怪奇事変 音楽室の噂
第四十一怪 音楽室の噂
この学校には在り来たりではあるが、少し変わった噂がある。
夜にピアノが一人手に旋律を奏でるとかそう言う話ではない。
ただ——この噂は学生たちによって湾曲された噂であり、本当の噂と湾曲された噂で誤魔化されていると言った方が正しいのかもしれない。
「またあの音楽室か~」
「夜に弾かれるピアノの音とかベートヴェンの目が光るとか?」
「てか、どれがマジの噂か分からなくね?」
「今夜忍び込んでみる?」
「止めろとこうぜ。だってB組の田中、それで散々な目に遭ったって話してたじゃねーか」
学生達は足取りを重くしながら移動を始める。
音楽の時間と言えば学生にとってサービス授業のようなものだっと考える人間が大半のようで、勿論真面目に授業に没頭している者もいる。
だが、この噂が流れて以来学生は怪談とも呼べる学校の七不思議となりえる噂の方に意識を向けるあまり授業を真面目に受けようと考えている人間は極少数となってしまった。
そんな学生たちの移動を後ろから眺めている者が居た、音楽を担当している教師だ。
「……」
彼女はこの学校に就任してずっと音楽の授業を受け持っている。
と言うよりは音楽の教員免許しかもっていないため、他の授業を行うことができないと言うのが正しい。
彼女も最初の内はそれで良いと考えていたし、特に深く考えていなかった。
何となく授業を受ける学生、真面目に受ける学生、それら全員を受け持って自分の知識を披露し音楽の世界を知ってもらう。
そんな漠然とした形で学校側からも評価をもらえればいいと考えていたのだから。
だが今は余計な噂話が授業の妨げになっている。
開始直後の一言目は決まっていつも決まっている。
「はいはい、噂話はそこまでにして、静かに!」
これだ。
興奮している学生を諫めるのは骨が折れる。
「それでは教科書の三十ページを開いて——」
噂——それが流れだした頃から教員は考えていたことがある。
なにせ彼女はその噂の真相を知っている人物の1人だからである。
この噂には厄介な問題点がある、それは大人である彼女がその噂を——
「はい、音程が少しずれているので調整しましょう、もう一度」
忘れる。
今は漠然と授業に集中していればそれで良い、あの時はきっと疲労が溜まってたが故に、噂話と言う土台もあったからあんなモノを聞いてしまったのかもしれない。
忘れる。
漠然と、淡々と、作業的に。
そうすることでようやく平静を保てる。
「はい、今日は此処まで!忘れ物しないように」
ずらずらと部屋から出ていく生徒を見送り最後に戸を閉めようと教室を見渡した時、ふと1つの絵画と目があった。
「……」
絵画が光る訳がない、絵について詳しくはないがそんな仕掛けを作って何になる?
神聖な学び場に遊び心は必要ない、あれば教員達で作れば良い。
そう考えて彼女は教室の鍵を閉めてその場を後にした。
「教頭」
「ああ、君か。また例の話かい?」
「はい、数学の教員免許を取りましたので移動をお願いしたいです」
「ふむ、君は最初この学校で音楽の素晴らしさを学生に知ってもらうためにその教鞭を振るうと言っていたが、違ったかな?」
「いいえ」
「部活動による功績も高いし、君の後釜となれる教師も見つかっていない」
「それは……音楽の教員免許を持ってる人が居ないってことでしょうか?」
「それもある、一般的には広い学校と言われても我々の身は小数、他の企業の様に異動願いを受理できる程簡単な話じゃないんだよ」
「ですが!」
「半年前の巡回で見た悪戯が出回っている“噂”だと君も信じるのかい?」
「い、いえ」
「学生の悪戯を真に受けてしまうのも、君が真面目だからかもしれないが、それを本気で捉えられて学業に支障が出る様な授業や生活をされるようだと、こちらも考えなければならない」
「……」
「言っておくが、君の態度の問題にも直結する。つまり校内での異動ではなくなる、校長もそう考えているよ」
「……申し訳ありません、できれば考えていただければと」
「はぁ……分かった。校長には伝えておくが、あまり過度な期待をしないでくれたまえ」
「はい」
「今日、巡回は君だ、分かっていると思うが“噂”だからと言って音楽室を見回らないのは止めたまえよ、学生ではあるまいし」
そう文句を言う様に自分の作業に戻る教頭を見て、彼女も作業スペースに戻る。
「大丈夫ですか、先生」
声を掛けてくれたのは隣の席の別の教員だった」
「あ、はい。すみません」
何だか謝罪が出てしまう。
見方を変えれば自分の気持ち1つで全体を巻き込もうとしている訳だし、何より数学を担当している教員に顔向けが出来てないのも事実だ。
このことを知った数学の教員は酷く腹を立てていて、次の日の挨拶も返してくれない程に激怒していた。
それを知った他の教員にも噂になって、今では“教員の中の学生”なんて不名誉なあだ名をつけられている。
何処かで聞いたフレーズにはなるが、見た目は大人でも心は子供——そんな感じだ。
だが、音楽の教員だからこそ、あの半年前の巡回で知った恐怖は拭えない。
今でも忘れたことはないし、毎日その楽曲が流れて来るのを思い出す。
そう——半年前だ。
半年前の夜間の巡回、担当は自分だった。
いつも通り校内に残っている学生が居ないか?鍵はちゃんと閉まっているかの点検も兼ねて巡回を行っている時に、起きた話。
その頃から学生の間でも学校の七不思議なんて呼ばれて担当する音楽室にも怪談話があがっていた。
「ばっかみたい」
実際そんなモノがあるなら見てみたいと思う程、彼女は気が強かったし、何より信じてなかった。
ライトを照らしながら順番に確認する作業は確かに、 不気味ではあったが、慣れてしまえば作業の一部にすぎない。
もし世界線が違ったのなら、今はこの学校の教員としてではなく心霊系の何かに携わっていた可能性だってあるだろう。
そんな事を考えながら巡回している僅かにだが何かの音が聴こえる。
「……アイツ等」
多分、吹奏楽部の学生が居残りで部活をしているに違いない。
否定しなかったのは顧問が自分であることと、本日何の申請もなかったからだ。
急いで音楽室に向かう中、徐々に音程がハッキリとしてヴァイオリンで音楽を演奏している音がハッキリと聴こえる。
だが奇妙なのはその教室に差し掛かって、明かりが点いていない点だった。
「バレないようにって?音でバレバレなんですけど」
恐らく最初はバレないように明かりを消しているのだと思っていたが、学生も馬鹿ではない。
音でバレるのに何故暗くして演奏をする必要があるのか?
それよりも暗い中、楽譜を見て演奏を引くことができるのか??
「てかこの楽曲、ベートヴェンの交響曲第9番じゃない」
そんな曲を演奏させた覚えはない。
部活動で発表する曲はまた別のものだ、なのに違うモノを演奏していることに腹を立てた彼女はズカズカと部屋に近づき勢いよく扉を開けた。
「コラ!許可もなく室内で居残り練習をしているのは誰——」
だが——そこには誰の姿もない。
代わりに椅子に誰の絵画か分からない程、塗りつぶされた真っ暗な顔と、周りにはその楽曲に必要な楽器が並んでおり、まるで夜の演奏会とでも言うべき状況で音楽は来訪者に文句を言う訳でもなく、1人手に演奏を行っていた。
「……嘘」
信じられない光景を目の当たりにしながら、演奏は続く。
本来、交響曲第9番は全4楽章となる楽曲——昼間学生が噂していたベートヴェンの曲だ。
怪談話などでは4楽章が死を連想することから、隠された本当の4楽章があると言われたりされている。
まさにその4楽章が今演奏されているところだった。
音色は先ほどよりも静かではあったが、無事に演奏を終了すると沈黙を守っていた教師が口をパクパクと開けながら我が目を疑った。
それで終わりのはずが、まるで続きがあると言わんばかりに、急に楽器たちが暴走したかのように高い音色の音を上げ始めた。
「な、なに!?」
聴いたことのない楽曲が響く。
知らない曲、こんな物がベートヴェンの曲にあったかどうか。
そして気づいてはいけないモノに気づいてしまった。
そこで見たのは——先ほどまで塗りつぶされた絵画の輪郭がハッキリとしており、目からは妖しく光、赤い光。
僅かに笑っているような、いや、不気味に笑っている。
そこに本人が居たのならタクトを振るいその笑顔のまま演奏しているのではないかという程に。
「……ヒィ!?」
そこでようやく気付いた。
観客は——自分だけではないと言うことに。
無数の笑みを浮かべた半透明の者達がその楽曲を聞いている。
演奏者もまた笑っていた、不敵に、いや、あるいは残酷とでも言うべきか?
恐怖のあまり鳥肌が立つ。
演奏は長く、その間、彼女は静かに此処を立ち去ろうとしたが……扉が開かない。
「どう……して!?」
音楽は続く、そして最終盤に入ったのか演奏はより強く、恐ろしい音色は奏でていた。
必死に扉を開けようともがくも、何かの力が働いて開かない。
そして——最後のヴァイオリン、不気味な音色が響いたところで、演奏は終了した。
「……」
腰を抜かしてしまい、目尻からは涙、気づけば失禁すらしてしまっていた。
それほどの——恐怖。
恐怖には耐性がある方だと思っていた、だが違った。
扉が開かないのも原因だが一番はこの演奏だ。
聴いていると脳まで掻き回されて、違う何かが入り込んでくるような感覚をずっと味わい続けていた。
ようやく演奏が止まったことでそれはなくなったが、彼女の身体には——無数の手の跡が残っていた。
あれ以来、あの楽曲と恐怖がぬぐえない。
日中の授業であっても恐怖は拭えない。
インターネット調べたがあの曲はヒットすることもなく、ベートヴェンを調べたがそのような過去の記録はない。
何を聞かされたのかは分からないが、彼女は恐らく——この世で最も聞いてはならない曲を聞いてしまったのかもしれない。
それ以来、音楽の道から外れることを決意し、何とか自分で取れそうな別の教員免許を取得した。
「……」
だがきっと、なんとなく、それも無駄になるような気がした。
今夜の見回りはまた自分。
嫌でもあの教室を目指さなければならない。
あの演奏を聴いた日から頭の中で鳴り響いている曲、これは直感だ、きっとアレは聴いてはいけない曲なのだ。
最も学校に居る時間の中で、長時間居るあの部屋に、彼女が知っている部屋ではないあの夜の教室に足を運ばなければならない。
そしてきっと足を運べばもう——戻って来れない気がした。
第四十一怪 深夜の演奏会
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