193.新任教師
久しぶりの学園生活。
制服の布地が肌に触れる感覚すら、どこか懐かしい。
「……うわ、ちょっときつくなってるかも……」
着慣れない制服に袖を通しながら、カイは苦笑いを浮かべた。
教室の扉を開けると、懐かしい木の匂いと陽の光。
数か月ぶりとは思えない、妙な落ち着きが胸を包んだ。
(でも、オリビア先生はまだ戻ってないはず……今日は自習かな)
そんなことを考えていたその時――
「おーい!」
後ろから元気な声が響いた。
振り向くと、マリとルカが駆け込んでくる。
「私たちも、こっちのクラスで授業受けることにしたの!」
「せっかくだから、みんな一緒の方が楽しいしね」
そう言って、マリとルカはカイとミーアを挟むように席に座る。
席について間もなく――マリがこつんとカイの脇腹に肘を入れる。
「ん?どうした、マリ?」
「……あの約束、覚えてる?」
「え? どの約束?」
マリの顔がみるみる赤くなっていく。
炎のような髪と同じくらい、頬が真っ赤に染まっていた。
「もーーーー!!忘れてるっ!!バカッ!!!」
マリは怒りのまま教室を飛び出した。
突然の怒号に、ルカとミーアがびくっと肩をすくめる。
「え!? え? なに!? 俺、なんかやらかした!? マジでわからんのだけど!」
カイの困惑顔を見て、ルカとミーアはそろって深いため息をついた。
その直後――
教室の前方の扉が、カタンと音を立てて開いた。
そこに立っていたのは、黒ずくめのローブに身を包んだ、見慣れた人物。
「よーし、授業始めるぞー!」
その声を聞いた瞬間、教室にいる三人の口が同時に開いた。
「……えっ!? ヒルダ先生っ!?」
開いた口が塞がらないカイたち。
そんな中、まるでタイミングを見計らったように――
バァン!!と教室の扉が再び開き、マリが猛スピードで戻ってきた。
その勢いのままカイの横にどかっと座ると、顔を背けて頬をふくらませる。
「……なんかごめんって……」
カイがこっそり謝るが、マリはそっぽを向いたままだ。
その様子に、冷や汗を垂らすカイ。
(いや……俺、ほんと何を忘れてたんだ……)
ルカがヒルダに手を上げて質問する。
「えっと……ヒルダ先生、どうして今日の授業を……?」
ヒルダはいつもの気だるげな雰囲気ではなく、凛とした教師の顔をしていた。
「オリビアがまだ帰ってこないのだ。だから、その間だけ臨時講師として赴任することになった。まったく、ありがたく思え……」
そう言いながら、黒板にチョークで「ヒルダ」と力強く殴り書きする。
(……いや、みんな知ってるし)
生徒たちは苦笑いを浮かべた。
「さあ、今日は魔素のコントロール訓練だ!お前たちがどこまでやれるか見せてもらおう!」
教室を出て、5人は中庭へと移動した。
そこには、ヒルダが用意したと思しき、大人の背丈をゆうに越える巨岩が鎮座していた。
「これが今日の教材だ」
ヒルダは袖をくいっとまくると、岩の前に立ち、両手をそっと岩に置いた。
「魔素を手のひらに集中させる……ただそれだけでいい」
一呼吸。
その瞬間、岩が地面からゆっくりと浮き上がった。
「……うそ、持ち上がってる!?」
「うっわ……」
「すごい……!」
驚きの声が次々と漏れる。
ヒルダは岩をドン、と元の位置に置いた。
「このように、魔素を一点に集中させれば、人の力でも岩は動く。――さあ、まずはカイからだ!」
「え、俺!?」
戸惑いながらもカイは岩の前に立ち、両手をそっと触れる。
「魔素を手のひらに……集中、集中……」
しかし――
バシュッ!!
突然、岩に触れていたカイの手のひらが爆発したように弾かれる。
「うわっ!? いててて……!」
ヒルダはどこからともなく竹刀を取り出し――
パシン!
「このバカカイがっ! 岩に魔素を流し込まなきゃ意味がないだろうが!」
完全に“鬼教師”モードである。
「はいぃっ……!」
「次! マリ!」
「ええっ!? わ、わたし……!?」
おずおずと岩に手を置き、魔素をそっと流し込むマリ。
ゆっくりと、岩がわずかに浮き上がった。
「……やった!」
「次はルカ、そしてミーア!」
ふたりも続けて挑戦し、それぞれほんの少しだが岩が動いた。
ヒルダが頷きながら評価する。
「マリ、ルカ、ミーア……上出来だ。魔素の流れをよく理解している」
カイは一人、地面に膝をついてがっくりと肩を落とす。
「おい、カイ」
ヒルダがにやりと笑いながら言う。
「この岩を少しでも浮かせられなければ……今日は飯抜きだからな」
「えええええーーーーっ!!?」
地面にのたうつカイの背中で、セミが鳴き始めていた――。