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仮面協奏曲  作者:
6/7

おまけ

 がつん、と寝台を蹴ると、三秒くらいあとにくぐもった声が返される。

 もぞもぞ動いた塊は、布団の隙間から真っ赤な目をのぞかせた。凛子はそれに眉を寄せたまま、痛む咽喉から声を押し出す。


「……朝ですが」


 声はかれていて、低くかすれていた。

 それに布団の塊も似たような声で返す。


「……無理」

「無理ってなに。夜は明けちゃったんですよ。朝っていうか、もう昼です」


 イラッとしたことを隠しもしない凛子は、吐き捨てるようにそう言うといっそう顔をしかめて米神をおさえた。

 対する布団の塊は、さなぎが羽化するようにゆっくりゆっくり腕を出し足を出し、ようやっとランスロットになる。げっそりした土気色の顔で、壁にもたれて立った凛子を恨めしそうに見上げた。


「無理。今日はやめる」

「……いいんですか、そんなので」

「俺がいいっつったら、いんだよ。やめだ、やめ。おまえだって、しんどいだろうが」


 ううっとうめいたランスロットは、ベッドから立ち上がれずに頭を抱える。くぐもった声にも力がない。が、凛子にはそれを気にするほどの気力はなかった。

 節々が痛むし、だるい。

 髪もぐしゃぐしゃだけど、もう今さらそんなことを気にする間柄でもない。それを昨晩再認識した。ここまでお互いをさらけ出せば、取り繕うなんて無駄だ。

 米神をもみながら凛子は居間へと向かう。すると、後ろの気配ものそりと立ち上がってそれに続いた。




 ぐったりと居間のテーブルに突っ伏す。窓の外はよい天気らしく、カーテンの隙間から日が差し込んでいるが、その明るささえも目に痛い。頭に居座る鈍い痛みが存在を主張してきた。

 なにもしたくない。動ける気もしない。包丁研ぐなんて無理。ベッドからここまで移動しただけでも褒めてもらいたいくらいだ。

 朝起きて、悲鳴を上げる体……いや、どっちかというと頭と胃を叱咤して、凛子がまずやったのは井戸から水を汲み上げること。

 おえおえとえづきながら、手桶一杯だけ水を汲むと、手ですくってぐいと胃へ流し込んだ。四回。腹で水が動く音がするまで飲んで、ぷはーっとひと息つく。ほんのちょっとだけ目が覚めた。

 ぐらぐらする頭のまま、水を床にこぼしているのを無視して今度は台所で水差しを満たす。それから、凛子はようやく師匠を叩き起こすことにしたのであった。


 我ながら、朝からよく動いた。

 水差しから乱雑に水を注いで、ごっごっと飲み下している男を前に凛子は自画自賛した。

 そろって、ひどい二日酔いである。

 昨日が花祭りで、女神にささげる剣にランスロットの作品が選ばれ、それで国王陛下が舞ったのだけれど。もう、すごかった。町の人たちが祝福してくれて、飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎ。

 人々に背を押されて酒場になだれ込み、真昼間から日付が変わるまで。途中から、凛子もランスロットも吐きながら飲んでいた。何度ジョッキを空け、トイレに駆け込んだだろう。月が真上にのぼったころ、そこはもう死屍累々。つぶれた男たちであふれかえって悲惨な状況だった。

 そこを抜け出した帰り道もまたひどかった。足取りもおぼつかないふたりで、道に広がりながら帰った。千鳥足のお手本だったはずだ。

 道端にしゃがんで吐いて、それにまたもらいゲロして。ふらふらと歩いて、なんとか鍛冶屋にたどり着いたときにはもう空が白んでいた。それから各々のベッドに倒れ込んだわけだけれど。


 今はもう、すっかり陽が高いところにある。

 ぴっちり閉めた店の扉を、さっきから何度も叩く音が聞こえているが全部無視して、ふたりはテーブルに一体化している。凛子を叩き起こしたのもこの音である。

 ドンドンドン! ランスロットさーん!!

 俺の剣! 俺の剣造ってください!! お願いします!!

 私のをお願いします! あのすばらしい剣を拝見して! 是非! 是非にも!!


「……ランスロットさん」

「あ?」

「いいんですか、外」


 しゃべると自分の息でテーブルがくもる。突っ伏しているから見えていないが、妙な湿気を感じた。そして酒臭い。鼻は麻痺しているはずだが、凛子は自分が酒に浸されているような気さえしてくる。

 だるだる口を動かした凛子に、同じくテーブルに崩れ落ちているランスロットは酒臭い息を返した。


「……るせーな」

「……頭に響きますね」


 ふたりして頭をおさえる。ドンドンと扉を叩く音にあわせて頭痛がする気がして不快度数があがっていく。

 もう陽が昇り始めからずっとこんな調子、だったと思う。

 そんなに呼んでも出てこないのだから、いないとは思わないのだろうか。それとも、居留守がバレているのか。どっちでもいいが、とにかく諦めてもらいたい。


「リン」

「なんです」

「今日はもう無視しろ。絶対音立てんなよ」

「いいんですか、それ」


 凛子が痛む頭を起こすと、片頬をテーブルに押しつけたランスロットがかすれた声を絞り出す。


「出てったって仕事になんねーよ。追っ払うのも面倒くせー」

「たしかに」


 くっそ、飲みすぎた。悪態をついたって、そんなことは百も承知だ。

 おえおええづくのもお互いさまで、呼吸する屍なのも同様。今日はもう、外とは遮断した生活をしよう。

 うなずいた凛子は、ぐっとこみ上げる吐き気をこらえながら立ち上がった。ぜんぜん酒は抜けていない。ただ、水をしこたま飲んでいるおかげで、体は分解に全力を注いでいるはずだ。うっぷと口をおさえながら、ふらつく足でトイレへと向かった。




 花祭りは国をあげた祭りだ。

 そこで今年はロッチェの剣を募って、見事に選ばれてしまったのだからランスロットの知名度は一層上がってしまった。もともと腕のよい鍛冶屋として評判ではあった。そこにやたらと箔がついてしまったわけだ。

 その証拠に冒険者たちの声が途切れてくれない。絶賛聞こえないふり中である。


「……やべえな、俺、途中から記憶ねえぞ」


 名匠と称賛された鍛冶師は、昨日の華やかさなんて見る影もなくげっそりしている。

ロッチェの花にほほえんでいた凛子も、今は三徹でもしたようなひどい顔だ。

 表でどんなに冒険者たちが騒ごうとも、ふたりともトイレに行く以外椅子から立ち上がっていない。

 ランスロットが呟いた言葉に、凛子は酒場での騒ぎを思い出して米神をもむ。


「わたしも抜けてる。……なんだっけ、すごい人数でカードやりだして」

「ああ、それは覚えてる」

「じゃあ、一番に抜けた八百屋の息子と、ドベだった帽子屋の息子が罰ゲームでキスしたのは?」

「げえっ! 知らねえ。……覚えてなくてよかった」


 普通は一番にあがるのがよいとされるが、それではつまらないと言い出したのは誰だったか。

 おかげで、序盤はカードが揃わないように神経を使わなければならなかった。八百屋の息子が一番に抜けたときの悲痛な叫びと、周りの盛り上がりはすごいもので。

 男ふたりを思い浮かべたのだろう。心底嫌そうに顔をしかめてからほっと息をついたランスロットを、凛子は恨めしく見やった。

 自分はばっちりそのときの光景が焼き付いている。そこは忘れたかった。八百屋の息子が悪乗りして、帽子屋の息子を喘がせるほどのディープキスをかましたことなんて、すっかり忘れ去りたかった。ぜひともそこで酒の力を発揮してほしい。

 憮然として、凛子はさらに昨夜を振り返った。


「帰りながら、ランスロットさんにゲロかけられたのは覚えてる」


 ランスロットは腕に顎をのせた格好で凛子を睨む。


「……おい、酒場でゲロってるおまえを介抱しただろ。それぐらい許せよ」

「そのあとで便器に顔突っ込んでたランスロットさんを介抱したの、わたしなんですけど」


 うっと言葉に詰まるランスロットにほんのちょっとだけ溜飲を下げ、凛子はもう何杯目かになるかもわからないグラスの水を胃へと流し込んだ。昨日はこれが水じゃなくて酒だったんだ。本音を言うと、もう水分はほしくない。飲むという行為がしんどい。でも、水を飲まないとアルコールが排出できないわけで。

 おまけに咽喉のがらがらは相変わらずだ。凛子は三回咳払いをしてみたが、ちっともすっきりしなくてイラッとする。イラッとしたついでに、嫌なことまで思い出してしまった。


「だいたい、ランスロットさんがセクハラするから、他の人だってまねするんですよ」

「あ?」


 胃がむかむかするのは、今ばかりは酒のせいだけではない。

 向けられた灰色の瞳に凛子はむっつりと返す。


「酒の席だからってことで許したけど。まったく、胸触ってくるとか調子乗りすぎ」


 みんなひどく酔っ払っていたから、逆に盛り上がってしまったけれど。いいぞー! もっとやれー! リン俺も俺も!! なんて感じに。


「……誰」


 はやし立てる声と、胸をつかんできた手を思い出して忌々しげに舌打ちした凛子は、低いランスロットの声にため息をこぼす。


「八百屋の息子。口直しでキスしよう! とか言って抱きついてきたから、思いっきり耳引っ張ってやったけど」

「……ふーん」


 不機嫌な声が、低く相槌を打った。

 なにか言われるかと、凛子は続きを待ったけれどランスロットが口を開く気配はない。なんだよ、セクハラにコメントはないのか。文句のひとつでも言いたいところだが、こみ上げてきた吐き気と一緒に飲みこむしかなかった。




 陽が沈むころになっても、店の扉を叩く音は続いた。

 冒険者たちが代わる代わる訪ねてきているのだろう。そのうち扉が壊れるんじゃないか。


「ほんと、うるせーなあ。これが続くのかと思うと勘弁してもらいてえな」


 少しだけ回復したランスロットの呆れ声に、凛子も食器を拭きながら肩をすくめる。

 ようやく落ち着いてきたから、胃に優しいものということでキャベツのスープを作った。それをゆっくり胃に収めたあとである。


「しょうがないじゃないですか、あの剣を打ったんだもの。冒険者は群がるでしょう」


 料理した窯の煙が冒険者を呼び寄せた気がしなくもないが。とりあえずふたりは、知らぬ存ぜぬ聞こえぬを貫いている。

 食器棚に器を重ねる凛子に、椅子に座ったままのランスロットは頬杖からそっと灰色の瞳を向ける。


「……リン」


 凛子は布巾を手に振り返った。


「なに?」

「ちょっくら旅にでも出るか」

「は?」


 なにを言い出すんだこの人は。

 目を真ん丸にした凛子に、ランスロットはふざけた様子もなく淡々と続ける。


「ほとぼりが冷めるまで、てきとうにぶらつくのもいいじゃねえか。おまえほかの町、見たくねえ?」


 首をかしげる男に、凛子は即答した。


「見たい」


 この一年、凛子はこの町から出たことがなかった。

 冒険者たちの話しから、ほかの町の様子をたくさん聞いてはいるが、今までいた世界とは違うこの世界をもっと見てみたい。いつか自分の目で見よう。そう思っていた。それをランスロットは察していたのだろうか。

 まっすぐと男の顔を見つめる。ランスロットはふっと目元をくずして凛子に笑った。


「じゃあ決まり。支度しろ。できたら出かけるぞ」

「えっ、今から?」


 それはいくらなんでも早くないか。もっと準備って必要なんじゃないか。

 裏返った声にランスロットは立ち上がって伸びをする。んー、と胸を張るとパキッと骨が鳴ったのが凛子まで聞こえた。


「いいだろ別に。中途半端にしてる依頼もねえし。――ああ、八百屋にだけ顔出してくるわ」


 がしがし頭をかきながら、ランスロットは居間から出ていく。

 店の前を避けて裏口から外へ出るつもりなのだろう。迷いのない足取りは家の裏手にむかった。


「なんで八百屋?」


 いぶかしげな凛子の声に、返事はない。






【信愛なるR様へ


 誰かさんのおかげでまわりがうるせーから、うちのアレとしばらく出かけることにした。帰ってきたら土産渡すわ。


ロッチェのRより】




「これはまた……」


 顔を腫らした八百屋の息子が、預かりましたと手渡した一通の手紙。

 鍛冶師のランスロットさんからです、と添えられれば表に書かれた【親愛なるR様へ】が誰を指すのかすぐにわかった。

 八百屋の息子はレスター宛だと思ったようだが、彼はその手紙を迷うことなくルーヴェンス国王陛下のもとへと持参した。万が一のこともあるため、レスターが内容を検分する。

 思わず眉をしかめると、隣から覗き込んだルーヴェンスがおかしそうに笑った。

 簡素な封筒から出てきた羊皮紙には、優雅さとはかけ離れた、右肩上がりの文字が並んでいる。何度か見たことのある、ランスロットの手蹟だった。


「そう怒るな。国王へ宛てた手紙など、あの男が好むはずもない。時間も惜しくて、格式ばったことを避けたのだろう。あの者らしいではないか」

「それは、そうですが」


 内容も、もし誰かに見られたとしても、レスター宛として通せるものだ。しかし、もっと他に書きようがあるだろう。

 渋い顔の護衛に、国王は楽しげだ。

 あの鋭くうつくしい剣を、この国の王は称賛している。そしてあの剣が今、鍛冶師へもたらした影響も想像できた。扉を叩く音へのしかめっ面さえも。


「リンもいることだ、ほかの町を見てまわることで見聞も広がる。帰って来たときが楽しみだな」


 鋼に向き合う横顔を思い浮かべたルーヴェンスに、ぽつりとレスターが独特の低い声をこぼす。


「……しばらく、とはどれくらいのことを言うのでしょうか」

「曖昧ではあるな。さて、どうだろう。……次の花祭りにいないつもりだろうか」

「さすがにそれは……ないとも言い切れませんが」


 期間をはっきりと明かさなかったことは、あえてのことと推測できた。リンとは違って、具体的に教えて相手を安心させようなどという親切心など、あの男にはない。それに、今の騒ぎにうんざりしているのなら、日取りなど言いたくもないだろう。

 彼らがいないとわかれば、また町はひと騒ぎするかもしれない。それを思うと平和でほほえましいが、ランスロットへの呆れの気持ちもないと言ったら嘘になる。ルーヴェンスは苦笑を浮かべた。


「風の便りを待つしかなかろう。あの店で金槌の音が響けば、聞かずともすぐに話は届く」


 いなければ騒ぐだろうし、帰ってくればまた騒ぐ。

 周りが踊らされることは目に見えていた。それだけ、あの鍛冶師と見習いは町の人々や冒険者に愛されている。彼らが築き上げてきたものだ。

 ルーヴェンスはよく晴れた空に目を向ける。風に揺れる木々にまざって、白い花弁がふわりと舞った。


「しかし、しばらく寂しいな」


 空を踊る白いロッチェ。

 眺めていると、ため息がこぼれた。すると、傍らの男もようやく眉間のこわばりを解く。


「左様でございますね」


 素直に返事をしたレスターに国王はほほえんだ。しかたがない、土産とやらを待つとしよう。

 ルーヴェンスは【親愛なるR】へ届いた手紙を、丁寧に机の引出しへしまうのだった。


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