封剣の騎士
王都の騎士団本部は、石造りの堅牢な砦だ。街の中心にそびえるその場所は、魔獣の襲来や異界からの侵攻に備えて築かれた。だが今朝は、異様なほどに静まり返っていた。
リーナはゆっくりと門をくぐった。背筋を伸ばし、深く息を吸う。
「カイルはきっと、訓練場……」
剣戟の音が、石壁の向こうから微かに聞こえる。まだ彼は、自分の役目を果たしているのだろう。どんな時でも、決して己を崩さず、剣の修練と仲間の守護を欠かさない。それが、カイル・ヴァレンという男だった。
リーナは、彼を嫌いになったわけではなかった。
むしろ、初めて会った日のことは今でも鮮明に覚えている。
あれは七年前。初めて魔力が暴走し、周囲の建物を焼き払ってしまったとき。誰も近づこうとしなかった彼女の前に、彼は現れた。
「恐れるな。お前の力は、消すものではなく、制御するものだ」
そう言って、彼は躊躇なく彼女に近づき、封印の剣を突き立てた。その剣が胸に刺さるような痛みを伴いながら、彼女を静めたのだ。
助けてくれた。命を救ってくれた。そう思った。
でも――
「それは、私が自分を制御できなかったから。もう違う。今の私は……」
彼に縋るだけの少女ではない。
リーナは扉を押し開けた。
そこにいたのは、いつも通りの彼だった。剣を振るい、鋼の音を響かせ、仲間の騎士たちに指示を飛ばしている。まるで何一つ変わらない日常。その平穏さが、かえって胸を締めつける。
彼女に気づいたカイルが、眉をわずかに上げて歩み寄ってきた。
「どうした、リーナ。何かあったのか?」
その声はいつもと変わらない。穏やかで、落ち着いていて、だが、どこかで彼女の心を抑え込むような重さを帯びている。
リーナは一歩、彼に近づいた。
「話があるの。ふたりきりで」
カイルはうなずき、彼女を隣の休憩室へと誘った。木の扉が閉じられる音が、心の中で何かの終わりを告げたように感じられた。
「……私は、もうあなたの剣を必要としないの」
言葉が、意外なほどすんなりと出てきた。喉に詰まることも、震えることもなかった。
カイルの表情が、ゆっくりと変わっていく。
驚きではない。怒りでも、戸惑いでもない。ただ、深く……とても深く哀しそうな眼差しだった。
「そうか。……気づいていたよ」
リーナは瞬きをした。
「君の中の魔力が、もう暴れなくなっていること。君が、俺の剣なしで歩けるようになったこと」
彼は静かに笑った。疲れたように、優しく。
「嬉しかった。だけど、怖かった。君が自由になったとき、俺が君の“檻”だったとしたら……そのとき、君は俺を憎むんじゃないかって」
リーナは唇を噛んだ。
「私は、あなたを憎んではいない。だけど……もう一緒には……」
その時だった。
地響き。
建物全体が震え、遠くから悲鳴が上がった。
「なに……?」
カイルがすでに剣を抜いていた。目が鋭くなる。
「異界の門だ」
窓の外、空に黒い亀裂が走っていた。まるで空そのものが破けたように。星の光が吸い込まれ、闇が噴き出している。
「待って。私も行く!」
「お前はまだ……!」
「私はもう、守られるだけの存在じゃない!」
リーナの言葉に、カイルの目が見開かれる。そして──わずかに、微笑んだ。
「……なら、俺の隣に来い。命を懸ける覚悟があるなら」
リーナは頷いた。
今、確かに彼と対等に並んだ。決別の言葉は、まだ口にできていなかったが、その時よりも大切な何かが、胸に芽生えつつあった。