目のないところに連れて行かれて殴られた。
訳がわからなかった。
それからはもう何の理由もつけずにお金をむしり取られた。
先生に伝えようか、家族に伝えようか、と思ったけど報復が怖くてなにも言えなかった。
気がつけばまた一人に逆戻り、しかも今度はお金を無心してもらおうとやってくるゴミのオプションが付いてしまった。ランキング最下位でキングボンビー付きみたいな。
キングボンビーが付いている人間になんてますます誰も近寄りたがらない。これまでは必要最低限の会話くらいあったクラスメイトも完全に俺のことを空気のように扱うようになった。クラス委員長ですら話しかけてこない。俺はもういないも同然だった。
死のうと思った。誰にも認識されないならば、生きている意味なんてないと思った。
でも、唯一、楽しみがあった。
エロゲーだった。エロゲーだけが唯一心の癒しだった。
ひとまずはそれで現世に留まったけど、心の中は空っぽで、常に飢えていたように思う。
心の飢えは満たされることがなかった。
やがて高校も卒業し、地元から離れた大学に通うため一人暮らしを始めた。
高校時代の悪夢は終わったんだ。そう思った。
だけど高校3年間で染み付いた、人と関わり合うことの恐怖は、俺の精神を蝕んでいた。
すでに友達の作り方なんてわからなかった。
大学に入っても一言も声を発しなかった。ああ、俺はもう一生一人で生きていくんだな、そう思ってた。
世の中の全てが憎かった。特にイケメンは死ねと思ってた。
人生イージーモードのやつは許せなかった。
俺と同じくらい苦労すればいいと思っていた。
たまたま講義で、目の前にひどく美しい男が座った。線の細い、華奢な男だった。一瞬綺麗だな、なんて思ってしまったが、俺はホモではない。意識を切り替え、いつものように憎々しげに、そして誰にも気づかれないようにこっそりと睨もうとしたら、唐突にその男が振り返った。
やばい!睨んでるのばれたか!?
焦って視線をそらそうとしたが、なぜか目が離せなかった。
餌を待つ鯉のように口をパクパクしていたら
「ああ!やっと会えた!僕と友達になろう!」
本当に探していた人に出会えたみたいな、花が開くような笑顔をしてそう言われた。
意味がわからなかった。
そいつとは面識なんて一切ないし、初対面で俺と友達になろうとするような酔狂なやつがいるとは思えなかった。間違いなく裏があると思った。
回避すべき!
そう思った。だけど心が、勝手に応えてしまった。飢えた心が水を求めるように、人との触れ合いを渇望しているかのように。
そのときなんて返答したか覚えていないが、俺とそいつは友達になった。
そいつは外見は抜群にいいので男女問わずいろんな奴らに声をかけられていた。
人当たりも良いからほどほどに仲良くはなっていたが、俺に遠慮しているのか、特別親しい友達を作ろうとはしなかった。
…俺だけで十分というわけじゃあるまいに。
講義のときも、休日も、大体そいつと行動していた。
そいつのおかげで同じ学科のやつくらいなら、まともに会話ができるようになった。
…新しい友達はできなかったけれど。でも俺は十分だった。
あんなに人と関わり合うことが怖かったのに、今ではすっかり忘れてしまっていた。
心の飢えは満たされていた。
だからだろう、ルームシェアをあっさり受け入れてしまったのは。あいつが困ったときのいつもの顔で、眉毛をハの字にして、本当に困ってるのかわからない笑顔を浮かべて、俺の部屋にやってきたから。
思えば、俺はあいつにいつも助けられてばかりだった気がする。
大学で孤立せずに、心が乾いてしまわなかったのもあいつのおかげだ。
同じ学科のやつと辛うじてコミュニケーションが取れるのも、あいつが間を取り持ってくれているからだ。
初めての一人暮らしでちゃんとやっていけているのも、あいつが率先して家事をしてくれて、家賃を半分持ってくれているからだ。実家からの仕送りはさほど多くない。アルバイトをしなければやっていけなかっただろう。そうならなかったのも、あいつのためでもあるけれど、ルームシェアをしているからだ。
あの3人組から電話がかかってきて、震えている俺を助けてくれたのも、あいつだ。
俺は、なにも返していない。返さなくては。
借りは、返さなくてはいけない。俺はキングボンビーになんてなりたくない。
…それに巴と離れたくない。
今、巴を迎えに行かなければ、俺たちは二度とこれまでのような関係には戻れないだろう。
それは嫌だった。
足は震えているし、口の中はゲロが残っていて気持ち悪い。
頭はクラクラする。体はだるい。
怖い
怖い
怖いっ…!
でも、このまま何も選ばずに生きていくのは、もっと怖い。
生まれて初めて自分で選択肢を選んだ。覚悟を決めた。
この選択肢がハッピーエンドに繋がるかどうかは分からない。
だけど、今この瞬間、頭の中は、気持ちだけは、どこまでも透き通っていた。
行こう。
全力疾走してやってきた道を、俺は再び全力で戻っていった。
◇◇◇
僕は池見 巴
昨日までは男だったのに、今朝になったら女の子になっていた。
正直混乱しているけれど、僕以上に混乱している同居人を見ていたら、冷静になってしまった。
人生こんなこともあるかもしれない。
それに、女の子になるというのは僕にとって悪いことばかりではない。
男二人で過ごすあの部屋は、華奢とは言え図体の大きい僕とでは狭いだろう。
今では随分小柄になったし、彼だってでかい男と住むよりは女の子と住んだほうが楽しいだろう。
そう思ったのに、まさかサブイボを出して意識を失われるとは思わなかった。
正直ショックだった。
ショックすぎて思わずメイド姿でご奉仕なんてしてしまった。今思い返してもちょっと恥ずかしい。
彼は自分の生い立ちに原因があると言ってくれたけど、むぅ。
彼には世話になりっぱなしだから、いろいろ力になってあげたいんだけどな。男のままのほうが良かったのかなーと思ったけど、メイド姿や、僕の、その、おっぱいとか、太ももとかには食いついていたみたいなので満更でもなかったんだと思う。やった。心の中で小さくガッツポーズをした。
サブイボの件もきっとそのうちなんとかなるだろう。彼自身も2次元にしか興味がなかったはずなのに、僕という3次元に興味を抱いてしまって困惑していたみたいだったし。どさくさに紛れて後ろから抱きついてみたけど嫌がってなかったし。
彼は優しい。
家事をしていたら必ず手伝ってくれるし、風邪を引いたら看病してくれる。
急に押しかけた僕を、半ば強引だったとは言え、住まわせてくれた。
それに、きっと彼は覚えていないだろうけれど、大学に入る前にも世話になったのだ。
その日大学の入試だった。
僕は田舎から出てきて慣れない都会に、完全に飲まれていた。
電車の乗り換えもさっぱりわからなかった。路線多すぎ!地下鉄複雑すぎ!都会の駅はダンジョンだよぉ!
試験まで時間がないのに、行き方がさっぱりわからない。
かといって歩いている多くの人たちはロボットのようで、みんなせわしなく早足で、声なんてかけられそうにない。
オロオロしていたら、たまたま一人と目があった。
その人は気まずそうに目を逸らしたが、少し悩んで、声をかけてくれた。
絞り出すような、かすれた声だったけれど、僕は天使の福音だと思った。
たまたま彼も僕と同じ大学を受けるということだったので、一緒に連れて行ってもらった。
彼がいなければきっと試験時間に間に合わず、浪人生にでもなっていたことだろう。
あれだけ人がいるのに、声をかけてくれたのは彼だけだった。
広い都会で、訳も分からず涙目になっていた僕を救ってくれたのは彼だった。
だから僕は、もし、試験に合格し、再び彼と会うことができたら、友達になろうと思った。
友達になってあの時のお礼を言うのだと。
だけど彼はすっかり僕のことを忘れているみたいだった。
少し悔しくなったので、あの時のお礼はまだ言わずに取っておくことにした。
そのことを彼に話せば、きっと狼狽するだろう。
慌てふためく彼の顔を想像すると自分でも意地悪だなぁと思うけど、少し愉快な気分になる。
僕は自分で思っている以上に、彼のことが好きなのかもしれない。
しかし今僕の隣にいるのは、彼ではなく、よくわからない3人組の男たちだ。
モールから出て、駅に向かって歩いている僕のことをしつこく追いかけてくる。
「ねぇねぇ〜、名前くらい教えてくれてもいいじゃん〜」
「そうそうwあ、めっちゃ肌綺麗だね〜wよく言われない?」
「ゲフスッ!wお尻形綺麗wやわらかそw」
「お前最低w」
中々後を追いかけてこないはじめ君を探して、来た道を戻ってみたら、チャラチャラした3人組に絡まれていた。助けようと思って突っ込んでいったはいいけれど、自分が女の子になっていたことをそこで思い出した。
あ、マズイかな?と思った時には見事囲まれてしまった。
どうやら自分の外見が彼らの好みにヒットしたらしい。全く嬉しくないけど。
ここはか弱い女の子らしく、やはり王子様に助けてもらいたいなと思って、はじめ君に目線で助けを求めてみたが、物の見事に逃げられてしまった。
しかも、彼女じゃないって言って。
悲しかった。そりゃ、僕は男ですし?君と付き合ってるわけないですし?女の子になったのだって今朝からだし?だからと言って、その、もう少し僕のことを気にかけてくれてもいいじゃないかなーと思う訳ですよ。
思い出したら泣けてきた。うぅ。泣きそう。
彼にとって僕は助ける価値もない人間なのかな…。
ちょっと涙目になりながら、男3人のくだらない会話をスルーし、僕は帰ろうとする。
すると肩を掴まれた。痛い。
むっとしてその男を睨む。
「なあ、無視すんなよ。あんま調子乗ってっと、なぁ?」
男たちは目配せをする。下卑た薄笑いを浮かべる。
気持ち悪い。いい加減イライラしてきた。あまりカッとなるタチではないのだけれど、いろいろ考えすぎて僕の堪忍袋の緒にはたくさんの切れ込みが入っている。
男の一人が後ろに回って、僕の両肩を押さえつけてきた。
これから何をしようとしているのかなんとなくわかる。それで僕の怒りは完全に爆発する。
「っ、いいかげんに…!」
「やめろおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!」
!?
僕が男の顎に一発食らわそうとしたところで大きな声が聞こえた。
◇◇◇
俺は走った。間に合わないかもしれない。そんな恐怖を振り払うように、ガクガクする足を無理やり動かした。
少し走った先にはあいつら3人と巴が歩いていた。
何やら言い争っているみたいだ。
男の一人が後ろに回って、巴の肩を掴んだ。
巴の顔色がサッと変わる。
その時俺の中に得体の知れない熱いものが湧き上がり、一気に噴き出した。
やめろ、やめろ、やめろっ、やめろっ!!!
「やめろおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」
こんなに大きな声が出せたのか。自分でも驚くくらいの大声が出る。
男たち3人と巴がこっちを向いた。
俺は全力疾走した勢いそのままに、巴を掴んでいる男に突っ込んでいった。
しかし、足はガクガクしていて、イマイチ言うことを聞かない。
あ、やば。
そう思った時にはどうしようもなかった。
俺は足をもつれさせて、素っ転んだ。
だけど、巴から離さないと!そう思って転んだ勢いそのままに両手を付いて、一回転し、カカトを男の顎にめり込ませることに成功した。
めきょっ
「ブゥッ!!?」
俺は大の字に寝転がったが、カカトを顔面レシーブした男も鼻血を出しながらすっ転んだ。
「はじめ君!?」
唖然とした顔で巴がこちらをみている。
「て、てめぇ!!!?何してるかわかってんのか!?なんなんだよ!!」
男の一人が俺に向かって唾を飛ばして叫ぶ。
体をゆるりと起こして、相手の目をみて、言ってやる。
俺はもう逃げるのはやめた。うんざりだ。見ないふりして、自分の行いを棚に上げて他人を卑下して、自分を卑下して。周りに何かを求めるのはやめだ。
欲しいものは、俺が、自分の手で掴み取ってやる。
「俺は、こいつの、彼氏だよバーロー!!!」
そのあとのことはよく覚えていない。
何発か殴られたが、成り行きを見ていた通行人が警察を呼んでくれて助けてくれた。
そしてそのまま事情聴取もされた。
厳重注意をされたが俺と巴はそのまま解放された。
あの3人は他にも色々とやらかしていたらしく、詳しく署で話を聞かれているようだ。ざまぁ。
すっかり暗くなった帰り道を巴と二人で歩く。
巴も俺も、ボロボロだ。
俺が殴られているのを見た巴は、カッとなって、女の細腕だというのに男を拳でふっとばしていた。
少し武術をかじっているらしい。
俺助けに入る必要なかったんじゃねえか。
そう思ったが、巴がなんだか嬉しそうな顔をしていたので言わないことにした。
「ねえ、はじめ君」
「ん?」
「僕の彼氏だって、言ってたよねぇ?」
「ぅ、そ、それはだな…、なんつうか、その…」
口ごもる俺に向かって、スッと右手を差し出してくる。
「暗い夜道、彼氏は普通どうするのかな?」
しばらく逡巡したが、手を引っ込める気配がないので、仕方なく左手で握ってやった。
「よくできました」
教え子の成長を喜ぶかのように、長年の願いが叶ったかのように、巴は優しく、本当に嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔のせいかどうかは不明だけど、サブイボが出なかった。
柔らかな月灯りが二人を照らす。
辺りは静かに虫の声が聞こえていた。
ふと見上げた空には一面の星がまたたく。そういえば今日は7月7日だったっけ、あれは天の川かな。
「あ、一個言い忘れてた」
「なんだい?はじめ君」
キョトンとした顔でこちらを覗き込んでくる。
空いていた右の手で、今は俺よりも低くなった巴の頬を、軽くつまむ。
「誕生日おめでとう。巴」
困惑と、喜びと、怒りと、いろいろな感情が綯い交ぜになったような、複雑な顔をしていた。
だから言ってやった。
「お前の表情は、難しい」
そう言うと巴は目を潤ませて破顔したのだった。
「きみのせいだよ、はじめ君っ」
巴が女の子になった原因は今のところ不明です。
もしかしたら続きを連載で書くこともあるかもしれません。
そのときははじめと巴をよろしくお願いします。