192.暗闇のグレーン
長い空の旅を終え、カイたちは再びヒルダの暮らす森へと向かった。
森の小屋に近づくと、変わらぬのんびりとした空気が流れていた。
畑では、ゴーレムんたちがせっせと作業に勤しんでいる。
小屋の前には木製の小さな椅子。その上に腰かけ、本を開いたまま微動だにしないヒルダの姿。
カイは思わず苦笑した。
「……もう、本読んでるよ。さすがだなぁ……」
グリフォンから順に飛び降りるカイ、マリ、ルカ、ミーアの四人。
カイはゆっくりと歩き、読書中のヒルダの前に立つ。
「先に帰っちゃうなんて、ずるいですよ……」
ヒルダは顔を上げもせず、ページをめくる手を止めなかった。
「先生、俺たち、これからベンゲルに戻る予定なんですけど……何かあった時の連絡手段って、どうしましょう?」
そう尋ねると、ヒルダは無言で魔法袋に手を突っ込み、なにかをゴソゴソと取り出した。
それは――スマホ型の魔導具だった。
「これで、連絡すればいいだろ……」
「……え、これ、みなさん持ってるんですか?」
カイが不思議そうに聞くと、ヒルダの目が一瞬、ぴくりと動いた。
「……あっ」
「忘れてたんですね」
マリが小さく吹き出しながら突っ込む。
ヒルダはバツの悪そうな顔で、目を伏せ、真っ赤な頬を隠すように本を読み続けた。
(あきらかに図星……)
みな心の中でそう思っていたが、誰も口には出さなかった。
「先生、じゃあ、俺たちそろそろ……」
カイはそう言いながら、小屋に入り、棚の奥にある「便利キノコ」の箱を抱えて出てくる。
「先生、キノコ、ちょっといただいていきますね!」
ヒルダは何も言わず、ただ視線だけを投げかける。
言葉はなかったが、それが無言の許可であることは、カイには分かっていた。
「じゃあ、また連絡します! 今度は忘れずに、ですよ!」
カイたちは手を振りながら、再びグリフォンへと乗り込んだ。
グリフォンが翼を広げて飛び立つとき――
本を読みながらも、ヒルダの目はずっと空を見上げていた。
森を離れてすぐ、ベンゲル郊外の草原へと到着した。
空の旅は長くはないが――高所恐怖症のマリにとっては、十分すぎる苦行であった。
着地の瞬間、カイがマリをお姫様抱っこで降ろすと、マリは地面に四つん這いになりながら、涙目で呻いた。
「うぅ……地面が……やさしい……もう……見ないでぇぇ……」
その姿を見て、ルカとミーアが思わず笑いをこらえる。
マリがようやく落ち着きを取り戻した頃、四人は寮へと向かうことにした。
(――学校か)
久々の校舎。
グレーンを“拉致”してから、かなりの時が過ぎていた。
帰ってきたこの場所に、どこか懐かしさを感じる。
まずはルカの部屋。
ノックして開けてみたが、特に変わった様子はなかった。
続いてマリの部屋。こちらも乱れはない。
「意外と……何も変わってないんだね」
ルカがぽつりと言い、マリもうなずいた。
そして、カイとミーアは自分たちの部屋へ戻った。
ドアノブを掴んだ瞬間、カイは眉をひそめる。
(……人の気配?)
「……誰だ!」
勢いよくドアを開けたその先――
立っていたのは、漆黒の鎧に包まれた男。グレーンだった。
「グレーン……? どうしたんだ……?」
グレーンは仁王立ちのまま、低い声で言う。
「デュラハンが、カイの気配を感じたと……教えてくれた。それで待っていた」
カイとミーアは、緊張した空気に飲まれるように沈黙する。
グレーンの顔は硬く、どこか焦りも滲んでいた。
「……それで? なにかあったのか?」
カイの問いに、グレーンは目を伏せ、ゆっくりと答える。
「王が……倒れたようだ」
「え……?」
「ゼオの呪縛が解けたことで、命は助かったが……王は今、昏睡状態だ。目を覚まさない」
その声には、王子としての威厳ではなく――ただ、一人の“息子”としての哀しみが滲んでいた。
「グレーン……」
「カイ、お前になら……何か手があるんじゃないかと思って……」
カイは腕を組み、真剣に考える。
「……少し時間をくれ。オリビア先生がもうすぐ戻ってくるはずだ。古代魔法に詳しい先生なら、何か分かるかもしれない」
「……オリビア先生か……分かった」
そう言うと、グレーンは静かに背を向けた。
足音一つ立てず、黒い影のように廊下へと消えていく。
その姿を見て、カイはぽつりと漏らした。
「……あいつ、忍者みたいだな……」
ミーアが首をかしげながら聞き返す。
「ニンジャ……?」
カイは思わず笑ってしまった。
「うん……昔の世界にいた、影の戦士さ。こっちにも、いたのかもな」