二話『旅立ち』
俺は周りを囲まれていることに気がついた。気配というか、存在というか、そんなものが感じ取れたのだ。俺、別に達人でもなんでもないのに。
俺のやたらと鋭敏な五感を持って視界に映らない敵の位置を確認する。
頼りにならない視界を閉じ、敵の正確な位置を探り当てようとし…………
「ッ! くそっ!」
襲い掛かられた。
俺が目を閉じた瞬間、後方から風のごとく俺の胴体めがけて跳んできたのだ。
俺はなんとか知覚してよけるものの、わき腹を少し抉られた。
血が服に滲み、その部分がジクジクと痛む。多分激しく動いたらもっと痛むんだろうなぁ。
そんなことを考えながら俺は目の前の敵と周囲の敵に意識を払う。
数は、七。つまりまだ隠れているのが六もいる。
そんな危機的状況で俺は…………嗤った。
歯を剥き出しにし、ニタリと嗤う。
痛い、怖い、死ぬかもしれない。
それらが俺の人生に足りなかったもの!
俺は今ここでそれに気がついた。
あの頃とは違う生死をかけた殺し合い。それに伴う痛み、恐怖。
社会という籠に囚われ階級という絶対的なものを盾に一方的にやられるのとは違う。油断すれば殺られる。相手が油断すればこっちが一矢報いる。力が全て。力こそ正義!
物語の主人公たちが力を手に入れて尊大になる理由が分かった気がする。
せっかく手に入れた力だ。使わないと面白くないだろ?
俺はまずは目に見えている敵を排除するため地を蹴った。
最初の一匹を片腕を犠牲にして殺し、二匹目を頭からの出血で片目を防がれながら殺し、三匹目を相打ちのような形で殺した。
しかし現在四匹目。俺はまさに満身創痍といった風体でそいつと対峙していた。
そいつは銀色の体毛を持ち、強靭な四肢で地を駆ける狼と思わしき生物。瞳孔は立てに裂け、瞳は黄金に輝いている。
こいつもでかさは相当なものだ。身長百六十ほどで体重五十ほどもある俺でも余裕で乗せて走り回れそうだ。
そしてこいつはどうやらまた一匹で戦うようだ。
今までの三匹は何故か一匹ずつ戦ってきた。七匹全員でかかれば確実に一匹も犠牲にせずに狩れたのに。
まあ俺にとっては好都合。しかしそれも今となってはどうでもいい。
もう俺に戦う力は残っていない。次襲い掛かられたら死ぬだろう。
だから俺は――――――逃げる。
「ッ!?」
後ろで驚愕した雰囲気を感じたが俺は気にせず駆ける。
わき腹やブラブラと使い物にならなくなった左腕、頭の傷の痛みに顔をしかめながらも俺は無事な足を精一杯大きく速く動かす。
一瞬呆けていた狼だが、すぐに俺を追ってきているようだった。鋭敏な感覚で感じられる。ついでに残りの三匹もついてきているようだ。
俺は走る、走る、走る!
俺の化け物な脚力にはなかなか狼も追いつけないようで結構長いこと逃げれていたように思う。
と、前方がやたらと明るいように見える。
「でっ、ぐち、かっ?!」
その明かりから俺は思わず出口と思った。
外に出れば人に会うかもしれないし、木を使って三次元的な動きをしてくる狼の強みも半減するかも知れない。
そんな僅かな望みから俺はそこへ向かって足を更に加速させる。
そして俺はそこにたどり着く。
そこで俺が見たのは見渡す限りの大草原……ではなく、街道……でもなく、ただの木の開けた場所……でもなかった。
そこにはただ一本の木が立っていた。
神々しく、見てるだけで心が安らぐ、不思議な木が。青白い燐光が辺りを散りばめるのもこの木の神々しさを引き出しているようにしか思えない。
俺が思わずその木の前で立ち尽くしていると俺を追っていた気配がある一定の範囲から入ってこなくなった。
「どういう、こと、だ?」
そう呟きながらも俺は確信していた。
この木には神秘的な力が働いているのだ、と。
とりあえず身近な危機が去ったことで俺は力が抜けてへたり込む。
周りを見てみれば、ここはこの神々しい木を中心に半径十mほどの円の中には木が一本もない。まさにこの部分だけあとから来た様に。
その証拠に、そのここの中と外の境界線は土の色が変わっていた。
視線を下げてみれば俺の体の肉がジュクジュクと音を立てながらうごめいていた。
「うわぁ!」
あまりの非現実的な光景と気持ちの悪い光景に俺は思わず声を上げた。今更感がすごいが……
どうやら俺の体は破壊と再生を繰り返しているようだった。いや、ちょっとかっこよく言っただけで単純に言えば傷が治っているっぽい。
「……ここは治癒のような効果もあるのか……」
俺は心の底から安堵する。
血はかなりの量を失っており、これ以上流してたら危ない気がしていたのだ。今も結構意識が朦朧としているしな。
魔物が寄り付かず、治癒の効果もあるこの結界のような場所。
「よし、ここを拠点にする」
俺はそう独り言を言うと緊張の糸が切れたのか一気に視界が闇に呑まれていった。
俺がここに来てから三年ほどの月日が経った。
木の周りの地面が結構な数の正の字で埋まっているから多分あっているだろう。とりあえずたくさんの年月を過ごしたことは間違いない。
既に俺の実力はこの森で一番となっていた。
この世界にはレベルのような概念があるのか、敵を倒すたびに俺の力は上昇していった。
戦い方も身についた。それは到底武道と言える物ではないが、効率的な身の使い方は身についたはずだ。
野営の術も気配の察知の仕方も消し方も、野性に生きるために必要なものはほとんど手に入ったように思う。
思えば最初は酷かった。ビクビクしながら森へと入り、敵に見つかり、戦って、命からがら拠点まで戻ったり。知らない果実を見つけては拠点に入ってから食べてみたり。それが毒だったときはやばかったなぁ。痛みで気が狂うかと思った。それでも拠点の木は治してくれるんだが。
俺は拠点の木を見てしばし感慨にふけり、それを払うように頬を張る。
「うっし、そろそろ行くか」
元々俺はこの森を出るつもりだったのだ。
それがまずは力のなさで返り討ちに会い、それを克服してもサバイバルの技術がなくて返り討ち。それを克服したら今度は知っている食べ物がなくなり未知の食べ物ばかりで、知識がなく断念した。
そして数多の条件を克服し、今こうして俺はここを出ようとしている。
ぶっちゃけここで強くなることも楽しかった。まるでゲームのごとく上がっていく力が。ゲームと決定的に違う生死を分ける命がけの殺し合いが。そして何より敵を殺したときに得られる多幸感。
しかしどれも強くなりすぎた俺にとっては感動が薄くなってきてしまった。
故に俺はここを出る。一人もなんだかんだでいいけど他人がいた方が面白いからな。……仲間はいらんけど。
俺は目の前の木を見上げてその太い幹に手を触れる。
「今までありがとな。俺はもうここを出るよ」
木に話しかける人をどう思うか。
可哀想、寂しいのかな、頭がおかしい。
俺もそう思うがそれでも俺は話し掛ける。だってかなりの年月を共にしてきたいわば相棒のようなものなのだから。
「だから、さ。…………これ、もらってくね?」
そう相棒だ。
相棒なら一緒にいなければいけない。
だから俺は垂直跳びで跳びあがり、枝の一本を手刀で断ち切る。
青白い僅かに燐光を放つ枝は簡単に切れ、俺の手に収まる。
それは木の切れ端だが、確かに力を感じるものだ。
俺はその長さ五十cm、太さ直径三cmほどの真っ直ぐな枝を自分で作ったリュックサックの中へとしまう。中には他にも、強かった敵の部位が入っている。牙や爪、毛皮などだ。金になればいいなぁ、とか何かを作るときに役に立ちそうだ、という理由からだ。
そして運動会の大玉ころがしの玉ほどの大きさを誇るリュックサックを背負い、俺は木に背を向ける。
「あばよっ……!」
そして俺は駆け出した。俺の楽園を捨て、外へと羽ばたくために!