第83話「Benjamin Gordon-1」
宮殿内の広いキッチンでは、24時間そこで働く全員の食事の準備がおこなわれていた。朝、3時から夕方6時まで、交代制でメニュー通りの食事を作り、かつ夜勤の警衛隊への夜食の配膳がすむと、やっと一日が終わる…そんな毎日だった。
今日も一日の仕事が終わり、警衛勤務者への夜食もほとんど作り終わった頃だった。
料理人のレミーがパスタを茹で上げ、そこにソースを流し込んでいた。
そこへ隣接している一般職員用のメスホール(食堂)に、ホウィが大きなスーツケースを持って入ってきた。
「あら、ホウィ。出張なの?」料理人の女性が、こんな時間に誰が入室してきたのかと、キッチンからひょっこり顔を出した。
「やあ、君にだけはしばしの別れをしておきたくてね・・。僕はこれからアメリカへ旅立っていく。向こうからも携帯にメールするからね。」
「そりゃまた急な出張ね。」
「人使いの荒いベンジャミンっていう男が、僕をこれでもかってくらいこき使うんだ。おかげで僕は精神的に参ってるんだよ・・・。君だけが、心の支えなんだ。」
そういってホウィは彼女の肩を抱いた。
「本当に、ホウィったら女心をくすぐる名人!こうなんていうのか・・・助けてあげたくなっちゃうタイプよね。」
そう言ってホウィが自分の肩にまわした手をぺシっと叩いた。
「そうだな・・・それで、何人の女を騙してきたか。」不意にホウィの後ろからベンの声が聞こえてきた。
「そんな騙すだなんて・・。僕はいつでも一生懸命、人を愛しているだけさ・・・って・・ベン!!いつからそこに?」
ホウィは、そこにベンが座っていたことに気がつかなかった。驚いた表情で振り返るホウィ・・・。それもそのはず、ベンはこの宮殿では高級幹部に相当する。そんな男が、こんな時間にメスホール(食堂)にいるのが不思議なのだ。
新聞を広げたまま、ベンは静かに言った。
「お前が入ってくる前から、俺はここにいた。人使いが荒くて悪かったな。おっとそうだ、渡米する前に聞いておきたいことがあった。・・・時々、使途不明の明細書が出てきているのは一体なんだ?花屋であれほどの高額になるということは、店にある全部の花を買わないとそうならないはずだ」
「あ・・それはその・・」困った顔をするホウィだった。
「まあいい・・早く出発しないと、飛行機に乗り遅れるぞ。」ホウィはスーツケースに手をかけ、彼女に苦笑いを見せながら手を振ると、そこから逃げるように出て行った。
「お待たせしました。ベン様・・・プッタネスカです。」料理員のレミーが、出来上がったばかりのパスタ料理をテーブルへ置いた。温かい湯気とおいしそうな香りが漂ってきた。ベンは新聞をゆっくり降ろすと、フォークとパスタスプーンを両手で持った。
「ありがとう。」レミーは、ベンがふと寂しそうな表情を見せたことに気づいた。
「・・・・・何か、思い出でもあるのですか?すみません、下らない質問などして・・その・・・毎月14日にはそれを必ず、お食べになるものですから・・・」
ベンはじっと料理を見つめながらその手を止めた。レミーは怒らせたのかと思って慌ててしまった。
「あ・・すみません、もしプライベートなことなら!!・・」そう引き下がろうとしたとき、ベンはゆっくり話を始めた。
「私の過去の作戦失敗談だ。そしてあの男と初めて交戦した・・・ずいぶん前になるが・・・・・」
場所はアフリカ・コートジボアール そこへ展開中のフランス外人部隊のキャンプへ舞い降りるヘリコプターは、周りにある仮設テントを揺らしながら、地面へとタッチダウンした。頑丈そうなドアが開き、中からベンが降りて来ると、一人の軍曹が駆けつけ、ベンをどこかに案内している様子だった。ようやくヘリのローターが静かになるころ、ベンは一番大きな仮設テントに案内された。
「よく来てくれた、ゴードン中尉。」そう言って屈託のない笑顔を見せたのは、ここで指揮をしている大佐だった。二人は固く握手をした。
「レポートを一通り読ませていただきました。」ベンはそう切り出した。
「国連からの要請で、Dブロックに取り残された住民を早急に、この安全地域に移送してもらいたい。停戦合意はされているが、民族紛争の小さな火種は燃え渋っている様子だ。」
大佐は、テーブルに広げられた地図をポイントしそう言った。
「末端まで徹底されていないというわけですね。」
「Fearing ethnic cleaning(恐ろしい民族浄化活動)と題して、敵対する部族は一人たりとも残さず殺す勢いだ。しかも、この国自体も、政府軍と反政府軍に分断され、まったくの無法地帯となっている。」
「そのために我々がいるのですから。」ベンの顔を見て、微笑む大佐だった。
「このMissionを決行している我々を阻止しようとする傭兵キラーの存在が確認された。」
「ディアゴ・シャシムですね。噂は聞いています。」
「除隊が決まった君に、こんな命令をしなければならないとは、すまないと思っている。」
「いえ、大佐。除隊日までは外人部隊の軍人です。8人、仲間をください。選定は私が・・・。」
「いいだろう。これが今ここにいる外人部隊のリストだ。成績のいい順に並んでおる・・・・。しかしその・・」
そう言ってリストを手渡す大佐だった。ベンはそれをめくり始めると、口を濁した大佐が何を言いたかったのか、一発で分かった。
「No1は女性ということですね。」ページのトップにはサラの写真があった。
「成績は優秀だが・・・・やはり女だからな。男として実戦に借り出すには勇気がいる。あ・・・、そうだったね。君は彼女の教官だった。」
大佐は人のよさそうな顔を見せニッコリ笑って見せた。
「彼女は子供のときから、すでに実戦にいますよ。」
キャンプ地近くにある小さな町には、木造の建物が5.6軒だけ立ち並び、外人部隊というお客を頼って数件のバーがオープンしていた。その近辺では子供たちが何か食べ物を貰おうと、集まってきた男たちの周りをうろうろしていた。
バーの中は、外見に比べ比較的きれいに作られていた。使い古した椅子やテーブルに座ってお酒を飲み、陽気に騒いでいる兵士たちが見える。そこへベンがドアを開けバーの中に入ってくると、ぐるっと辺りを見渡した。
「よう、久しぶりだな」一人、カウンターに座っていた髪の短いサラに声をかけた。
「教官・・・いつここへ?」サラは驚いた様子でそう言った。
「ついさっきだ。新しい任務を請け負ってね。あさってには仲間を連れてDブロックへドロップされる予定だ。」
「私を連れて行くの?」彼女の透き通った緑の瞳がベンをみつめた。
ベンはカステルノダリでの教官任務終了後、少しの間サラと同居していたことがあった。サラを除く他の男性隊員たちは、意気揚々と新勤務地に移っていったが、サラだけはその行き先が決まってはいなかったのだ。4か月という新隊員教育課程で起きた外人部隊最悪の麻薬及び武器強奪事件と、パブロの傷害事件でベンは右足を失った。その罪の意識と看病もあってかサラは慣れない司令部勤務をすることを納得した。
「いや・・・、そのつもりはない。なぜここに来た?教育隊終了後、カステルノダリの司令部勤務を続けていたのではなかったのか?」
「足に義足がハマったら、さっさと家を売りとばして戦場へ行ってしまったくせに・・・それに私には、ああいう仕事は向いてない・・・。」
「平和な生活はできないとでもいいたそうだ。」
「やっとここに来ることができたけど、ここでも危うく事務処理を手伝わされそうだった・・・。出番をくれないんだったら、他国の傭兵に行ってもいいんだけどね・・・・。で、誰がそのMissionに選ばれたわけ?」
「このメンバーだ。」ベンは持っていた資料を見せた。一瞬顔が曇ったサラだった。
「ん?気に入らない奴でもいたのか?」
「私には敵が多いから・・・」やはりここでも、女性の活躍を気に入らないと思っている仲間に取り囲まれていたサラだった。