|光の手《ホワイトハンド》
市街地の一角に小さな雑貨屋があった。深夜、「閉店」のプレートがかかった扉の内側で、二人の男が向かい合って座っている。
薄暗い中、天井でシーリングファンが回る音が響いている。眼鏡をかけている男がゆったりとした挙動でタバコに火をつけた。眼鏡にはうすいグリーンのレンズがはまっている。
「……ラフィータが殺されたそうだ」
眼鏡の男が呟くと、もう一人がすこし息をのむ。男は続ける。
「俺達との関係が割れてるか割れてないかはわからないが……時間の問題かもな。“組織”は俺たちに仕事を大量に回してくるかもしれない……試されるってことだ」
煙を吐きながら言うと、レンズ越しに相手を鋭く見つめ、問いかけた。
「ラフィータがクズみたいに殺されて、逃げ出す決心は揺らいだか?組織から仕事をまわされたら、また前のように忠実に従うか?」
「それは……無理だ」
やっともう一人の男――無精ひげを生やし、髪の毛もひげと同じ短さの坊主頭に刈り込んでいる男、が口を開いた。眼鏡の男がタバコをつまんでいるのに対して、坊主頭の男は、スツールの上に寝かせてあった、腕ほどの長さの刃物を固く握りしめている。
「もうこんなことはやってられないと決めた……お前もそうだろ?ハイメ?お前は揺らいだのか?」
「馬鹿言うな。揺らぐどころか……ラフィータが殺されたんだぜ?組織のやり口じゃないか。そういう奴らだ。一層愛想がつきたぜ」
シーリングファンが回っている。その影が床や机を何度も何度も舐めていく。
「だが、逃げだした先でまたいざこざってのは御免だぜ。奴らが俺達のことに気がついているなら、ここで追っ手も殺していく。俺達にこれ以上関わるなってことをはっきりさせておかなきゃあ、どこへ逃げても同じだぜ?」
「戦うのか?ラフィータと俺達のことは……」
思案しているように机を指で叩き、言葉をつむぐ坊主頭をハイメと呼ばれた男は手で制し、視線を窓の外に向けて呟く。
「奴らはラフィータの身辺も嗅ぎまわっただろう。『割れているかわからない』言ったが、どうせすぐに割れる。そもそも俺達はラフィータと同じグループだったしな、奴らは“疑わしきは罰する”さ。野蛮人なんだ」
ハイメの視線はレンズの緑色を抜けて、通りの車に注がれていた。路上に駐車されている台数を数えるのはこの男の癖だ。
「ひょっとすると、ラフィータを殺ったのと同じ奴が来るかもな。そいつを返り打ちにして置き手紙代わり、だ。どんな使い手がくるかはわからんが――」
「俺も協力するさ。二人で迎え撃とう」
もう一人の男も興奮してそう答えると、親指で刀のつばを持ち上げ、鉄色の刀身をわずかに晒した。ハイメは手を伸ばして刀の柄をつまむと、するするとそれを持ち上げた。手入れも何もされていない、草も払えないような、欠け放題つぶれ放題の刃が露わになる。その刀の向こう側で、真剣にこっちを見据える男の瞳に気がつくと、ハイメは煙を吐き出してほほ笑み、答えた。
「期待しているよ。アルバロ」
アルバロは無精ひげを歪めて不器用に笑った。
――自然公園の夜は、木々が星明かりをも遮っており、涼しい風が吹くだけの静かな闇だった。
逃げ惑うアイトールを包み込むように、冷たい夜気がただよう。そしてその静寂を内側から破る轟音が響き、熱風が勢いよくアイトールの背中を押した。
木々が焼け崩れ、灰が舞い、飛び立つ鳥の羽音がけたたましくあちらこちらへ行きかよう。
真昼のように明るくなった道を行くユージンは、まっすぐにアイトールに突っ込んできた。
「馬鹿野郎!今さら逃げられるとか思ってんじゃねえか!?」
叫び、輝く手を振る。枝が爆ぜ、石がひびわれる。
「覚悟きめて戦いな!呪い持ち!」
戦うも何も――。と追っ手の言葉に反応しながら、アイトールは反射的に銃を後ろに向けて何発か引き金を絞った。着弾の確認もしないままに前方に向き直り、道を外れて木立の中へ駆け込む。
「隠れたって、燃やされる木が増えるだけだ!」
ユージンの怒鳴り声が聞こえる。――その通り、このままではジリ貧になることは見えている。本当に追いつめられる前に出来る限りの“反撃”に出なければなるまい、と考え、コートのポケットに仕込んだ武器を手で触って確認した。
――やってやるさ。奴の能力は、破壊力はあるけれども単純な力だ。それこそ腕のような武器だ。
自分に向けられた銃口を察知したユージンは、素早く小さな壁を展開していた。直後に発射された銃弾は光の壁に触れた瞬間に溶け落ち、流線形のフォルムを失い、急速に速度を失って土に落ちた。
――あいつの呪いはこんなケチな弾丸攻撃なのか?クレメンテさんは何に負けたんだ?
木々の中に逃げる相手に怒鳴りながらユージンは考える。考えながら、無意識に糸をばらまく。強い光が視界を一瞬ホワイトアウトさせた。
逃げる男の姿を眼で探していると、いきなりユージンの足下の土が爆ぜ、小石がブーツを打った。銃撃だ。
――サイレンサーを使ってやがるか、めんどくせえな。
「撃ち合いってんだな!?いいぜ、ノってやるよ!」
炎上する景色に囲まれて高ぶった精神、殺意のほとばしるままに、ユージンは目に付く影の全てに糸をばらまき、ばらまき、大股で歩を進めていく。視界の奥で立木が跳ねる――ハズレだ。岩が溶ける――これもハズレ。ベンチが骨だけになって焦げる――違う。標的じゃない。
「何処だ?何処だ!?見つけてほしいか?その前に俺に当てられるか?」
笑いながら歩くユージンの周囲で着弾が何度も起こったが、まったく動じずに、狙撃者の方向に目星をつけながら更に火炎を放ち続ける。
アイトールも必死に物陰に身を隠しながら動き回り、なんとか蜃気楼でゆらめく視界の中に、ユージンを確保しようとしていた。祈るように一発一発の弾丸を放つが、焦りと緊張、さらに視界の悪さもあって有効打は一つもない。
――だが、それでいい。焦らなくていい……。何より隠れること、俺が見つからないこと。弾を当てることよりも、俺があの攻撃を避け続けることを優先するべきだ……。
その時、木の陰から顔を出していたアイトールの視界の中で、ユージンが大げさな動きで腕をぐるりと振り払った。最大サイズの炎熱が吹き出して、周囲の木々を一緒に叩きはらい、あっというまに開けた景色の中に――アイトールのグレーのコートが入る。
「――見つけたぜ」
それはユージンにとっては勝利宣言にひとしく、白く焦げ付く空気の中で素早く手を振ると――数秒後にはそのコートは骨も残さない業火に包まれていた。
――あいつの能力は見られず、か。あっけねえな。
乾いた音をたてて燃える道を進み、コートに近づく。
と、ユージンの背中に鈍い衝撃が音もなく突き刺さり、その体は地面に勢いよく倒された。その背後ではアイトールが――コートを脱いだアイトールが銃を構えて肩で息をしている。汗と泥とで顔が薄黒く汚れていた。
「お前……」
ユージンがうつぶせのままでうめき、右手が地面を引っかくのを見たアイトールは続けて2発、その背中めがけて引き金を絞った。サイレンサーで押さえられた発砲音がして、ユージンの体が小さく跳ねる。
――この追っ手、生かして、いろいろ聞きだそうかと思ったが……無理だ。殺せるときに殺しちまわないと、俺が殺される……。
アイトールの呼吸は乱れたままだ。銃を握る手がかすかに震えるのは、人を殺したショックか、それとも死地を脱したことの高揚か、わからない。
――こいつの力は火を出すだけ……。攻撃にも、防御にも使える能力だが、それをコントロールするのはこいつ自身だ。見えない敵を攻撃したりも出来ないし、不意打ちは防御することも出来ない。
――ハイになった知覚にスキを作れりゃあと思ってコートをしかけたが……クソッ!丸焦げどころか、布クズも残ってない。もったいねえな。
アイトールは呼吸を落ちつけてから、銃をズボンのポケットに無理やりねじ込むと、せめて情報はないかと動かなくなったユージンの死体を探る。財布を取り出すが、中には金しか入っていない。札の間まで調べてみたが、ガムの包み紙が一枚見つかっただけだった。ポケットから引き抜いたタバコの箱には、数本の紙巻きたばこに混ざって写真が二枚入っていた。一枚を取り出すと――依頼人から渡されたのだろう。それはアイトール自身の写真だ。もう一枚を確認しようとすると、突然タバコごと“それ”は炎上した。驚いて投げ捨てる。投げ捨てられ、転がった燃えクズの先では――いつのまにかユージンが立ち上がっていた。全身の毛が逆立ち、思考が混乱し、逃げるか戦うかの判断がゴチャゴチャになり、一瞬フリーズする。叫び声もでない。そのスキに、アイトールの腕はユージンの手にがっちりと掴まれていた。
「はは……痛いな、痛すぎる。正直な話、少しだけ眠った。さっきの一撃も……はずしちまった……」
「でも、次ははずさない。はずしようが無い……だろ?」
喘ぎ喘ぎしゃべるユージンの瞳に、悪魔の光がともる。
アイトールは自由な手で素早く小型拳銃を引き抜くと、男の死角から、土に汚れたスタジアムジャンパーの胸に一発撃ち込んだ。男はうめき声をあげてのけぞるが、腕から力は抜けない。小さな弾丸は服を貫き、男の肌に食い込み――そこで何か強い力に押し戻されるように止まり、またたくまに男の体から押し出された。男の体に食い込むはずだった弾丸は、小指の先ほどの穴を残して、地面に落ちる。
「俺の能力は、暴君に見えてずいぶん都合がよくてね……。俺のつくった衝撃や熱では俺がダメージを受けることは無い。そういうように出来ているんだ」
語る男の脚が白熱を帯び、その脚に向かって転がった銃弾が淡い音を残して蒸発する。
押し返される弾丸を見て、アイトールは理解した。男がなぜ死んでいないのかということも、これから自分が消されるだろうということも。
――この男の力は、自動での防御も回避も出来るようなものじゃない。見えないところからの射撃は見えないままだ。
――だけど、こいつは“弾丸が肌に食い込む痛み”を察知した瞬間に、銃弾を体内から押し出していた……。
「あばよ。臆病者」
男の脚が自身に振り上げられるのがわかった。痛みも死も覚悟する間もなく、思考が消え、音が消え、何もわからなくなり、ただ呆然としただけだった。
しかし。その一撃は訪れなかった。
銃声のような音がした気もするが、はっきりしない。ただ、男の脚が何かに弾かれたように中空で軌道を変え、熱の余波がシャツを焦がして飛び去って行っただけだった。
「おい……誰だ?」
ユージンの脚から弾丸が――先刻の小型拳銃のものに比べて一回り大きい弾丸が転げ落ち、ユージンは怒気と殺気をみなぎらせながら、闇の中を睨みつける。
続いて、銃声が立て続けに3発。今度はユージンも炎の壁を張って応じた。一発目が壁の真ん中に水平に刺さり、二発目がややななめ上から、三発目がさらにその上から突き下る。
射手は上に居た。
ユージンが火炎を斜め上の空中に乱雑に散らす。その火の明かりにまぎれて、木々の枝を飛び移るシルエットが見え隠れする。
アイトールにも一瞬見えたそれは、あの酒場での――
「そうなっちゃうと本当になさけないのね。アイトール。でも、間に合ってよかった」
アイトールの上方の葉影、右手側か、それとも奥か、どこからともなくする声は、フランシスカのそれだった。
そこから先の戦いは、アイトールは記憶することが出来なかった。あまりにも常識外れだからではない。単純に、戦いの姿が――シスカの声はしてもその体が殆ど視認できなかったからだ。いや、視認どころではない。声も銃声も、上空を飛びまわり、あちらこちらから聞こえ、どこから響いてくるのかもわからない。きっとそれはユージンも同じなのだろう、と、やたらに大きな炎を展開する姿を見てアイトールは感じた。
「てめえ!何処から……」
銃声。ユージンのつま先が被弾したようだ。苦痛のうめきが燃焼音にまざる。
それでも地に倒れずに放った炎が、誰もいない空間を焼いた。その隙をついてさらに銃声が鳴った。
断片的な声が空から降る。
「マズい能力よ。あなたのソレ」
「ただ炎を飛ばすだけ。炎で焼くだけ」
「銃を大きくしたのとあまり変わらない力で……それを使うあんたの性能は生身の人間と同じなんでしょ?」
なぜ、これほどの勢いで燃え盛る炎がシスカにダメージを与えていないのかがアイトールには不思議だった。確かに中空では炎の勢いが地上よりも弱いが、それでも無理な動きをすればすぐに追いつめられるほどの火勢は保っている。全ての炎の様子、焼け落ちそうな枝の所在などが分かっていなければ、とても常人の“とっさの判断”などで動けるものではないと思っていたのだ。
そうあるはずなのに――今、追いつめられていたのはユージンだった。体中に穴を開け、血濡れになりながら、うつろな眼であたりを見回している。腕だけが独立した生き物のように活発に動いて闇雲に火炎をまき散らしている。
アイトールは木陰からその立ち姿に引き金を絞る。異能同士の戦いとはいえ、ただ静観している理由はなかった。
「馬鹿!」
その声と、アイトールの銃声が響いたのは同時。一瞬の後着弾し、男の服に新たな穴が開くと――ビクリと跳ねたユージンの体から、火柱がすさまじい速度でアイトールに突進してきていた。
シスカの声を聞いた時にすでに飛びのいていたのが幸いした――この火炎は見てから避けられるような代物ではなく、受けたら生身の肉体は蒸発してしまうほどの高熱だ。炎はアイトールのすぐ脇を通り抜けていったが、その熱波だけでも鋭い痛みが皮膚にはしり、叫びそうなくらいだった。
「銃弾を“返す”力の応用なの!」
「いまのコイツは」
「銃弾をはじき返すと同時に、銃弾が来た方向に炎を返しているのよ!」
それで、わかった。ユージンが無茶苦茶に炎をばらまいていたように見えたのはアイトールにシスカの動きが知覚できていなかったからだった。あれは無茶苦茶なのではなく――物音、銃弾、銃声、それを追っていたのだ。単純な追跡が当てずっぽうに見えるほどのシスカの動きとはどういったものなのか、アイトールにはやはりわからない。
「くそ……くそ……畜生……」
「…………――ッ!!」
もはやついていた勝負、時間の問題となった生死を決定的にする一撃が放たれた。その銃弾を、ユージンは“受け”損ね、とうとう体を貫通する穴があいたのだ。崩れ落ちる。瞳の光が弱まり、右手の光が消えていく。
「終わったわね」
さくり、という軽い音をさせてシスカが焦土に降りて来た。ところどころ土汚れはあるものの、服の何処も焦げてはいない。
「そんなに近づいて大丈夫か……」
「二重の血にその顔で、“一般人”みたいな心配されるとちょっと変な感じだわ」
シスカはユージンに歩み寄る。栗色のセミロングが一歩ごとに耳元で揺れた。
「二重の血ね……」
ユージンが独り言のように呟いた。既に光を消した瞳が近づいてくるシスカを――おそらくこの戦いで初めて、はっきりと見る。と、その顔が凍りつく。シスカが男に涼しい声で問う。
「さて……あなた、“組織”の人間じゃないわね?」
ユージンは応えない。表情を変えずにシスカを凝視している。シスカは構わずに続けた。
「それなら殺す前に聞きたいことが……」
その声を遮って、奇妙に甲高い笑い声が炸裂した。笑い声というよりも嘲笑の笑いに近い、思い切り馬鹿にしたような笑い。死にかけのユージンは、全身を震わせて自嘲的に笑っており、思わずアイトールは異様な光景にたじろぐ。シスカも予想外の大声に驚いて一歩退いていた。
「はははは!ひゃははははは!マジかよ!うまく出来てるなあ世の中!アンタか!アンタが俺を殺したのか!」
「あなた、私を知って……」
「知らねえよ。いや、嘘だな。知ってる。半分知っているけど、半分は知らない……はは、冗談みてえだ。ツいてない仕事だ」
次はシスカが表情をはっきりと変えた。倒れている男に向かって、強く、深く一歩踏み出す。こぶしが強く握られている。
「“組織”の外の能力者……で、私のことを知っている……私が知らない、私を知る能力者。あなた、まさか」
「まさか、なんだい?」
「――という名前に聞き覚えはある?」
小声で素早くささやかれた名前は、アイトールのもとには、枝の焼ける音に邪魔され、届かなかった。しかしユージンには聞こえたようだ。短く馬鹿にしたようにひゃはは、と笑う。
「答えなさい!」
シスカは語気を荒げ、男の眉間に拳銃を突きつけた。引き金にかけた指には震えるほど力がこもっていた。
「さあ……知るか知らないか……忘れたかなあ……」
地に崩れたまま応えるユージンは、顔だけでシスカをしっかり見上げ、その瞳に再び赤い光が戻る。
「やるの」とシスカは応え、「何度でもいいわ。やればやるほど徹底的に傷つける。銃で撃って、血を絞り取る。あなたが質問に答えるまで絶対にラクにはさせない」
ユージンが笑い返した。狂気の笑みだ。
「それ、その必死な雰囲気格好いいぜ……人殺し」
――そして、ユージンの体を光が包んだ。
「死んでも答えてやんねえさ……ってな。はははは。ははははははは…………」
止める間もないし、止めても無駄だ。そういう炎だ。ユージンは高笑いだけを残して残骸へと変わり果てていく。悪臭さえしないような業火。シスカは光に照らされながら、唇を血がにじむほどかみしめ、思いつめたように火葬を凝視していた。