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仮面協奏曲  作者:
1/7

1 側室の憂鬱

 できれば人生楽しい方がよい。当然であるこのことに、わたしは今、唐突に行き着いてしまった。

 こぽぽぽぽと注いだ香りたつ紅茶は煉瓦色で、茶葉がカップの底でくるりくるりと踊っている。

 ちょっと濃すぎたか。横にいた相手も液体の色を見てあからさまなため息をこぼしたので、あらためてそう実感した。人生いろいろあるものだと遠い目をしちゃうくらいには、この状況から逃避したい気持ちだ。

 そうだよ、辛いことより楽しいことが多いほうがいいに決まっている。

 そんな当たり前のことに思い至ると、今着ているこてこてのドレスも、ウエストを締めつけているコルセットも、何カラットあるのかと触るのもためらうエメラルドのネックレスも、優雅な仕草はすべて手の動きが重要ですよ! と息巻いている教育係も、なにもかもが馬鹿馬鹿しく見えてしかたがなかった。


 指先をそろえて、手首をしなやかに! かしゃんと、これでも気をつけたからほんのわずかな音しか立てなかったのにすかさずのお叱りが飛んでくる。

 いやいや、ため息をつきたいのはこっちなんですけど。なんで茶を淹れるのにここまで気をつかわなければならないんだ。適温できちんと蒸して、おいしければいいじゃないか。茶会は本来憩いの場なんだから、そんな気をつかわなければならない相手とお茶するなんて嫌だよ。

 お湯がもうないですわね。今日はここまでとしましょう。

 鼻からふんと息を出した相手に、どうもありがとうございましたと頭を下げながら、その角度とドレスを持つ手つきまで注意しなければならないだなんて。馬鹿馬鹿しいったらない。


 やっとひとりになった部屋で、わたしはどっかりとソファーに身を投げ出した。

 アンティークな装いの家具たちに囲まれて生活するのは、イメージと違わぬご貴族様。もっと言うなら、ここは城の一室であって、住まう人は王族が中心である。

 わたし、神谷凛子にはものすごく肩身の狭い場であることは一目瞭然。なんでここにいるんだろう、なんてもうこのひと月あまりで三千回くらいは考えたはずだ。

 淹れたばかりの濃い紅茶をごくりと飲む。添えられたクッキーもあるし、いいじゃんこれだって。ミルク入れるなら、これくらいがいいって人もいるよきっと。

 誰も彼もが向けてくる値踏みする不躾な視線を思い浮かべると、紅茶の苦味がいきなり増したかのような気持ちになった。




 わたしはごく普通の社会人である。

 実家の近くにあった金融機関に就職して二年。彼氏とは大学からの付き合いで倦怠期ではあったような気もするけどそれなりの関係で、たまに料理教室に通うようになったり貯金もたまってきたりと、そこそこ充実した生活を送っていた、はずだ。

 女子の多い支店に配属されたからか、人間関係は苦労を強いられた。


 上司である女性は仕事をバリバリするが、気分に左右されることも多く理不尽に叱られることは誰しもが経験しているし、彼女の依怙贔屓もなかなかのものだ。お気に入りの新人男子に甘ったるい声で仕事を教えているのには、苦笑をとおり越してドン引きである。

 わたしの二つ上になる先輩は美人だけれど男の人に媚を売るし、どんなにお客さんが多くて待たせていたとしてものんびりゆっくり手続きをする人。

 しわ寄せがわたしにくるのでやめてもらいたい。これでわたしより給料もらってることを考えると、恨み言しか出てこないから割愛します。美人だからって許されるわけじゃないと思うんですけど。美人て得だなあ畜生。上司は上司で、そんな先輩怒ってくれないしさあ!

 逆に、共済の主任はちょっと抜けてるところがあるけど親身になってくれる人だ。係をまたいで仲良くしてもらっているが、そこが気に入らないのかたまに上司には嫌味を言われてしまう毎日だった。

 そんな我が職場の支店長は弱腰の中年男性だから、お姉様方に強くは言えずに実質上幅を利かせているのはわたしの上司で、板挟みになったり踏み台になったり捨て駒になったりと、下っ端のわたしは仕事内容以外のところで疲労してしまう。社会人ってきびしい。


 六月の半ば、美人先輩が結婚することが決まって式に呼ばれた。相手は公務員なのだそうだ。そりゃあ結構なことで。

 あまり気乗りしないけど、同じ職場で席も隣、係りも一緒。わたしが逆の立場ならやはり招待しただろうし、むしろハブにされなかっただけいいのか。

 去年友達の結婚式に出たときに着た、クリーム色のパーティードレスにレースのショールを合わせて、おじいちゃんが作ったシルバーリングをはめる。

 うちのおじいちゃんは手先が器用な人で、一時期シルバーアクセサリー作りに凝った。シルバークレイでちまちまとやり始め、粘土を使い終わると今度はロストワックスに着手。蝋を削ったり彫ったりして形を整えていくこのやりかたにハマって、二人して週末にせっせと作ったのはいい思い出だ。

 そのときの会心の出来であるリングは、やや細身なのに中央をぐるりとフィッシュボーンの網目が走り、指輪の縁は波打つ曲線がなめらかに走っている。


 当日、そんな準備をすませて会場に向かったわたしは、けばけばした化粧の上司にうっかり捕まって、気の入っていない自分の化粧にあれこれと小言をいただいた。

 こんなことだろうと思ったわ! 妙にお姉さんぶった顔で意気込んだ上司は、結婚式という場であるためか機嫌がよい。これとこれとこれを使いなさいと、付け睫毛と接着剤、ゴールドラメのアイシャドウ、サーモンピンクのチークを押し付けられた。上司の年と見た目にはずいぶんと合っていない代物に見えたけれど、賢明に口を閉ざすことにする。

 先輩の結婚式だから気合い入れなくてもよさそうだけど、逆らって般若化されるのも気が引けるので、礼を述べてからしずしずとトイレに向かった。一応自分の化粧品も一式持ってきているから、もうここは潔く派手メイクをがっつりするか。


 こうして、アイラインと付け睫毛とマスカラで縁取られた目はいつもの一.五倍になったし、ラメやらパールやらで肌はキラキラすべすべだし、グロスでぷるるんとなった唇とピンク色の頬で、誰だこれ、な顔になった。パーティーみたいなものだし、派手でもまあいいだろう。

 鏡の前でショールを直す。右胸のちょっと上に、ぽつりとほくろがあるので見えないように整えた。いや、別に見えてもいいけど。なんか恥ずかしいじゃん。

 文字通り化けたわたしは、トイレをあとにしてまっすぐと会場に向かい、入り口にたたずんだ式場スタッフの開けた扉をくぐる。

 まさか、そのスタッフのさわやかな笑顔が日本で最後に見たものになるなんて思いもせず、足を踏み出したのを合図に、わたしはこの世界にさよならを告げたのである。




 わっと花吹雪が視界をいっぱいにして、まぶしい光があたりを一面に包んだ。

 床が抜けた。わたしが瞬時に思ったのはそれである。

 踏み出したはずの足は床の感覚がなくて崩れ、加えて、視界はホワイトアウトしたみたいに花びらで真っ白。その場に落ちるようにして転げたわたしは、呆然と腰を打った痛さを感じていた。

 わあわあと歓声と光に包まれている。

 花びらの雨がおさまると、目に飛び込んできたのはたくさんの――それこそ先輩の結婚式なんて話にならないくらいの大勢の人たち。大きな広場のようなところだった。一様にみな歓喜に沸いたその顔が、ぽかんとしたわたしを認めるが早く驚愕の表情へと変わった。どよめきにわたしの肩がびくりとはねて、ショールがはらりとこぼれる。

 抜き身の剣を持ったおとこが、ヘーゼルの瞳を見開いてわたしの前に立っていた。


 簡単に言うと、異世界でした。

 混乱するわたしにわっと駆け寄った兵士たち、それを制したヘーゼルの男。

 名前は? との問いに、わたしは神谷凜子ですと名乗った。そしてわたしはカーミャリーコという名になって、その男の四人目の側室に迎えられることになったのである。

 話が飛びすぎだって? そんなの、わたしが一番そう思うよ。なんで側室なんだよ。あの人王様だったのかよ。

 わたしがこの世界に落っこちたとき、王都の中央広場では花祭りの式典の真っただ中だったそうだ。王様が披露する剣舞が一番の見せ場である、年に一度の国を挙げたお祭り。

 剣舞が終わったそのときに、国花であるロッチェを民衆が降り注ぐように投げることが習わしになっている。ロッチェは八重桜のような、花弁のふわりとした白い花である。この世を産み落としたとされている母なる女神が、ロッチェを植えて大地を肥やし、命を奪うのではなく舞うために使った剣を愛したといわれているのだそうだ。

 その真っ白な花吹雪のなかに突然ドレスを着てめかし込んだわたしが現れた。そりゃあもう、お祭りの熱もあったし妙な盛り上がりをみせたんだよ。なんでこんなに大騒ぎになるのか、自分の状況もさっぱりわかっていなかったわたしに祭りやら女神やらを教えてくれる人はおらず、ただただ呆然と、差しのべられた手に困惑するしかなかった。

 女神降臨と息巻く貴族と、王の命を狙う不届き者と憤慨する貴族とに真っ二つに割れた王宮は、すったもんだのすえに自称異世界の住人であるカーミャリーコを王の側室に迎えることで合意した。


 意味がわからない。なんで合意になるんだ。めずらしいから手の内に置いておきたいのと、不審人物ならなおさら目が離せないからなのか。さっぱりわからない。

 結局、右も左もわからない状況で、部屋に缶詰にされて三日過ごし、四日目のその晩に結婚式になった。

 誰って、わたしのである。美人先輩の式に出れなかったからって、こんな世界からの気づかいはいらない。

 それなのに、この国の状況もわからないし、外に放り投げられても無一文でのたれ死ぬしかないわたしは、長いものには巻かれろということで周りに流されるがままの婚儀を迎え、否応なしに側室第四号となったのである。

 式は夜に行われた。城の人たちや王様の重臣たち、探り合いをする貴族たちに囲まれて過ごす間、わたしはひと言も発することなく、夫になるその人の横で気配を殺して儀式の終わりを待った。

 結婚式といえば、あなたは誰某の夫となることを誓いますか~誓います~、とかやるのが一般的だけれど、これは曲がりなりにも国王の婚儀であって、誓うもなにもないらしい。本当にひと言も話さぬまま式が終わって、そのまま侍女たちに囲まれて湯浴みをし、香油を塗られると今度は夜着に着替えさせられた。


 つまり、そういうことである。婚儀のあとには、初夜。お決まりだ。結婚して夫婦になったんだもの、イエスイエス。そうだよね。なにが起こるかわかっちゃいるだけにいたたまれない。

 逃げ出そうとも考えたが、結婚式のあとである。警備だって整えられているわけだし、現に部屋の外には見張りが立っていて、ここは飛び降りることができない最上階。人間諦めも肝心だと思った。

 王様とは花祭りのあのとき、わたしを支えてくれていた十分くらいの間しか会っていない。缶詰にされたときに訪ねてくることもなかったし、婚儀のときは未知の儀式に混乱していたのに加えて、コルセットなんて年代物の道具でぐいぐい締め付けられたおかげで隣をうかがう余裕すらなかった。

 何回ため息をこぼしただろう。王様はたぶん三十代くらいの壮年男性で、たぶんすらっとした背格好をしていた。たぶん。顔はうろ覚えである。旦那になった人の目がヘーゼルだったことしかわからないとかどうよ。生理的に無理! な人ではないはずだけれど、歓迎できることじゃない。

 きぃっと小さく扉がうなった。ああ、もう逃げも隠れもできない。諦めよう。どうか、王様に気に入られませんように!

 夜の闇は月明かりくらいしか頼るものもなく、大きなベッドの上で貝のように固まっていたわたしは、顔も名前も知らないそのおとこに文字通りもらわれてしまったのだった。


 側室としての生活はおろか、この国での生活さえもままならないのだから、次の日からみっちりと仕込まれることになる。それがこの紅茶云々やら、ドレスの裾やら、優雅な振る舞いにつながってくるんだけど。

 とりあえず、結婚式仕様のこてこてした格好を毎日続けている。化粧を落としたら別人過ぎて侍女たちが絶句していたことを気にしているわけじゃないが、断じてないが、顔を作ることで虚勢を張れるような気になったのだ。

 神谷凜子とフルネームで名乗ったが最後、その発音がうまくできない現地人にカーミャリーコが名前だと思われて、もういっそ別人になったつもりで生活する方が気分的に楽だったのもある。

 わたし以外の側室様にも挨拶にいったら、えらい美人揃いで眼福だったけどなんだか探り合いのような空気になったし、わたしの身の回りの世話をしてくれる侍女たちはどこかよそよそしいし、教育係はなんで私がこんな女の指導をしなければならないのかと不満なのがまるわかり。貴族たちは身分のないわたしを見下したり、うまいこと利用できたらっていいなって野心を抱いたりしてるのが見え見え。唯一の救いは王様が初夜のときにしかわたしのところに来ていないということか。


 苦い紅茶をかたむけて、クッキーを頬張って、わたしはあらためて思った。

 仕事のときだってあんなに気疲れする毎日で、勝手にこんな世界に来ちゃって、ここでも周りに全部決められておもしろくもない貴族の嗜みを叩き込まれる。強制的に側室にしたくせに冷遇される。――うん、ここにいる必要ないな。誰が好きこのんでこんな女の園でもあり、金と権力が牛耳る場所にいたいんだっていうんだ。衣食住が保障されているとしてもうれしくないっての。

 どうせ暮らすなら、自分のやりたいことをしたい。そのうえの苦労や後悔なら耐える。ご機嫌取りで一生を棒にふるうのは御免である。

 そう思ったが早く、わたしはいかにしてこの城をひっそり抜け出すか考えることにした。




 一週間ほど、これまでと同じように口うるさい礼儀作法などなどの指導を受けつつ、周りの人たちの行動を観察する。

 城の中をわたしがひとりで歩くことは不自然で、かならず侍女がどこにいくにも案内を含めた監視をしていた。また、あんな派手な登場をしてしまった異例の側室なので、どこにいても好奇の視線を集めることになる。

 たまに話しかけてくる人もいたから、お金があるなら教育と医術にでも力を入れた方が今後のためであるとか言ってしまった。金のかかる側室増やしている場合じゃないよこの国も。もっと違うところにお金使いなさいよ。初めに自分の他に側室が三人もいると聞いて唖然とした挙句に、つい初夜で、さっさと正室にして跡継ぎ産んでもらったほうがいいんじゃないかとか口走った記憶もなくはない。まあ、どうでもいいですが。どうせ相手にされることもないだろうし、ただの八つ当たりみたいなものだしね。


 そんなふうに視線を集めてしまうわたしが、どうすれば目立たなくなるか。――簡単である。カーミャリーコとわからなければいい。

 それは化粧を落とせばあっさりと解決する。あとは、城をひとりで歩いていても誰も気に留めないとなると、侍女が一番身近なんじゃないか。

 幸か不幸か、女神をあやかった側室様には数々の贈り物が届いていて、高価なものから嫌がらせと思われる庶民が使うものまでぴんきりだ。そのなかに、侍女の着るような服もあったはず。

 箪笥をあさると灰色の質素なワンピースと、白いエプロンが出てきたので嫌味の込められた贈り物相手にブラボー! と歓声を上げて乾杯の仕草をした。お酒なんて置いてくれていないからエアー乾杯である。ツッコミをいれる人もいないからいいんだ。ほっといてくれ。


 あとは、城を抜け出すタイミング。

 朝や夜は人が極端に少なくなるけれど、万が一誰かの目に触れたとき印象に残りやすい。侍女がひとりで外に出るというのも不審である。となると、自然と昼間に絞られた。使用人用の裏門はあるが、交代で兵士がかならずひとり見張りに立つ。

 侍女が町におりるときには、その門番とひと言ふた言交わしていたから、一応検問のような役割もあるのだろう。

 見慣れない顔の侍女相手となると、町にお使いにいってきます~おういってらっしゃい~なんて挨拶じゃすまないはずだ。名前やら誰の下についているのやら、訊かれることがいくつかある可能性が高い。それが怪しんでのものでないとしても、わたしが抜け出したあとで側室がいなくなったと騒ぎになることを思えば、そういえば見慣れぬ侍女が外へ、なんて話になるのは目に見えている。


 どうしたものかと、侍女や教育係と廊下を歩きながら通用門をうかがうことを繰り返していたら、大変興味深いことを発見した。昼食のあとの五分間。門が無人になるときを見つけたのである。

 門番は日中四回交代があって五日前後で一巡する。それは今までのひと月で知っていたが、とある兵士が昼に担当をする日に空白の五分が生まれると、一昨日気づいた。

 門番の彼と、厨房の下働きの女の子が恋仲で、お偉い人たちの昼食が終わったあとの休憩時間に五分の逢瀬を重ねているのである。門のすぐ脇にある大きな木の下で、手を取り合って見つめ、もうそろそろ行かないと、もうちょっといいでしょ? なんてやっているのを目撃したときは、部屋に戻ってブラボー! と歓声を――以下略。


 よし、話は決まった。

 明日の昼に出よう。侍女服とエプロンをクローゼットの奥に隠し、裁縫の時間の端切れでこそこそと作った巾着やら財布やらに最低限のものを詰め、満を持して翌日を迎えることにしよう。


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