酒場にて
私はいつもの通りを歩いていた。
昼間の騒ぎを見て、町の様子を少しでも把握しておこうと思ったのだ。
商店の並ぶ通りを眺め、どの店が何を売っているのか、どこに人が集まっているのか、できる限り頭に入れる。
パン屋、肉屋、雑貨屋、そして酒場。
「……ここに食料を調達できそうだな」
小さな黒石とわずかに稼いだ硬貨を確認し、必要に応じて買い物できるように計算する。
通りを歩きながら、怪しい影や化け物の気配も注意深く探す。
昼間でも、町の奥や路地に入ると不穏な空気が漂っていた。
広場にある掲示板を見ると、仕事やいつ貼ったのか分からない依頼の情報が貼られている。
「ここで少し手伝いを探すのもありか?……」
一通り町を歩き、店や施設の位置を把握した私はは、夕暮れが近づく頃、宿へ戻ることにした。
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夜。
宿の部屋に戻った瞬間、腹の奥からぐう、と大きな音が鳴った。
そういえば、今日はまともに食事をしていない。
昼は街を歩き、何か仕事がないか探していただけだった。
あの騒ぎが起きてしまい、それどころではなかったのだ。
気が張っていたせいか、そのときは空腹すら感じなかったが、こうして静かな部屋に戻ると、急に体が食べ物を求めているのがわかる。
しばらく椅子に座っていたが、やがて一階から漂ってくる匂いに気づいた。
肉を焼く匂いだ。
脂の焦げる香ばしい香りと、煮込み料理のような濃い匂いが混ざり、空腹の胃を強く刺激してくる。
私は小さく息を吐き、立ち上がった。
階段を降りる。
一階の酒場は、昨日と同じように騒がしかった。
テーブルではハンターたちが酒を飲みながら大声で笑い、誰かが大げさな身振りで今日の狩りの話をしているらしい。
木の床には酒が少しこぼれ、油の匂いと煙草の匂いが混ざって、独特の空気が漂っていた。
奥のカウンターには、太った店主が立っていた。
大きな鍋を木のスプーンでかき混ぜながら、面倒くさそうな顔で客を見ている。
私はカウンターに近づいた。
「すみません」
店主はちらっとこちらを見た。
「飯か?」
ぶっきらぼうな声だった。
「はい」
店主は鍋をかき混ぜながら言った。
「肉の煮込みとパンで銅貨6枚だ」
私はポケットから硬貨を取り出した。
昨日と今日、街を歩き少し手伝ったおかげで稼いだ分だ。
決して多くはないが、食事くらいは問題ない。
「お願いします」
店主は何も言わず、皿に肉の煮込みを盛った。
濃い色のスープの中に、いくつかの肉の塊と野菜が浮かんでいる。
その横に、固そうなパンを二つ置いた。
「ほらよ」
皿を受け取り、私は近くのテーブルに座った。
湯気がゆっくりと立ち上っている。
肉は見た目からして少し固そうだが、匂いは悪くない。
むしろ、腹が減っているせいか、かなり美味しそうに感じた。
私はスプーンを手に取り、煮込みをすくった。
口に運ぶ。
……思ったよりうまい。
塩気は少し強いが、体に染み込むような味だった。
温かいスープが喉を通ると、胃の奥までじんわりと広がる。
空腹だったせいかもしれない。
私は無言で食べ続けた。
パンをちぎり、スープに浸し、また肉を口に運ぶ。
単純な料理だが、今の私にはそれで十分だった。
半分ほど食べたところで、向かいの席の椅子が引かれる音がした。
顔を上げると、昨日は見かけなかった男が座っていた。
三十代くらいだろうか。短い髭を生やし、少し日に焼けた顔をしている。
男は酒の入ったコップを机に置きながら、私を見た。
「お前、昨日もいたよな」
私は少し警戒して答える。
「ええ」
男は一口酒を飲むと、まるで何気ないことのように言った。
「お前、転移者か?」
私は一瞬言葉に詰まった。
だが、この世界では珍しくない話らしい。
「……多分」
男はふっと笑った。
「やっぱりな」
男はしばらく私の皿を見ていた。
そして言う。
「その食い方」
「はい?」
私はスプーンを止めた。
男は肩をすくめる。
「昨日まで普通の飯食ってた奴の食い方だ」
私は少し戸惑った。
男は続ける。
「この街の奴はそんな丁寧に食わねえ」
そう言って、パンを大きくちぎると、そのまま肉の皿に突っ込んだ。
スープを吸ったパンを、そのまま口に押し込む。
「ほら、こんな感じだ」
私は思わず苦笑した。
男は酒を飲みながら言った。
「まあ安心しろ。別に珍しくない」
「転移者って多いんですか」
男は椅子の背にもたれた。
「たまにな」
少し間を置いて、さらに続ける。
「ただし、大体すぐ死ぬ」
あっさりと言った。
私は何も言えなかった。
男は続ける。
「武器も金もないし、この世界のルールも知らない」
「化け物のこともな」
昼間の光景が頭に浮かんだ。
男は私の表情を見て言った。
「……もう見たか?」
「はい」
短く答える。
男は小さくうなずいた。
「まあ、見りゃ分かる」
酒をもう一口飲み、窓の外に目を向けながら言った。
「ここはクロノ町だ」
私は顔を上げた。
「クロノ町?」
「ああ」
男は窓の外を指さした。
「この辺りじゃ一番デカい街だ」
私は昼間見た景色を思い出した。
確かに、町の周囲には古い石壁が立っていた。
「外の壁、見ただろ」
「ええ」
「あれは昔……人間同士争いあった時代に作られたらしい」
男は肩をすくめる。
「化け物を完全に防げるわけじゃねえけどな」
少し間を置き、ガイルは付け加えた。
「まあ、町の中でも時々出るし……壁は気休め程度にしかならないしな」
少し間が空いた。
私は思い切って聞いた。
「この町の外はどうなってるんですか」
男は少し考えたあと、ゆっくり答えた。
「森と荒野、それと廃墟」
「廃墟?」
「昔の街だ」
男は皿のパンを取る。
「今は誰も住んでねえ」
「化け物がうじゃうじゃ徘徊してやがる」
少しにやりと笑い、男は追加で言った。
「クロノ町から歩いて三、四時間のとこに旧イェイル都市ってのがある」
「腕に自信あるハンターは、そこで残された財産を探したり、黒石を取りに行くんだぜ」
「……命の危険は覚悟の上だがな」
私は静かに聞いていた。
男はさらに続ける。
「ここから東に行くとウェイン」
その名前は昨日聞いた。
「クロノより危ねえ」
男はニヤッと笑った。
「あと数年もすりゃ、地図から消えるかもな」
私は皿の肉を食べ終えた。
体が少し温かい。
男は言った。
「そういえばお前、名前は?」
私は少し迷った。
だが、結局答えた。
「……ユウです」
男は小さくうなずく。
「俺はガイル」
握手はしなかった。
ただ酒を飲んだ。
やがてガイルは立ち上がった。
「まあ、生き延びろ」
そう言ってコップを置く。
「最初の一週間を越えられれば、少しは楽になる」
それだけ言うと、男は酒場の奥へと歩いていった。
私は一人で席に残った。
机の上には空の皿。
腹は満たされた。
窓の外を見る。
夜のクロノ町。
石壁の向こうの暗闇から、遠くでまた銃声が聞こえた。
ポケットの中で指輪を握る。
(あと4日)




