1.5. 銀行強襲
アストラリス中央駅の喧騒を後にしたシェリー、エディ、マリア、ルナの四人は、ひとまずそれぞれの滞在先である大学指定の学生寮へと向かい、大きな荷物を置くと、早速アストラリス大学での新生活に必要なものを揃えるため、学生街として賑わう地区へと繰り出した。特にシェリーとエディにとっては、見るもの全てが新鮮で、刺激に満ちていた。
「うわぁ、見てみてエディ!あの建物、壁一面がディスプレイになっとるよ!」
「本当たい!それに、空飛んどる乗り物の数がフェニクスとは比べもんにならんばい!」
シェリーとエディは、子供のようにはしゃぎながら、マナコンダクター技術と魔法が高度に融合したアストラリスの街並みをキョロキョロと見回す。マリアはそんな二人を微笑ましそうに眺め、ルナも少しだけ表情を和らげていた。
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彼らがまず向かったのは、アストラリス大学の学生御用達だという大規模な複合商業施設「アカデミア・モール」。その中には、最新のスマートデバイスを扱う専門店から、各学部の専門書を網羅した巨大書店、魔法薬の材料店、さらには戦闘技術科の学生向けの武具店まで、ありとあらゆるものが揃っている。
「まずは教科書とノートだよね。マリアさんたちは医学部だから、専門書もたくさんいるんじゃない?」
シェリーが尋ねると、マリアは少し困ったように微笑んだ。
「ええ、そうなのですけれど…何から揃えればよいのか、少し途方に暮れておりまして」
「大丈夫だって!案内図もあるし、先輩らしき人もぎょーさんおるで、聞いてみればええよ!」
シェリーは持ち前の物怖じしない性格で、早速近くにいた上級生らしき学生に声をかけ、魔法学部の教科書売り場と医学部の教科書売り場の場所を尋ね出す。エディはそんなシェリーの行動力に感心しつつも、少しだけハラハラしながら見守っていた。
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魔法学部の教科書売り場は、古代語で書かれた分厚い魔導書から、最新のマナコンダクター理論に関する専門書まで、膨大な量の書物が天井まで続く書架にびっしりと並んでいた。
「うわー…何が何だかさっぱりだわ…」
シェリーはリストと書架を見比べながら途方に暮れる。一方、エディは戦闘技術科のコーナーで、模擬戦用の訓練剣や軽量なプロテクターなどを興味深そうに眺めていた。
マリアとルナは、医学部の専門書コーナーで、人体(あるいは各種族の身体構造)に関する精密な解剖図譜や、難解な薬学書を真剣な表情で選んでいる。
「ねえねえ、この『エーテル力学概論』って面白そうじゃない?」
シェリーが、ふと手に取った一冊の本をエディに見せる。それは、魔法と科学技術の融合分野に関する最新の学術書らしかった。
「うーん、俺には難しすぎて分からんばい…それよりシェリー、こっちの新しい魔導弓、見てみろよ!マナコンダクター内蔵で、矢の軌道を補正してくれるらしいぞ!」
エディは目を輝かせる。
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ひと通り必要な学用品を買い揃え、少し休憩しようとモール内のカフェテリアに向かう途中だった。そのカフェテリアは、ちょうど昼時ということもあり、多くの学生や買い物客で賑わっている。四人が空いている席を探している、まさにその時だった。
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突如、モールの吹き抜けの広場に面した一角で、けたたましい警報音と共に閃光と轟音が響き渡った。その場所は、ミスティス王国でも有数の大手銀行「アストラル・セントラルバンク」の支店だった。
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一瞬の静寂の後、平和な昼下がりのモールは凄まじいパニックに包まれた。悲鳴、怒号、何かが割れる音、そして再び断続的に響く爆発音。銀行の正面入り口からは黒煙が吹き出し、武装した数人の人影が飛び出してくるのが見えた。彼らは一様に黒っぽい戦闘服に身を包み、顔は不気味な動物を模したマスクで隠されている。手には物々しい魔導銃や、鈍い光を放つ刃物。その動きは統制が取れており、単なる烏合の衆ではないことが窺えた。
「な、なんだよ、あれ…!?」
エディが呆然と呟く。周囲の人々は、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑い、カフェテリアのテーブルや椅子がなぎ倒されていく。
「強盗…ですの?こんな、白昼堂々と…」
マリアは青ざめた顔で、かろうじて言葉を絞り出す。ルナは恐怖で声も出ないのか、マリアの腕を強く握りしめて震えていた。
シェリーも、突然の出来事に心臓が大きく高鳴るのを感じていた。しかし、彼女の瞳は恐怖よりも先に、銀行の入り口付近で取り残されている小さな子供とその母親らしき人影を捉えていた。母親は子供を庇うように蹲り、震えている。そして、銀行から出てきた犯人の一人が、その母娘に気づき、ニヤリと口元を歪めて近づこうとしているのが見えた。
(危ないっ!)
シェリーがそう思った瞬間、彼女の身体は考えるよりも先に動き出していた。
「シェリー、危ない!」
エディの制止の声も耳に入らない。彼女は、人混みを驚くほどの俊敏さで駆け抜け、一直線に母娘の元へと向かっていた。その動きは、普段の彼女からは想像もつかないほど素早く、まるで風に乗ったかのようだった。
「ど、どこから…!?」
母娘に手をかけようとしていたマスク姿の犯人が、突如として自分の目前に現れたシェリーの姿に驚愕の声を上げる。周囲の喧騒や混乱の中、小柄な少女がこれほどの速度で接近してくるとは予想だにしていなかったのだろう。
シェリーは、無我夢中で母娘の前に立ちはだかった。恐怖はあった。しかし、それ以上に、目の前の幼い子供の怯えた瞳を見過ごすことはできなかった。
「この人たちに、手ぇ出しちゃだめだて!」
シェリーは、震える声で、しかし強い意志を込めて叫んだ。
犯人は一瞬怯んだものの、すぐに凶悪な笑みを浮かべた。
「小娘が、英雄気取りか?どきやがれ!」
そう言うと、手にしていた魔導銃の銃口を無造作にシェリーへと向ける。それは旧式のものとは明らかに異なり、銃身には青白いエーテルの光が集束していくのが見えた。そして、その銃口から放たれたのは、通常の魔力弾とは異なる、鈍い銀色の輝きを帯びた一筋の閃光だった。
(しまっ――)
シェリーがそう思った時にはもう遅かった。弾丸は、彼女の反射的な防御の動きや、本能的に身体が纏おうとした微かな光のオーラをいとも容易く貫き、左胸――心臓のすぐ近く――に深々と食い込んだ。
灼熱の杭を打ち込まれたかのような激痛が全身を貫き、シェリーの視界は急速に赤黒く染まっていく。
「シェリーーーッ!!」
エディの絶叫が、遠のいていく意識の中で微かに聞こえた気がした。力の抜けた身体が、ゆっくりと石畳の上に崩れ落ちていく。薄れゆく意識の中で、シェリーは自分の胸から溢れ出る熱い何かと、周囲の人々の絶望的な叫び声、そして犯人の高笑いを、まるで他人事のように感じていた。
(私…死ぬのかな…?パパ、ママ…ごめ…)
そこまで考えたところで、シェリーの意識は完全に途絶えた。
周囲の時間が止まったかのような静寂の後、最初に動いたのはエディだった。
「シェリーッ!しっかりしろ、シェリー!」
彼は人垣を掻き分け、血だまりの中に横たわるシェリーの元へ駆け寄る。その顔は絶望と怒りに歪んでいた。マリアとルナも、恐怖に震えながらその後を追う。
しかし、彼らがシェリーの傍らに跪き、その致命的な傷口を目の当たりにして言葉を失った、まさにその時だった。
信じられない光景が、彼らの目の前で繰り広げられた。
シェリーの胸の傷口から、淡い光の粒子――それはどこか神聖な、しかし同時に力強い輝きを放っていた――と、微かな闇色のオーラが、まるで霧のように立ち上り始めたのだ。そして、銀の弾丸が食い込んだはずの傷口が、ありえない速度でみるみるうちに塞がっていく。溢れ出ていた血は瞬く間に止まり、焼け爛れたように見えた皮膚組織が、まるで時間を巻き戻すかのように再生していく。
「な…なんだ、これ…?」
エディは言葉を失い、ただその光景を見つめるしかなかった。マリアもまた、治癒魔法とは全く異なる、しかし明らかに生命の奇跡と呼ぶべき現象に息をのむ。
その異常な現象に気づいたのは、エディたちだけではなかった。シェリーを撃った犯人も、彼女の身体から立ち上る不可思議な光と、ありえない回復の様子を目の当たりにし、一瞬、魔導銃を構えたまま呆然と立ち尽くす。
「おい嘘だろ…特殊銀弾じゃなかったのかよ…今日は高位の魔族が邪魔に入るからって…話がちげぇじゃねぇか、ッチさては偽物掴ませやがったな」
他の強盗仲間たちも、予想外の事態に動揺を隠せない。
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その僅かな硬直と混乱の隙を突くように、モールの別方向から、統制の取れた複数の影が疾風の如く現場に殺到した。黒を基調とした特殊戦術部隊風の装束に身を固め、その動きには一切の無駄がない。彼らは王室警備庁特殊作戦群――通称「サイレント・クロー」の隊員たちだった。
そして、その先頭に立ち、誰よりも早くシェリーの元へ到達しようとしていたのは、鋭い金色の瞳を持つ一人の女猫獣人――リアナ・ストームその人だった。
「対象被弾!被害者確保最優先!他の者は銀行強盗を制圧しろ!」
リアナの冷静沈着な、しかしその奥に激しい感情を押し殺したような声が響き渡る。彼女の部隊は、銀行強盗たちに対して瞬く間に包囲網を形成し、的確な射撃と魔法で次々と無力化していく。
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ほぼ同時に、別の方向から重装備の部隊がサイレンを鳴らしながら到着した。それはアストラリス市警の特殊部隊(SST)だった。彼らもまた銀行強盗制圧のために出動したのだろうが、その一部の隊員たちの視線は、強盗よりもむしろ、異常な現象の中心にいるシェリーと、彼女を保護しようとするリアナたち王室警備庁の部隊に向けられていた。
「状況は我々が引き継ぐ!王室警備庁は手を引け!被害者の身柄はこちらで確保し、詳細な現場検証を行う!」
SSTの指揮官らしき男が、高圧的な口調でリアナに告げる。その瞳には、シェリーに対する尋常ではない執着の色が浮かんでいた。
リアナは、倒れているシェリーの元へ駆けつけた自部隊の医療隊員からの報告を冷静に聞きながら、SSTの指揮官を冷ややかに見据えた。
その緊迫した空気の中に、医療隊員の声が響く。「リアナ隊長!対象のバイタル、極めて不安定です!心拍、不整脈多数!血圧低下、しかし末梢血管は異常収縮!体表温度、急速に低下も、胸部局所は高熱反応!このままでは危険です!」
リアナはその報告に眉ひとつ動かさず、SSTの指揮官に向き直った。
「聞いたか?この少女は現在重篤な状態にあると判断される。そして救急医療の優先権は我々にある。貴様らの出る幕ではない」
リアナの言葉には、有無を言わせぬ凄みがあった。王室警備庁と市警特殊部隊。二つの国家権力機関が、白昼の商業モールで、一人の少女を巡って一触即発の睨み合いを始めたのだ。
その緊迫した空気の中、シェリーはうっすらと目を開け、激しいめまいと吐き気に襲われながら、再び意識を失いそうになっていた。体内に残る銀の弾丸が、彼女の内で未知の拒絶反応を引き起こし始めているのを、まだ誰も知らなかった。
「…時間が無い」
リアナは短く呟くと、部下たちに目配せをした。数人の隊員が即座にシェリーの周囲を固め、SSTの隊員たちが動くよりも早く、どこからともなく現れた最新鋭の救急医療ポッド――王室警備庁の紋章が小さく刻まれた、完全密閉型のフローティングストレッチャー――にシェリーの身体を素早く収容する。
「エディ・ストーム!君も乗れ!彼女の保護者として、そして重要参考人として同行してもらう!」
リアナは、傍らでシェリーに付き添い、ただならぬ様子で彼女を見守っていたエディに鋭く声をかける。
「お、おう!」
エディは一瞬戸惑いながらも、シェリーの傍を離れたくない一心で、ポッドに続くように飛び乗った。
SSTの指揮官が「待て!勝手な行動は許さん!」と叫び、部下たちが武器を構えようとするが、リアナの部隊の数名が牽制するように立ちはだかり、その動きを封じる。
「我々は適切な医療処置を優先する。異論があるなら、正式なルートで皇帝府に申し立てるがいい」
リアナは冷たく言い放つと、救急ポッドのハッチが閉まる音と共に、ポッドはマナコンダクターによる静かな駆動音を残して浮上し、驚くほどの速度でその場を離脱していった。残されたSSTの隊員たちは、苦々しい表情でその背を見送るしかなかった。