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レイン  作者: 天神大河
#01 罪ある世界―Guilty my-world
5/15

 昼休みになり、神楽と瀬崎は一階にある食堂で、いつも注文する日替わり弁当を食べていた。生徒や教員の半数が利用するこの食堂には、今日も多くの顔ぶれが集まり、あちこちから楽しげな話し声が聞こえてくる。

「まあそう落ち込むなって、神楽」

 瀬崎はそう言うと、右手に卵焼きのほぼ中心を串刺しにした箸を持ちながら、小さな丸テーブルの上に置いてある自身のC-Iの下画面の中心に、左の人差し指を置き、そのまま画面の下側へ指を一直線に動かす。対して、彼のテーブル越しに座っている神楽は、左手に弁当を持ちながら、右手で白米を掴んだ箸を黙々と口に運んでいた。

「平山の言うこと、いちいち気にしてたら身体が持たねえぞ」

 先ほどよりも強い口調で言いながら、瀬崎は口を大きく開き、卵焼きをその中へ一気に押し込んだ。瀬崎を含めた生徒の間で平山の名前が出るときは、決まって名字で呼び捨てにされていた。

「別に気にしてなんかない。ただ、ぼくには時間がないんだ」

 神楽はそう言うと、機械のごとく動かしていた箸を、音も立てずに弁当の内側に入れ、そのままテーブルの上に置いた。弁当の中の食材は綺麗に片付いている。

「勉強を続けないと、ぼくだけ周りから取り残される。だから今やらなきゃ」

「けど、別にさ」

 瀬崎が卵焼きを飲み込んで、口を割る。

「そこまで焦ることもないんじゃね?」

 予期せぬ友人の発言に、神楽は顔を(しか)める。どういう意味だよ、と神楽は目の前の友人にやや荒っぽい口調で問いかける。当の瀬崎は、箸でマカロニを掴んだり、C-Iの画面に視線を向けながら素早く操作を進めたりして、身体全体を慌ただしく動かしながら答える。

「平山みたいに屁理屈をこねるつもりじゃないけど、おれはもっと楽観的に考えていいと思う」

 マカロニを口に運び、それをゆっくりと噛みつつ瀬崎は続ける。

「大学受からないと死ぬってわけでもないんだしさ、何というか、もっとこう……自由に生きてみるのもありかもって話」

 神楽は静かに溜息を吐いた。

 『自由』か。その言葉は嫌いだ。

 周りにありふれているようで、実はそうでもない言葉。いつも「制限された中にこそ自由がある」と大人たちは言うが、それじゃあ『自由』という単に名前だけの檻に閉じ込められるようなものじゃないか。この詭弁(きべん)は何度聞いたことだろう。

 神楽が考えに(ふけ)っていると、黄色い瀬崎のC-Iが目についた。何気なくC-Iの二つの画面を凝視すると、どうやら大富豪を行っているようであり、瀬崎にその順番が回っていた。肝心の瀬崎に目をやると、カードの選択に頭を悩ませているようだった。

「なあ、神楽」

 目線を二つの画面に向けたまま、瀬崎が続ける。

「クラブの5か、ハートのJか。お前ならどっちを出す」

 そう言われて、神楽は適当にハートのJ、と返す。瀬崎はオッケー、と上機嫌な声色で返し、何の躊躇(ためら)いもなくC-Iを操作する。それから程なくして、瀬崎が低い呻き声を上げた。どうやら劣勢に追い込まれたらしい。

「どうしてくれんだよ神楽のアホー!」

 瀬崎が血眼で叫ぶ。一瞬にして、周りの生徒たちからの冷たい視線が刺さる。神楽はそんな周囲の見えない圧力に気付くと、彼らへ向けてぺこぺこと頭を下げた。周りが二人から視線を外すと同時に、神楽は小声で(たしな)める。

「そんなの知ったことかよ。文句あるなら自分で考えろよ」

「え~」

 瀬崎は深い溜息と共に、がくりと項垂(うなだ)れる。そのまま、彼はぽつりと呟いた。

「頭のいいお前なら、賭け事強そうだと思ったんだよ」

「お前の勝手な先入観で人を振り回さないでくれ」

 神楽は呆れながら、右手で額を抑える。どうしてこうも単純なのかな。賭け事は(かじ)る程度しか知らないから、瀬崎の予想しているほど詳しくなどない。まったく、こいつと一緒だと、大抵ぼくの方が翻弄されてばっかりだ。神楽は心の中で溜息を吐いた。

「ところでさ、今朝は驚いたぜ。お前がまさか、ああいうのがタイプだったとはな」

 瀬崎が不敵な笑みを浮かべながら言葉を発する。彼が何かを企んでいる様子は明らかだったが、話の意図が掴めなかったので、神楽はそのまま話に乗ることにした。

「何のことだよ」

「またまた。ほら、櫛夜那だよ。櫛夜那悠紀。今朝の電車で何か話してたじゃん。何、まさかナンパ?」

 瀬崎がにやにやしながら神楽の顔を覗き込む。神楽は、朝の電車内でのことを思い出し、顔と耳を赤らめる。

「ち、違う。ただ、何か、その……雰囲気? それが気になって、つい話しかけただけだ」

「まあ確かに、櫛夜那は美人だもんなあ。こないだも『校内可愛い女子ランキング』で一位だったし。おれはもちろん、櫛夜那に入れた。神楽は誰に入れたんだよ、ランキング」

 瀬崎は神楽の話を全く信用していないようだった。

「そんなの、誰にも入れてねえよ。興味ないし」

「ふーん。まあ、櫛夜那はどっちかといえば胸はない方だけど、それを補って余りあるあの容姿だからなあ。小柄だってのも一つのアドバンテージらしいし。狙うなら早いうちが良いぜ」

「余計なお世話だ」

 神楽は瀬崎から顔を逸らす。そんな神楽を見て、瀬崎はC-Iを手に、相変わらずにやにやとした顔をしながら操作を進める。彼の様子から察するに、既に大富豪は切り上げているようだった。

「さあて、そんな二人の相性はどうかなあ、っと」

「何やってんの?」

 神楽が(いぶか)しげに尋ねる。

「何って、今話題の占いのサイト行ってるんだよ。結構当たるって評判だぜ。知らない?」

 瀬崎の説明に対し、神楽は黙って首を横に振る。瀬崎は、小さく溜息を零す。

「お前さ、いくらなんでも最近の流行は知っとこうぜ。大学とかよりもそっちの方に気を使った方が得だと思うぞ」

「それとこれとは話は別だ。それより、瀬崎はどうなんだよ。お前こそ、その。櫛夜那さん狙い、とかじゃないのか?」

「おれ?」

 瀬崎がC-Iの操作を中断し、顔を上げる。その表情と口調は、特に興奮しているわけでもなく、至って涼しい様子だった。

「そりゃあ何度かアプローチはしたさ。けど、その度に全部断られた。あいつのガードの硬さは本物だぜ。これにはおれも流石に諦めたよ。神楽も櫛夜那を狙おうって言うんなら、そこんとこよく肝に銘じとけよ」

「いや、そんなことは一言も言ってねえし」

 神楽は右手を左右に揺らす。瀬崎は、そんな彼を尻目に再度C-Iを操作し始める。神楽は、画面上で器用に指を走らせる瀬崎を見て、思わず声を発した。

「なぁ、瀬崎」

「今度は何だ?」

 瀬崎は、先程とは違って神楽の方を見ずに返事を返す。神楽は、少しだけ間を置いて、慎重に言葉を選びながら告げる。

「C-Iって、持っていて何か得することとかあんの? ぼくには、ただ単にゲームだけしか良いところなさそうに見えるけど」

「そりゃまあ、いろいろあるぜ。電話からメール、ネットへの接続も簡単だし、あと銀行とかで電子マネーをチャージすれば、それだけでネットショッピングも手軽にできる。大体そんなものかな」

「へぇ」

 瀬崎の説明を聞いて、神楽は感嘆の声を漏らす。

「C-Iって、そこまで便利になっていたのか。ぼくはまったく知らなかったよ」

 その瞬間、不意に瀬崎がC-Iを操作していた手をぴたと止めた。それだけではない。たった今まで方々から聞こえていた騒ぎ声が、突如として止んだ。唐突な静寂の中、神楽はきょろきょろと周囲を見渡す。瀬崎を含め、彼らは俯いたままでしばし無言だった。

 やがて、瀬崎は顔をゆっくりと上げ、神楽の方に向き直る。神楽の視界に映る友人の顔は、目の焦点が合っておらず、まるでいつもの陽気な彼はどこかへと消えてしまったように感じられた。

「C-Iは、正式には『圧縮された情報(コンプレスト・インフォメーション)』と言います。2052年10月現在における最新の携帯通信機器であり、2049年1月21日に新東京未来科学研究所によって開発されました」

 瀬崎は、突如大声で暗唱を始めた。その口調は、熱意を持って相手に伝えようとするものとは程遠く、まるであらかじめ用意されていた台本の台詞をそのまま読み上げるかのようだった。

『過去数十年に及んだあらゆる試行錯誤の末、機器の大幅な縮小化を可能にしました。さらに、先のSSL施行による通信障害、盗聴被害などの撲滅に加え、通信速度、通信性能の向上に成功し』

『また、C-Iは二画面に展開することができ、インターネット接続や電子書籍機能など、多角的な方面でもかつてない発展を遂げ……』

 神楽が驚く間もなく、一人また一人と瀬崎に続いて、大きな声で暗唱を始める。

 やがて、神楽を除いた食堂中の人間全員が、同じ台詞を同じペースで暗唱するようになった。四方八方から重苦しく響く大多数の声は、さながら何かの儀式の呪文のようであった。

 何だよこれ。神楽は目の前にある状況を整理しようと試みる。だが、大勢の人間の言葉が断続的に耳の中に入ってくるので、考えがなかなかまとまらない。

 神楽があらためて周りを見渡すと、先ほどまで感情豊かに談話していた生徒たちからは一切の表情が消え、あたかも死者の如き無表情のままに声を発し続けていた。低い声、高い声、小さな声、大きな声。一人一人から発せられる声――もとい『音』が幾重にも重なり、同じ音色を奏でる様は、以前テレビや映画で観た一種の催眠、あるいは洗脳のようだった。

 日本語の判別さえも曖昧なその音に対し、神楽はたまらず自身の両耳を左右の手で塞いだ。しかし、塞がれた耳の隙間からさらに言葉が分け入り、無機質な台詞を繰り返し木霊させる。それを必死に拒むように、神楽は手のひらにより力を入れる。瞼を皺が寄るほどに瞑る。それでも、彼らの吐き出す音波は、神楽の耳に無遠慮にやってきては、離れようとはしなかった。

 もうやめてくれ。

 頭がおかしくなりそうだ。

 神楽の世界の境界は、静かに崩れていった。


――おい。

 気がつくと、神楽は薄暗い闇の中にいた。よくよく周囲を見回してみると、鈍い闇に交じってぼんやりと赤褐色の光が輝いて見える。ぼくはさっきまで食堂にいたはずなのに。そう思った時だった。

――やっと気づいたか。のろまが。

 どこからか声がした。自分の声だ。神楽は驚きながらも、声の主を探す。四方八方に幾度も顔を向けていくうちに、薄闇の中に人影がぼうっと見えた。神楽は目を凝らして人影を見る。闇に慣れてきた視界に浮かび上がった人影の姿は、多少闇と同化してはいたが、頭の天辺から足の先まで、そっくりそのまま自分自身そのものだった。

 神楽が驚く間もなく、自分の姿を模した幻影はまるで悪魔のように口角を高く吊り上げると、神楽に話しかけてきた。

――まったく、馬鹿みてえなツラしやがってさ。それだから、お前の人生は味気ねえんだよ、分かんない?

 神楽は数秒の間、彼が何を言っているのか理解できなかった。構わず幻影は続ける。

――おれはお前に生まれてきたことが冗談抜きで残念だよ。毎日毎日、学校の先生からお話を聞いてはご丁寧にハイ、ハイ、ハイ、ハイ。マジで吐き気がすんだよ。おめえはロボットかっての。いや、つーかもうロボットじゃん?

 突如目の前の自分が腹を抱えて笑い出す。何だ、何がおかしい。ぼくは人間だ。ロボットなんかじゃない。幻影はしゃっくりをし、涙を浮かべながらも笑うのをやめなかった。

「うるさい」

 思わず声に出していた。小さくて、消え入りそうな声。神楽の幻影は、肉体を持った自分を(さげす)むかのように数拍の間見つめ、口を開く。

――はぁ〜〜っ? なあにを言っているのか、聞こえなかったぞぉ〜、神楽ク〜ン?

 幻影は、顔を醜く歪めながらも、笑顔を崩すことなく告げた。神楽は頭の中で、幻影の自分へ次に言うべき台詞を選び取るが、なぜか口にできない。口がばくばくと、魚のように動くだけで言葉が何も出てこない。

――ハハッ、所詮現実から逃げる奴は自分からも逃げるってか? 滑稽(こっけい)だねえ。無様だねえぇ。無様すぎて逆に泣ける。イヒヒヒッ。

「うるさい、うるさいうるさい」

 神楽は、腹に軽く力を入れながら言葉を吐き出す。その口調からは、強い憎悪の念が感じられた。だが幻影は、そんな彼を無視して続ける。

――お前は、これまでずうっと逃げてばっかりだったもんなあ! 全てから! 今も! これからも!!

「うるさい!!!」

 神楽が大きな声で叫ぶと、幻影は不気味に笑いながら闇の中へとかき消える。同時に、薄い闇の中から幾筋もの白い光が現れ始めた。


 いつもの日常の喧しさが耳の中に無遠慮にやって来る。神楽がゆっくりと瞼を開くと、そこはいつもと変わらぬ昼休みの食堂の光景であり、瀬崎もまた、C-Iを手に別のゲームに熱中していた。やがて彼は、神楽が目を覚ましたことに気づくと、真剣な顔つきから一変し、驚きと心配の入り混じった表情に変わる。

「どうしたんだよ、神楽。スッゲー顔色悪いぞ」

 そう言われて、神楽は咄嗟(とっさ)に自分の状態を確認した。瀬崎の言うように、神楽の顔面から制服、足先までもが、彼自身の汗で酷く濡れており、動悸(どうき)や息切れも激しかった。

「いや、何でもない。けっこう汗かいたから、そう見えるだけだ」

 神楽は荒い呼吸を繰り返しながら返す。

「そうか」

 瀬崎は少し小さめの声で言った。

 神楽は、未だに意識が朦朧(もうろう)とする中で、さっきまでの状況を整理する。今のはなんだったんだ? ただの夢だったんだろうか。いや、正確には白昼夢と言った方が正しいのかもしれない。神楽がそうして先ほどの出来事を分析していると、どこからか女の声が、いやに鮮明に聞こえてきた。

「早くわたしたちの世界にいらっしゃい、依砂鷺神楽くん」

 この言葉を聞き、神楽ははっと顔を上げた。反射的に声のした方を探ろうと、何度も左右に首を動かす。だが、周りには神楽の同級生から年下の後輩まで、十数人程度の男女がまばらに散っているだけだった。

「おい、ほんとに大丈夫か?」

 瀬崎が(なだ)めるような口調で言った。神楽は、そんな彼の声を聞き、すぐさま瀬崎の方へと向き直る。

「なあ、今女の声がしなかったか? 早くわたしたちの世界に来い、とかナントカ……」

「はぁ? そんなの聞こえなかったぞ。マジで保健室行った方がいいんじゃないか」

 そう言って瀬崎は手を差し伸べてきたが、神楽はいいよ、とだけ告げてその手を押し退ける。

「そろそろ授業が始まるな。戻らないと」

 神楽はそう言いながら、弁当と割り箸を手に持ち、食堂の隅にあるゴミ箱へと足を運んだ。瀬崎もまた、同じように弁当と割り箸を持ち、神楽に続いて席を立った。額に脂汗を浮かべながら、神楽は考える。

 今のは、夢とかじゃなかったのか。いや、もし夢だったとしても。神楽の脳裏に、先ほどの食堂内での光景が浮かび上がる。それと同時に、弁当と割り箸を持った彼の両手は小刻みに震えていた。





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