190.唐突の解散
森の朝は、澄んだ空気とやわらかな陽光に包まれていた。
大広場の中心では、皆が木製の丸太椅子に腰掛け、湯気の立つスープや焼きたてのパンを前に、穏やかな朝食の時間を楽しんでいた。
パンをもぐもぐと頬張っていたカークが、ぽつりと呟く。
「……こういう時間、ほんと久しぶりっすね……」
「戦場のメシより百倍うまいわよ」
ルカが目を細めながら、温かいスープを口に運ぶ。
ミーアは木の実入りのパンを両手で大事そうに持ち上げながら笑った。
「エルフのごはんって、ほんと美味しいね!」
その平和な朝食に、突然ヒルダがスプーンを置いて、唐突に口を開いた。
「教会中枢を攻めようかと思ったがの……」
一同、スープを飲む手が止まる。
「……え?」
カイが、顔をしかめてヒルダを見た。
ヒルダは腕を組みながら続ける。
「ゼオの情報を整理してみたがな、どうやら奴ら、再編にはしばらく時間がかかるらしい」
「で……それがどうしたんですか?」
カイは恐る恐る聞いた。
「だからだ」ヒルダは真顔で言った。
「叩くなら一気に全部叩いた方がいいだろ? 残党を野放しにしたら、後でまた面倒なことになる」
「……そ、そうですね……?」
カイの眉が引きつる。
ヒルダは胸を張って高らかに言った。
「よって! 攻め込むまでは、しばらく通常の生活を送ることとする!!」
「えええええええええーーーーーっ!!??」
広場中に響く、全員の絶叫。
「ちょ、ちょっと待ってください先生!それってつまり――」
カイは慌てて立ち上がる。
「……飽きたんじゃないんですか?」
思わず、口をすべらせた。
ヒルダはぴくりと肩を揺らし、顔を真っ赤にしながらスプーンを握りしめた。
「そ、そんなわけなかろうっ!!!」
全員の心に、同じ思いが走った。
(――図星だ……!)
マルギレットはスープをかき混ぜながら小さく呟いた。
「じゃが、わしもちとばかし休みたいのう……新たな魔法を開発したいしの」
「で、でも先生!そんな、普通の生活なんて……」
カイがたじろぎながら言う。
「カイ」
ヒルダが静かに名を呼ぶ。
「……お前は学生だろ?」
「え、まぁ……そうですけど……」
「マリとルカも学生だ。カークは……」
ヒルダの目がカークを鋭く捉える。
「お前も元は公務についておっただろう?」
「ひ、ひえっ……ま、まあ……そうですけど……」
カークが額に汗を浮かべる。
ヒルダは一拍置いて、重々しく言い放った。
「ならば――学生に戻れ。そしてカークは職務に戻れ」
「ええええええーーーーっ!!??」
カイが手を振りながら訴える。
「でも……そんな! 世界の命運がかかってるのに、学生生活なんて落ち着いて送れませんよ!」
「学生でもレベルアップはできる」
ヒルダはばっさりと言い切る。
「う……まあ……それは、はい……」
「ならば問題あるまい」
ヒルダは立ち上がり、マントをひるがえした。
「では、わしは先に小屋に戻る。」
「えええええーーーー!?急!!」
ヒルダは背中越しに、ふんと鼻を鳴らす。
「学生として当たり前のことじゃろ? 戦ってばかりではバカになる。学べ。鍛えろ。そして――準備せよ」
そう言い残し、ヒルダは森の奥へと歩いていった。
誰も言い返せなかった。
いや、言い返せる雰囲気ではなかった。
すると、クルドが口を開いた
「たぶんだけど……活字中毒だから、本を読まないと落ち着かないのよ……」
唖然とする面々。
残された面々は、ただ茫然とヒルダの背を見送る。
そして――誰もが思った。
(……やっぱり、飽きたんだ……)
スープの湯気が、どこか切なげに空へと昇っていった。