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レイン  作者: 天神大河
#01 罪ある世界―Guilty my-world
3/15

 神楽の通っている濱第二高等学校では、必ず毎月第一月曜日に体育館で朝礼が行われることになっていた。

 神楽も登校してすぐに体育館へと移動した。そこに入って数分も経たないうちに、約百九十人の全校生徒と数十人の教職員が密集し、それに伴い体臭や化粧の臭い、加えて微かな(かび)の臭いが複雑に混じり合い、神楽の鼻腔(びくう)につうんと響いた。

 朝礼の初めには、決まって校長の講話が行われる。今回は体育館の改修工事に関することだった。未だに鉄筋構造の体育館は、来年の一月から耐震性に優れた人工化学鉄筋へ、大幅に改築されることが決まっている。当然所どころにできた大小様々な窪みや、バレーボールが挟まったままの錆び付きつつある鉄筋は一切除去され、まったく新しく、かつ安全性に富んだ体育館ができあがる、という仕組みだ。

 来年の夏に披露される新しい体育館の構想計画を聴いていた一年生や二年生は、目を輝かせ、方々でこそこそと会話を交わしていた。三年生にも、年下の彼らほどではないがそんな様子が見られる中、神楽だけは関心を示すことなく無愛想に校長の話を聴いていた。

 どうせここを四ヶ月と少しで去らなければならない。だからこそ、そんな過去の学校の未来に心を馳せるのはお門違いだと、彼は感じていた。しかし何よりも、神楽自身の本音としては、そもそもこの朝礼自体を必要としなかった。

 東日本大学の推薦入試まで残り一ヶ月を切っている。筆記試験や面接試験に向け、わずかな時間を少しでも多くその練習に回したいと思っている神楽にとって、学校の未来の話は、信憑性に欠ける宗教に極端に肩入れするのと同じように馬鹿馬鹿しく感じられた。

 今が正念場なのだ。校長の講話を聴きながら、神楽はあらためてそれを痛感した。

 朝礼が終わり、教室へ戻ろうとする人混みの中を手慣れた様子で進んでいた神楽を、後ろから呼び止める声があった。神楽の担任の声だ。

「何でしょう」

 神楽は振り向きざまに尋ねる。

「勉強の方、頑張っていますか?」

 にやにやしながらそう告げる壮年の女は、小柄な体形に特徴的な老眼鏡、そして厚化粧をしており、その外見から生徒たちの間では『こけし』と呼ばれていた。神楽は一瞬だけ、そんな担任の顔を見下ろす。

「はい、暇さえあれば少しでも多く勉強に回すようにしています」

「本当に?」

 老眼鏡の奥の瞳が微かに笑う。対面する神楽の眉間が一瞬反応したことに気付くことなく、担任は続ける。

「東日本大学を狙うなら、もっと自分を追い込まないといけません。些細な考えが命取りになるんですよ」

 このこけしの決まり文句はもう十回以上は聞いた。神楽はその台詞に対する反発心を理性で抑えつけ、声を大きく張り上げる。

「はい!」

「頑張ってくださいよ」

 神楽の担任は顔中に満面の笑みを浮かべると、そそくさと職員室の方へ戻っていった。神楽も、担任の姿を一瞥(いちべつ)して教室の方へと(きびす)を返した。


 教室に戻り、席に着いた神楽はすぐさま制服の胸ポケットから小型の電子単語帳を取り出した。彼は一年ほど前からこの電子単語帳を持ち歩き始め、寝る前など小さな暇さえあれば、それを用いて勉学に励んでいた。

 単語帳を起動し、英単語の分野を開く。中央の画面上に表示される指示に従って、側のボタンを操作していると、その上に突如大きな影が現れた。神楽が影の方に顔を向けると、彼のクラスメイトであり、幼なじみの下崎河波(しもざき かなみ)が、大量のプリントを持って立っていた。

「あの、神楽くん」

 神楽に呼びかけるその声は、若干裏返りながらも、程よい高さと大きさであり、聞いているととても心地がよかった。

「どうかした、河波?」

「倫理の宿題。先生からみんなのレポートを集めるように、って」

 河波にそう言われ、神楽は先日行われた倫理の授業で課題レポートの宿題が出されていたことを思い出す。神楽は机の脇に提げてあった鞄から、A4サイズのクリアファイルを取り出し、そこから小さなクリップで留めた数枚のプリントを探し出す。

「ハイ、これ」

 神楽はそのプリントを、河波の持つプリントの山の上に置いた。

「ご苦労さまっ」

 やや強張った声で告げる河波の手元は、乱雑に折り重なったプリントをうまく支えきれず、がくがくと小さく震えていた。小さな手からプリントがすぐにでも溢れ出しそうな様子を見て、学級委員長も大変だな、と神楽は心の中で呟いた。

「手伝うよ」

 神楽は電子単語帳を制服のポケットにしまい、両手を伸ばして河波から強引にプリントの山を六割ほど取り上げた。それを受け、河波は狼狽(ろうばい)した様子を見せる。

「えっ、そんな、いいよ」

「職員室の先生のところに運べば良いのか?」

「う、うん」

 神楽は椅子から立ち上がると同時にプリントを持ち直し、左足を使って椅子を机の中に入れる。河波は相変わらずおろおろしていた。そんな彼女を見て神楽は、淡々とした調子で告げる。

「幼なじみのよしみ、ってやつだよ。それに、お前がやるとかえって危なっかしい」

 そう言うと、神楽は脇目も振らずにすたすたと歩き出す。彼の言葉を受けた河波は一瞬顔色を赤く染めるが、すぐに神楽が移動したことに気付く。

「あっ、待って」

 数秒遅れながらも、河波は神楽の後をやや小走りで歩き始めた。


「ありがとう」

 担当の教員へプリントを渡し終え、職員室を出た後で耳にした細い糸のような響きをした言葉を耳にして、神楽は河波へと顔を向ける。

「どういたしまして。それにしても、先生も先生だよな。電子ノートを使ってでもレポートはできるのに、なんでわざわざ使いづらいプリントで提出させるんだろう」

「まあ、先生はなんて言うか、昔ながらのものが好きだから」

「昔ながら、ねえ」

 神楽は、自らの溜息を交えながら呟いた。彼のそんな様子を見ながら、河波は話を切り出す。

「あ、あのさ」

 神楽は彼女へと視線をあらためる。少女は一呼吸置いて、唇を動かす。

「神楽くんは、小さい頃からホント、優しいね」

 少女は少し顔を赤らめながら、はっきり分かる声で告げた。とても温かな笑顔だった。いつもは神楽の顎ぐらいまである彼女の姿が、今はなぜだかそれよりも小さく見えた。

 神楽は、小さい頃の記憶を手繰り寄せながら言葉を返す。

「そうかな。昔のことは、あんまり覚えてないからなあ」

「そうだよ。わたしがクラスの男子に泣かされた時、真っ先にその男子に怒ってくれたじゃない。『謝れよ!』って。あの時の神楽くんは正義の味方みたいで、かっこよかった」

 河波が当時の神楽の物真似を挟みながら、普段の控えめな彼女からは想像もできないほどの饒舌(じょうぜつ)さを見せる。そんな恥ずかしいことをしていたのか、ぼくは――神楽の顔色はみるみる上気し、耳も赤くなっていく。こんなことを聞くくらいなら、いっそ忘れたままの方が良かったかもしれない。

「……で、それから」

「あっ、ごめん」

 さらに話を続けようとする河波に対し、神楽は話を遮るような形で、唐突に大声を出す。

「ちょっと用事があったんだ、続きはまた今度聞くから」

 神楽は両手を合わせながら、早口で言葉を告げる。そして、そのまま河波の隣を速いペースで歩く。

 廊下を一人歩き去る神楽を見て、河波は深い溜息を吐く。やっぱり、昔とは違うのかな。

 幼い頃の神楽は、みんなが困っていることを率先して助けることに積極的であり、そのためなら自らの危険も顧みなかった。そんな彼は、まさに先ほど河波が口にしたとおり、正義の味方のようであった。河波自身、そんな神楽に少なからず惹かれていた。

 そんな二人に転機が訪れたのは、小学校四年生の時だった。神楽が転校したのだ。当時河波が聞いた話によると、家庭の事情によるものが要因だったらしい。

 それからというもの、二人のあいだで音信は一切途絶え、高校の入学式の日まで互いに目を合わせることはなかった。

 再会した時、河波はそのことを心から嬉しく思ったが、久しぶりに出会った神楽は、まるで自分の知っているような昔の彼ではないことを理解するのに、時間はかからなかった。当時とは違って、周りから距離を置き、消極的な言動や行動が目立っていた。彼にいったい何があったのかは分からない。

 この一連の出来事をとおして、河波は自分の知らないわずかな間でも、周りは大きく変わっていくことを痛感した――。

 いや、そうではない。当時の出来事を思い返していくうちに、河波は新たな思考に行き着く。本当は、周囲が変わるのではなく、わたしだけ昔のまま、先に進めないでいるのではないか。あの日から、今も。

 そう考えると、思わず涙が零れそうになった。

 神楽の姿が見えなくなった後、河波もまたポケットからC-Iを取り出し、電子書籍を取り扱っているウェブサイトを開きながら、教室へと歩を進めた。


「……2021年11月26日に、東京湾北部深さ約十キロメートルを震源に起こった海溝型地震。それがいわゆる平成関東大震災です」

 神楽たちのクラスの一時間目の授業は現代史だった。

 神楽を含めた生徒たちは、机の上に数年前から導入されたB5サイズの電子ノートと、そこに付属されていた電子ペンのみを置いている。薄いアルミニウム合金の上に、一回りほど小さい液晶ディスプレイの画面が広がる電子ノートには、授業範囲の内容が完全に網羅された超小型のICカードが内蔵されていた。

 担当教員が、自らのノートパソコンから赤外線通信を使って、生徒のICカードに資料やテスト範囲などのデータを送信する。対する生徒たちは、受信したデータをもとに電子ノートの中に含まれるメモリーファイルへ授業のポイントを独自に(まと)めたり、あるいは電子ペンを用いての作図、受信した参考資料の整理を行ったりする。これが、現代史を問わず普段の授業の大まかな流れとなっていた。

 そんな中、神楽は現代史を担当する平山(ひらやま)の講義を聴きながら、電子ノートに内蔵されている対学習用プログラムを起動させていた。平山が赤外線を経由して追加する情報は、ICカードが自動的に保存してくれるので授業そのものには差支えない。そのため、いつも神楽は授業の間、電子ノートを使って試験対策の参考問題や大学入試過去問題を解いていた。

「マグニチュードは推定八.三。主に都心のビル群、公共施設を中心に、倒壊や大火事、それに伴った二次災害が次々に起こりました。この頃は耐震強化の発達が不十分であり、加えて環境面において悪条件も重なっていたことから、大正十二年の関東大震災とは桁違いの大規模な被害を生み出し、これによってかつての東京は実質的に機能停止を起こしました」

 平山の淡々とした講義を聴いていた神楽は、心の奥底でそんな彼に少なからず失望していた。教壇に置いてある椅子に座りながら自身のノートパソコンを操作するこの男は、ただ単にICカードに記録されている内容をそのまま述べているだけに過ぎなかったからだ。

 新米教員である平山は、クラス全体で自身の授業の内容が確実に分かるようにするために、基本から入って応用は二の次とする方式を採っている。その結果、入試対策としての難問を重視する神楽と、基本的な分野から育成することに重点を置く平山との間には、目には見えなくとも根本的に相容れない部分が生じていた。

 しかし、そんな平山の意に反して、彼の講話に耳を傾けない者が数こそ少ないものの存在していた。小声で会話をしたり、C-Iを介してコンテンツを利用したり――神楽の隣に座っている瀬崎もまた、机に突っ伏して気持ち良さそうな寝息を立てている。

「……それで、平成関東大震災によって東京がほとんど壊滅状態となったために、政府はかつての東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県の都市部を対象に、新しく近未来型都市を再編しました。それが今の新東京49エリアです。みんなご存じのとおり、国会議事堂や新東京未来科学研究所など、数多くの主要機関が置かれた未来地区をはじめ、この高校がある濱地区、ここからすぐ南にある湊地区、あと他にここから近い(しお)地区、(なぎさ)地区といった合計四十九の区域(エリア)で構成されています」

 平山がそう言い終わると同時に、神楽は電子ノートの画面の右端にある項目を、電子ペンで軽くタッチした。すると、電子ノートの画面は一瞬で次のページへと切り替わり、空欄になった問題が次々に現れた。

 神楽は、一度唇を舐めてから、電子ペンで解答を直接画面上に書き込み始めた。二、三問解き終わったところで、平山が大きく、それでいてよく通る声で発言する。

「こら、瀬崎君。授業中に寝ないでください。メモリーファイルに自分でポイントを纏めていくことも大事ですよ」

 これを受け、瀬崎は目元をごしごしと擦りながら視線を教壇の方へと向ける。悠紀や河波たちクラスメイト全員の視線を一身に受ける彼を脇目に、神楽だけは電子ペンを持つ手を止めないまま、電子ノートだけを凝視していた。平山はそのまま椅子から立ち上がり、瀬崎の席の側へと歩み寄る。神楽の視界に、小洒落たスーツとズボンが現れる。

「先日の第三試験が終わったからと言って満足するのではなく、来年に入ってすぐに行われる大学入試にも向けて、授業は常に真剣に取り組む。いいですか?」

 平山はメリハリのない声で瀬崎に告げる。瀬崎は少し間を置いてはい、と(うつ)ろな返事を返す。神楽は、そんな二人のやり取りを両耳で聞きながら、再度メモリーファイルのページを切り替えるために電子ペンを画面から放す。画面の右端にある項目に電子ペンを近づけようとすると、平山の声が耳に入った。

「それに引き換え、ずいぶんと勉強熱心ですね、依砂鷺君は」

 神楽が反射的に顔を上げると、平山がいつの間にか神楽の机の側に立っていた。神楽は、頭と両肩を少し傾け、おじぎの姿勢を取る。平山は神楽の電子ノートに映る画面を見下ろし、屈託のない笑顔で続ける。

「ですが、今は私の授業ですので、その試験対策のプログラムを閉じて下さい、依砂鷺君」

 瞬間、クラスのあちこちから微かな笑い声が響いた。

 神楽は耳を赤くしながら、電子ペンを素早く操作し、対学習用プログラムのデータを保存することなくそのまま閉じた。表示される画面には、白地の上に、真横に何本も延びる罫線(けいせん)だけが映ったメモリーファイルだけが残る。そんな神楽の行動に満足したかのように、平山は続ける。

「君たちもだ。授業中のC-Iや私語、居眠りは慎みなさい」

 声高々にそう言うと同時に、平山は教壇の方へと踵を返す。クラスメイトたちは、次々に彼の指示に従い、電子ノートを手にする。

 そんな中、ちらほらと自分の方を振り返る彼らの笑みが視界に入り、神楽は耐えきれず、静かにその場で俯いた。

 なんでぼくなんだよ。心の中でそう思いながら、神楽は奥歯をきつく噛み締めた。




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