179.魔術師ゼオ
デュラハンの愛馬――コシュタ・バワーに跨り、グレーンは川沿いの山道を北へ北へと進んでいた。
目指すは、遥か遠く、雪をいただく山々の麓。
ナヴィーク大陸の北方、誰も近寄らぬ秘境――名もなき山‥‥
数日をかけて、ようやく山のふもとにたどり着いた。
途中、幾度も魔物の襲撃を受けた。
しかし、今のグレーンは、もうかつての王子ではない。
死を越え、“デュラハン”と一体となった存在として、肉体も精神も強靭に変わっていた。
鋭い爪を持つ魔狼も、雷撃を放つ蝙蝠も、グレーンの放つ黒槍に触れることすらできず、黒き馬蹄がすべてを薙ぎ払った。
「フッ……」
グレーンは、ふと漏れた自分の笑みに戸惑う。
死の匂いが残るこの世界で、それでもまだ自分は、生を、戦いを肯定し始めている。
ふと、吐いた息が白く染まる。
「……寒いな」
思わずつぶやいたその瞬間、デュラハンの冷ややかだが丁寧な声が、頭の中に直接響いた。
『気温が合いませんか……。わたくしめの補助魔法で、体温を調整いたしましょう』
次の瞬間、皮膚を刺すような寒気が、ふわりと溶けるように消えていった。
まるで温かなマントに包まれたような感覚に、グレーンは軽く目を見開いた。
「……すごいな。補助魔法か、こんなにも……」
『死の肉体は、痛みや寒さに鈍感でございますが、あなた様の精神はまだ“人”のまま。配慮いたします』
この数日間に起きたすべてが、夢のようだった。
突如現れた、カイたち。
父である王を説得してほしいと、正面から懇願された日。
そして、現れた不死の騎士デュラハン――ただの“伝説”として教わっていた魔物。
知らない鳥の化け物、空を裂く咆哮。そして、それを操る“何か”。
あの槍が自分の身体を貫いた時、確かに“死”を感じた。
だが気がつけば――自分はこのコシュタ・バワーに乗っていた。
身体は黒鉄のように強化され、視界は澄み、心に宿るのは“闘う意志”。
「……俺は死んだのか? それとも、まだ生きているのか……」
『どちらでもあり、どちらでもございません。今のあなた様は“使命を帯びた者”。死でも生でもなく――選ばれた魂なのです』
山の上空には、重たい灰色の雲がうねるように広がり、雪が舞い始めていた。
「……何が正しくて、何が間違いか、わからない」
「でも、どっちも“現実”なんだな。なら、飲み込んで進むしかない。俺の手で、何かを……変えるために」
道なき道を進み、雪に足を取られながら、グレーンは山道を登っていった。
積もった雪は深く、歩を進めるたびに「ギュッギュッ」と靴が沈む音が響く。
「……デュラハン。こっちで合っているのか?」
(こちらです……もう少しで……)
デュラハンが見えているという“呪いの痕跡”、魔素の糸。
グレーンには何も見えなかったが、信じて進むしかない。
やがて、雪に隠れるようにして現れた洞穴の入り口。
「ここか……」
(はい、ここから強く感じます……気をつけてくださいませ……)
薄暗い洞穴の中を進むと、広い空間に出た。
そこには、一人の男が立っていた。
石でできた台座の上には、巨大な水晶玉が置かれている。
「なにものだ……」
先に口を開いたのは、男の方だった。
グレーンは剣を構える。「お前こそ誰だ! そこで何をやっている!」
男が陰から姿を現す。
白銀の長髪、白いローブ。片手には杖。
「そちらが勝手に入ってきたのだ。名乗るのが先ではないのか? グレーン王子」
名を呼ばれ、グレーンは剣を構え直した。
「そうだ、私はスタンハイム王国、第三の王子――グレーンだ!」
男は薄く笑った。「私は、ゼオ・メティス。ただの古い魔法使いだ」
「そこで何をしている!」
デュラハンが会話に割り込み、グレーンに言った。
(グレーン殿……この男、相当手ごわいです……)
(そんなに強いのか!?)
(はい……かなり強いです……)
(では、逃げるか!?)
(おそらく逃げ切れないかと……術式はあの水晶で……)
(では、水晶を……)
ゼオが急に笑い声を上げる。
「グレーン王子! 私が召喚したドレイアとノクルスはどうだった!? 槍の味はどうだった!?」
「お前が……あの災厄を! ドレイア……!」
「何がしたい! 王の呪いを解け!」
(グレーン殿、落ち着いて……)
唇を噛み、怒りを押さえる。
「王の呪い? 力を望んだのは王自身だぞ」
「違う! 私は……民の声に応えたい。」
「そうか……お前も器になり得たのに。惜しいな」
ゼオが真顔になったそのとき。
水晶玉が振動し、水色に発光し始める。
「……ん? 何だ……これは……」
魔法で制御しようとするゼオだが、間に合わない。
黄金色に変わった光が内部からあふれ出し、空間全体が震える。
(とてつもない魔素……あのフィーリングは……カイ殿!)
(カイ!? なぜここに……!?)
水晶玉が爆発的に砕け散った。
ゼオが顔をゆがめ、頭を押さえてうずくまる。
グレーンはその姿を見据えた。