189.グレーンの謝罪
夜の静寂が、エルフの森に静かに広がっていた。
薄明かりのランタンが揺れる室内。カイ、キース、カークの三人は並んだベッドに身を沈めていた。
天井をぼんやり見上げながら、カイがぽつりとつぶやく。
「……教会ってのは、そこまでして、いったい何の封印を解こうとしてるんだ? その奥に何があるんだよ……。ゼオは、それを聞き出す前に死んじまったらしいけどさ」
キースが背を向けたまま、あくび混じりに答えた。
「さぁな。俺たち凡人にゃ、わからんよ。けど……まあ、この世がひっくり返るような代物が眠ってるんだろうな。でなきゃ、あれだけの犠牲払ってまでやる意味がねえ」
カークが布団をかぶったまま、くぐもった声で言った。
「この世界って……ほんとに、知らないことばかりなんですね。正直、頭がついていけないです……」
「俺もだよ」カイは軽く笑って、両手を後頭部に組んだ。
「結局、魔素が欲しいだけなんだろ? ドラゴンの封印とか、魔王とか言ってるけど……結局、力の取り合いにしか見えない」
「それだと、お前が狙われるってことになるな」キースが冗談めかして言った。
「意味もなく強くなっちまう謎の男、魔素の塊だしな?」
カイは苦笑いしながら枕に顔をうずめた。
「ははは……やめてくれよ。冗談でも怖いんだから……」
空気は穏やかだったが、どこかひっかかるような、不安を隠しきれない静けさがあった。
教会が悪だと分かった今でも、まだその背後にさらに別の真実が隠されているような、そんな嫌な予感がカイの胸に渦巻いていた。
「……また、何かがひっくり返るんじゃないかなぁ……」
その時だった。
部屋の扉が、きぃ……と小さな音を立てて開いた。
月明かりに照らされた廊下の影の中に、誰かが立っていた。
「……カイ」
それはグレーンだった。
彼は無言で手招きをする。
カイは眉をひそめながらも、音を立てぬよう静かにベッドから降りた。
「ちょっと、行ってくる」
キースとカークに小声で告げて、そっと部屋を抜け出した。
小屋の外に出ると、ひんやりとした夜気が頬を撫でた。森の匂いと、遠くで鳴くフクロウの声が耳に入る。
グレーンが振り返り、かすかに笑った。
「おい、この平民……いや、カイ」
「なんだよ、今さら言い方変えるなよ、“平民”で通せよな」
カイは笑いながら肩をすくめる。
グレーンは少し黙って、ふと視線を下げた。
「今回の件……すまなかった」
「え? 何を謝るんだよ」
グレーンは黙って、自分の上着の裾をめくりあげ、腹を見せた。
そこには、まるで皮膚に融合したかのような黒い紋様が浮かんでいた。
カイが目を細めた。
「……なんだそれ?」
「お前が貸してくれたデュラハンだ」
グレーンは真剣な表情で言った。
「はあ!? どういうことだよ、それ!」
グレーンは目を伏せ、懐かしむように語り始めた。
「俺が槍に刺されて、もうダメだと思ったとき……お前のデュラハンが、俺を助けた。俺の傷を塞ぐために……自分ごと、同化したんだ」
カイは口を開いたまま固まった。
「……え、それって……デュラハン、回復魔法とか使えたっけ……?」
「違う。回復じゃない。融合……というより、宿ったんだ。命を繋ぐために」
そう言うとグレーンの全身が、音もなく漆黒の鎧へと包まれていった。
重厚で禍々しいが、不思議と神々しさすら感じさせるその姿――デュラハンそのものだった。
「……おお! デュラハン!」
カイは思わず声を上げた。
「そう。一体化したことで、俺はこの力を得た……けれど、お前のデュラハンは、ここにいる」
そう言って、グレーンは腹部をそっと指さした。
カイは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに破顔した。
「……デュラハンが決めたことだろ? いいってことよ。命があるって、そういうことだろ」
「……そうか。そう言ってもらえると、助かる」
しばしの沈黙のあと、グレーンはふいに口笛を吹いた。
足元の影から、漆黒の塊が現れた。
姿を見せたのは、あの黒い魔獣――コシュタ・バワーだった。
「おいおい、あんた、どこ行くんだよ?」
グレーンは軽く笑い、愛馬に飛び乗った。
「俺は一足先に、国へ帰る。調べることが山ほどある。……それに、やり残したこともな」
カイは頷き、手を振った。
「そうか。気をつけろよ、グレーン王子」
「……ありがとう。お前こそな、勇者でも、魔素の器でもなく――ただのお前で居ろ」
そして、グレーンは手綱を引き、疾風のようにエルフの森を駆け抜けていった。
その背中を、カイはしばらく黙って見送っていた。
夜風が吹き、木々がざわめいた。その音の中で、カイはそっとつぶやいた。
「……ありがとう、ヴィーブル」