180.封じられた魔法使い
グレーンには、何が起こったのか理解できなかった。
突然、水晶が爆発した――。
しかも、あふれ出した魔素は、カイのものだという。
(カイ……? なぜあいつの魔素が……?)
思考が追いつかず、混乱するばかりだった。
頭の中で警鐘が鳴り響く。ゼオが何か動く前に――。
「少し、お身体をお借りします!」
デュラハンの声が鋭く脳内に響いた。
その瞬間、グレーンの意識が一歩下がり、身体は自動的に動き出した。
黒き鎧の手が剣を抜き放つ――その動作は、まさに風のように速かった。
ゼオが呻きながら立ち上がろうとした瞬間、デュラハンは地を滑るように接近し、その両手首を迷いなく断ち落とした。
「が、あああああッ――ッ!」
斬られた両手首は宙を舞い、石畳に落ちたとたん、闇の魔法によって溶けていく。ジュウ、と嫌な音が洞窟内にこだました。
ゼオはその場に膝をつき、血にまみれた腕を抱えて絶叫した。
グレーンはその光景を、思わず息を呑みながら見つめていた。
「な……っ、なんてことを……」
身体の自由が戻り、グレーンはその場に立ち尽くす。
目の前の光景は、正義とは程遠い、暴力そのものだった。
「なぜ手首を落としたのだ……」
言葉は静かだったが、声は揺れていた。
デュラハンは淡々と答える。
「魔法使いは、基本的に“手”から魔力を放出します。手首を失えば、詠唱の精度は落ち、威力も激減します。ましてこの男は、杖を持つことで術式の増幅率が数十倍に跳ね上がる。今はその手段を断ちました」
「……そうか」
グレーンはゼオを見下ろす。だが、その目にはもう、怒りよりも疑問が浮かんでいた。
「さっき、“カイの魔素”と言っていたが……どういうことだ?」
「詳しくはわかりません。しかし、あの水晶は精神と精神をつなぐ中枢です。そこに、外部から――おそらく精神世界の中から――大量の魔素が流し込まれた痕跡がありました。魔素の波長と構成、匂いから判断するに……あれは間違いなくカイ殿のものです」
グレーンの眉が深くしかめられる。
「カイが……精神世界から、術式に干渉したというのか? そんなことが……可能なのか?」
「通常なら不可能です。ですが……偶然とタイミングが完璧に重なった。まさに奇跡です。あの魔素の質量は――常人では到底成し得ない暴挙」
デュラハンはそう言いながら、静かに剣を納めた。
「……それで、このゼオという男を、どうするつもりだ?」
そう問うと、ゼオが苦しみに震えながら、かすれ声で呪文の詠唱を始めようとした。
「……ル……ヴァ……」
(甘い)
デュラハンが再び、グレーンの身体を借りる。
鋭い黒剣が閃き、ゼオの口元を横に大きく振り抜いた。
その一太刀で、両頬は裂け、舌が飛び、血が火山のように吹き上がる。
ゼオは、悲鳴もあげられず、喉の奥で呻き声のような音を漏らした。
「これで詠唱は不可能になります。今後は、肉体としても術者としても、危険性はほとんどありません」
「……お前、ほんとうに容赦がないな」
グレーンは、剣を握っていた手を見下ろし、しばらく黙った。
「俺が思っていた正義とは……随分、違うものだ」
「“死”の世界では、きれいごとでは生き残れませんので」
デュラハンのその返答は、どこか冷たく、そして優しかった。
やがて、グレーンの身体を操作したまま、ゼオの身体を片手で肩に担ぎ上げる。
「この男にはまだ話してもらうことが多い。連れて行きましょう」
「……大丈夫なのか?」
「はい。魔力の流れも遮断し、詠唱も封じました。すでに、ただの“壊れかけの人間”です」
洞窟の外へと歩き出す――その途中、グレーンはふと足を止めて、振り返った。
崩れた石台。砕けた水晶の破片。
そのすき間から、ひらりと光るものが舞い上がる。
金色の魔素の残滓――それは、まるで希望のかけらのように、風に舞っていた。
「……カイ。あれは……お前の仕業なんだな」
小さく、独り言のように呟く。
(お前は一体、何者なんだ)
カイの顔が脳裏に浮かぶ。
あのどこか抜けているような男が、この戦いの流れを変えた――それも、精神世界から、術式に干渉して。
「……いや、考えるのは後だな」
首を振り、足を踏み出す。
ゼオは呻き声ともつかぬ音を洩らしているが、もはや魔法も言葉もない。
ただの敗者として、その身体を晒すばかりだった。
洞窟の外に出た瞬間、吹雪が再び顔を打った。
だが、デュラハンの体温調整魔法が、それすら遮る。
コシュタ・バワーが、首はないが、低く鼻を鳴らしたように思えた。
そのたてがみに手をやりながら、グレーンは小さく語りかける。
「さぁ行くぞ。まだ俺たちには……やるべきことがある」
空には、灰色の雲。
遠く、風が唸る。
グレーンは振り返ることなく、黒き馬を駆り、雪山を駆け降りていった。