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逢引きと芽生えた恋心

 七海が宣戦布告して以降、嫌がらせという名の薄味料理は続いていた。

 相手は図体が大きいのに中身は小心者だと分かっている七海は、過去にされてきた約五百万ネコババされたこと、異性にしつこく飲み会に誘われたこと、お昼ご飯を捨てられたり私物をだめにされたことに比べれば、随分可愛いものであると放置していた。

 変に悟りを開いてしまった七海は遠い目をすることがややあったので、その度に乙葉は心配そうに声をかけた。


「どうしたんだい、七海。遠くを見つめて」

「ううん、なんでもないよ」


 今日の朝食もうっすい味で大変健康によろしいご飯を食べながら、静かな空間を切り裂くように七海は口を開いた。


「ねえ乙葉、少しいい?」


 口の中の物をきちんと飲み込んでから、乙葉は「いいよ」と言った。


「あのね、この前の逢引きのこと考えてくれた?」


 逢引きと聞いて赤面しながら乙葉は「もちろんだよ」と答えてくれた。


「私の予定は日中埋まっているけれど、きちんと時間を作るから安心しておくれ」

「そうなの? でも、そうしたら乙葉が無理して時間を作ることになるじゃない? それってすごく大変なことだと思うし、乙葉に無理してほしくないから本当に時間のある時でいいよ」

「だが……」

「いいの。私も陸では社畜やってたし、仕事の大変さは理解しているから」


 初めて聞く単語に乙葉は首を傾げた。


「シャチク? それはなんだい?」


 改めて問われると、説明が難しい。


「なんていうのかな、会社の言うことを聞いて時間関係なしに働くこと?」

「なんてことだ、七海はそんなに過酷な環境にいたのか!?」

「うん、でも今は楽しいよ。乙葉がいてくれるし、小梅や隼人──七海が助けた子亀──もいるからね。私、乙葉に出会えてよかった」


 にっこりと七海が微笑めば、乙葉も照れたように笑みを見せてくれた。


「七海さえよければ、今夜眠る前に城の外を歩かないか?」

「いいの?」

「もちろんだよ」

「嬉しい! 楽しみにしてるね」

「私も楽しみだ」



 勉強中、ずっと機嫌がいい七海に、家庭教師こと夢子は「何かよいことでもございましたか?」と尋ねてきた。

 七海は朝食に乙葉と約束した逢引きのことを言うと、夢子は小梅と似たような反応を見せた」


「まあまあ! ご夫婦仲がよろしくて大変喜ばしいことですわ。これでは御子の顔を見られるのが早くなりそうですわね」


 それを言われて七海はギクっとした。同衾はしていても、子どもができることはしていないからである。


「そ、そうだね」


 お互いを知って寄り添える夫婦になろう。そう決めたのは乙葉と七海自身だ。そこには何も後ろめたいことなんてないのに、なんだか騙しているような気になって落ち込みそうになるが、七海は取り繕うのが得意なので表面上は明るく笑ってその場をやり過ごした。



 その晩、いつもなら入浴後長襦袢に着替えるのだが、この後は城の外を探索するので、下着同然の姿のままでいるわけにはいかない。長襦袢の上に藍色の着物を着て、乙葉が夫婦の部屋に来るのを待った。

 七海は髪が長いので、色んな髪型にできて楽しいと小梅は言う。

 今晩はゆったりとした三つ編みが右肩から流れるようにしてくれた。

 髪や肌から香油のいい香りがして、なんだかそわそわそてしまう。


「待たせたね」


 そう言ってやって来たのは、七海と似た色合いの着物を着た乙葉だった。

 乙葉も七海同様右肩にゆったりとした三つ編みを垂らしている。お揃いであることに恥ずかしさで頬が熱くなる七海は、手でぱたぱたと扇ぐ。

 どうやらそれは乙葉も同じだったらしく、「揃いの装いだね」と照れながら七海に手を差し出した。


「さあ、行こうか」

「うん」

「その前に、冷えるといけないから何か羽織るものが必要だね」

「それならこちらにございます」


 小梅が羽織をかけてくれたので、七海は幾分か温かくなった。

 再び手を繋ぎ直したふたりは夜の竜宮城を散策した。


 少し離れたところで小梅と乙葉の近侍である霜月が、七海と乙葉の後をついて回る。

 海人の体温は人間より低いようで乙葉の手先がほんのりと冷たいが、それでも伝わるぬくもりが心地いいと七海は思った。

 先ほどからずっと沈黙が続いており、さすがに気まずくなった七海は何か話せることはないかと頭をフル回転させた。


「そうだ、私達お互いの名前と年齢しか知らなかったよね。今さらだけれど自己紹介しようか」

「そういえばそうだね、では、私から。私は乙葉といって、年齢は百二十歳だ」

「それは知ってるよ」


 七海はおかしそうにくすくすと笑った。


「それなら、七海が教えてくれるかい?」


 少しむっとしたような表情で乙葉は言った。


「いいよ。私の好きなもの、というより趣味は読書で、こう見えても勉強は得意なんだよ。嫌いなものは孤独、かな」

「どうして孤独が嫌いなんだい?」

「私はね、事故で家族を三人失ったの」

「そうか、辛かったね……。でも、私も同じだから気持ちは分かるよ。実はね、私の両親は私が二十歳の時に全て奪われたんだ」


 七海は竜宮城に乙葉の両親がいないことには気づいていた。

 しかし、城を継いだ乙葉に全てを任せて夫婦揃って海を漂っているのだろうと、そんな幻想的な考えを持っていた七海だが、現実というものはどこも厳しいものらしい。


「何に……?」

「海だよ」

「そんな、どうして……」

「母なる海はとても気まぐれなんだよ、そこに理由などない。海人は死ぬ直前に奇跡を起こすと言われていてね、私の両親は最期の時に竜宮城を守って海に消えたんだ」


 竜宮城が美しく保たれているのは、乙葉の両親の尊い犠牲があってこそなのだと知り、七海は涙がこぼれた。


「乙葉も辛かったね……」

「……そうだね。でも、私の周りにはたくさんの臣下がいた。だから、塞ぎ込まずに済んだんだ七海にもそういうひとがいたのならいいのだけれど……」

「……私にはいなかったよ」


 七海は自身の過去を語った。

 家族を事故で失ってから親戚にたらい回しにされそうになったこと、高校を卒業したら働くと言った結果母方の祖母に引き取られたこと、両親の遺産が思ったより多くあったので進学しようと祖母に告げたら金を持ってトンズラされたこと、そこから必死に働いたこと、異性からは厭らしい目で見られ、同性からは嫉妬や蔑み、または直接的な嫌がらせをされたことを訥々と話した。

 今も魚人からしょうもない嫌がらせをされているが、それは言わないでおいた。このことを知ったら、乙葉は悲しみに暮れるだろうから。

 とりあえずイルカ軍団は自分の手でどうにかしようと決意する。


「そうか、七海の人生も波瀾万丈だったんだね」

「でも、今はすごく幸せだよ。こうして私のことを気にかけてくれる乙葉がいるし、小梅や隼人、魚人のみんながいる。ひとりぼっちでいた時よりずっといい。 ……その、眠る時、乙葉が抱きしめてくれるから、嬉しいの」

「なんていじらしいことを……。これが愛おしいという感情なんだね」


 外だというのに人目を憚らず乙葉は七海を抱きしめた。

 ぎゅうぎゅうと抱く腕は細身ではあるが、七海よりもがっしりとしていて男のひとなんだと思い知らされる。

 七海はそろりと抱きしめ返すと、乙葉は七海の首元に顔を埋めて首に触れるだけの口づけをした。


「ちょっと、乙葉……!」

「だめ?」

「だめじゃない、けど……!」

「それならいいよね」


 次は耳、髪、額、頬へと口づけをされる。


「海人は恋愛しないんじゃなかったの!?」

「私の両親は結婚してから恋愛したそうだよ。そうだ、海人は必ずしも恋愛しないとは限らないということを言い忘れていたよ、すまないね」


 全くすまなさそうにしていない乙葉はどこか楽し気に七海へと口づけを落とす。


「ああ、でも、ここはまだもったいないかな」


 ちょんと人差し指で唇をつつかれて、七海はその意味を理解して身体が熱くなる。


「既にもらったけれど、ここはお互いのことをちゃんと好きになってからしようね」


 七海はこくんと頷いたが、ズキンと胸が痛んだ。

 唇以外にキスはするくせに、まだ気持ちが七海に向いてないのだと言外に言っているようなもので、七海は傷ついたと同時に気づいてしまった。とっくに乙葉のことが好きなのだと──。


「さあ、そろそろ冷えるから中に入ろうか」

「……うん」


 七海はショックで聞き忘れていたことがあった。それは、乙葉の好きなものである。



 七海は部屋に戻り、小梅に着物を脱がされて肌襦袢の恰好にされる。


「ねえ、私って海人や魚人から見て魅力のない女に見える?」

「そのようなことはございませんよ、七海様は素敵なお嬢さんです」

「そっか、それならいいんだ」

「……何かございましたか?」

「私達夫婦のことなんだけど……」

「もし、わたくしでお力になれることがございましたら、どうぞご遠慮なくお声掛けくださいませ」


 小梅の頼もしい言葉を聞いた七海は、相談できる相手が小梅しかいないこともあり、彼女に話すことにした。


「あのね、聞いてくれる?」

「もちろんですとも」


 七海は夫婦の約束事、もとい恋愛してから距離を縮めようということを話した。


「七海様は、乙葉様より口付けが欲しかったということですか?」

「うん……」


 はっきりと言葉にされるとどうにも恥ずかしいが、その通りなので頷く他ない。


「七海様は既に恋をなさっているのですね」

「でも、乙葉の方は違うみたいで、なんだか悲しくなっちゃったの」

「では、乙葉様に直接お尋ねになってみてはいかがでしょうか」


 もし、乙葉に拒絶でもされたらどうしよう。

 きっと、何もかも嫌になって、七海は壊れてしまうかもしれない。

 もはや七海の世界は乙葉を中心に回っていた。彼がいなければ、生きていくことなどもうできないのだから。


「ええ? さすがに早すぎない? 振られたら立ち直れない……。私には乙葉しかいないんだし」

「それでしたら、今の距離感を大事に思っていることをお伝えするのはどうでしょうか」


 今の距離感を保てるのなら、七海にとってはありがたくももどかしい。

 それでも、前を向かなくては宙ぶらりんのままだ。


「それならできるかも。ありがとう、小梅」

「いいえ、七海様のお心が晴れたのでしたらよろしかったです」


 夫婦の寝室に行くと、既に乙葉は布団の中に入っていた。


「遅かったね、七海。おいで」


 いつもより積極的な乙葉にドキドキする七海だが、それが恋愛感情ではないにせよ、好意的に見てくれているからこうして腕の中に抱き寄せてくれるのだと思うことにした。


「ねえ、乙葉」

「なんだい?」

「私、少しずつ乙葉と距離が縮んできて嬉しい」

「そうかい? 私も嬉しいよ」


 じゃあどうして唇にキスをしてくれないの? と言いかけてやめた。乙葉は七海以上に恋愛のいろはを知らないのだ。少しずつ仲良くなっていこうと決めたのは夫婦ふたり。七海が先走ってしまったとしても、優しい乙葉のことだからきっとそれに付き合ってくれるだろう。心が伴わない行為は虚しさしか残らない。

 七海はゆっくり焦らず今の距離感を大切にしていこうと心に決めた


 次の日、城中がにいつもより賑わっており、七海に向けられる視線は生温かいもので、何かあったのだろうかと小梅に聞くと、どうやら昨日の逢引きが竜宮城に住む者達からは見えていたそうで、仲睦まじい主夫妻を見てはしゃいでいるのそうだ。

 昨日は唇以外にキスをされたので、それもまた見られているのだと思うと恥ずかしさで穴があったら入りたい。

 七海は真っ赤になりながらも、乙葉の妻として堂々とした振る舞いが様になってきたと家庭教師は喜んでいた。



 城中が主夫妻フィーバーの中、一部の女イルカ達だけはこの状況に腹が立っていた。

 何か、あの陸の女を追い出すきっかけがほしい──。



 家庭教師の夢子から教わる海の世界の話は面白い。

 七海は元は陸の人間で純海人ではないため、海人と同じ寿命にならないことを教わった。

 海人は死んだら遺体を海に放流して、母なる海がその命を食べることによって命は流転するのだそうだ。


「陸の世界にも似たような考えはあったよ、確か輪廻転生というの」

「どういう意味なのですか?」

「死んだら別の生命体に生まれ変わるんだって。私、宗教には詳しくないからこの程度しか分からないけれど、命の在り方を考えるのって不思議で難しいことだよね」

「左様でございますね」

「魚人も海人と同じなの?」

「はい、その通りでございます」


 海に生まれた生き物達は、みな一様に寿命が長いのだそうだ。陸の生き物ですら長くて百年程度なのに、海の生き物はそれを優に超えるのだ。


「でも、命が儚くなる時は誰だってあることなんだよね? そうしたら、この竜宮城の主である乙葉はどうなるの? 私やみんなを見送ることになるんだよね? 乙葉がずっと寂しそうなのって、そういうことなのかな……」


 乙葉はいつもどこか寂しげな雰囲気を醸し出していた。

 それは、悠久の時を生きる彼にしか分からない悩みがあるのかもしれない。

 全ての生き物達を見送る乙葉には、一体何が残るのだろうか。


「私には乙葉様のお気持ちをはかることは出来兼ねます。ですが、七海様にはお心を開いていらっしゃるようですから、一度お尋ねしてみてはいかがでしょうか?」

「うん、そうするよ」



 その晩、恒例となっている一日に起きた出来事を話す時間で七海は夢子と話した流転について聞いてみた。


「乙葉、海人や魚人は命が儚くなった時はご遺体を海に放流するんだってね」

「そうだよ、陸の人間にはない文化と聞いていたけれど、七海はどう思った?」

「こういったら失礼なのかもしれないけれど、ロマンチックだなって思ったよ。私がそうなった時も、慣習にならって海に命を差し出すんだよね。そして、また、乙葉のもとに戻ってくるの」


 七海がそういうと、乙葉は瞬いた。


「乙葉が時々寂しそうにしていることに気づいていたよ。今の私じゃあと五十年前後しか一緒にいてあげられないけれど、今度は正真正銘海人に生まれ変わって乙葉に会いにくるね」


 愛の告白とも取れる七海の言葉に、乙葉は泣きそうな顔をしていた。

 海人として生きる乙葉は、きっとこれからとてつもなく永い時間が待っている。

 そんな乙葉を一人にはしたくなかった七海は、乙葉といられるのなら人間にこだわる必要はないなと思ったのだ。


「その言葉、私は間に受けてしまうよ?」

「いいよ。私は乙葉と出会うために生まれてきたと思うんだ」

「すごい口説き文句だね。でも、私のこの永い命も七海のためにあるのかもしれないね」

「私だけ?」

「そう、七海だけ」

「嬉しい……」

「お互い様だね」


 そう言って乙葉は七海の頬に口づけた。


「私には魚人の家臣がいてくれるけれど、海人はいなかったからね。この妙に胸が疼く感情は、寂しいということだったのかな」

「そうかも。ねえ、私とたくさんの感情を知っていこうよ。乙葉とならきっと素敵な思い出を作れるって信じてる」

「私もだよ、七海。あなたはいつだって私の手を取って新しい世界を見せてくれるんだ」

「それならよかった」


 七海から乙葉に抱きつくと、乙葉も優しくその腕に抱いてくれたのが嬉しかった。


「きっと会いに来るからね」

「いつまでも待っているよ」


 ふたりの間には、永遠にも近い時間の差がある。それでもそばにいたいと思ってしまうのは、乙葉のことが好きだからなのだろう。

 できることならこの幸せな時間がずっと続きますようにと七海は願った。

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