177.糸電話
「クルド先生っ!」
カイは、叫ぶようにクルドに声をかけた。
「このティリスをやっつけるには、どうしたらいいんでしょうか!?」
真正面から、そして全力で放たれたその問いに、クルドは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐにふっと笑った。
「……おまえは、そうやっていつも核心を突くな」
苦笑しつつ、クルドは落ち着いた声で答える。
「ここにいる“ティリス”は、あくまで精神世界における器だ。これを操っている“術式”がある。その術式に流れている魔素の痕跡を絶てば――おそらく、解放できるはずだ」
「へぇ〜、じゃあ糸みたいなもんですか?」
軽く首を傾げて聞くカイ。
「そうだな。術式の種類にもよるが、魔素の“糸”のようなものが精神体に繋がっていることがある」
クルドが言い終えるか終えないかのうちに――
「糸って、これのことですか?」
カイの手に、うっすらと光る青い糸が現れていた。
クルドは瞬時に目を見開き、隣の“ティリス”もぎょっとして声を上げた。
「なっ……! なぜ、それが見える!?」
二人が同時に叫ぶ。
カイはポリポリと頬をかきながら、照れくさそうに笑った。
「いや、さっきから視界の隅でチラチラしてたんですよ。なんか気になるなーって思ってたら……これ、まさかの“その糸”だったとはねー」
「あはは……」
軽く笑うその顔には、驚きも緊張もなく、いつもの調子だった。
クルドが我に返り、即座に指示を飛ばす。
「話は早い! その糸を、今すぐ切れ!」
しかし、その瞬間――
「させるかッ!」
“ティリス”が手を上げ、炎の魔法を構成しようとする。瞳には狂気が灯り、呪文の詠唱が始まる――が、
「えいっ!」
カイがあっさりと、手刀で糸を斬った。
シュン……という音とともに、青い魔素の糸が空中でスパッと途切れ、しばらく空中に残っていたが、すぐに霧のように散っていく。
「が……ぁッ……」
“ティリス”がよろめき、糸が切られた瞬間、その身体から力が抜けたように、ぐらりと倒れ込んだ。床に膝をつき、そのまま前のめりに崩れ落ちる。
カイとクルドは、一瞬だけ言葉を失った。
「終わった……のか?」
カイが恐る恐る問いかける。
「……さすがに、早かったな」
クルドが小さく息を吐いた。
だが――
「……ん?」
カイは自分の手の中を見下ろす。まだ、両手に“糸”の感触が残っていた。
切れたはずの糸が、左右それぞれの方向にぶら下がったまま残っているのだ。
「え……?」
「おかしいな……術式を絶てば、魔素の糸は消えるはずなんだが……」
クルドの表情が一気に険しくなる。
「……つまり、まだ繋がっているってこと?」
「そういうことだ」
カイが両手の糸をじっと見つめた。
「……クルド先生。この糸って……たどっていけば、操ってたヤツに辿り着けたりしないですか?」
「可能性はある。だが、どれほどの距離があるか……精神の奥行きは、空間の尺度とは異なる。時間も圧縮されているから……」
クルドが首を横に振りかけたそのとき――
カイの目がキラリと光った。
「……つまり、繋がってるってことですよね?」
「……あぁ、繋がってはいるが……」
その言葉が終わるよりも早く――
カイは、両手で糸をぐっと握りしめ、まるで綱引きのように、ありったけの力で魔素を注ぎ込んだ。
ブワッ――!
瞬間、糸が青白く発光し、次第に黄金色の煌めきへと変化する。
「なっ、なにをしている!?」
クルドが叫ぶ。
「糸電話ですよ、先生!」
「いとでんわ!?」
カイは悪戯っぽく笑う。
「ほら、小さい頃とか、紙コップと糸で作って遊ぶやつ……糸の向こうに話しかける道具……」
「いや、そのいとでんわってのも気になるが、何をやっているんだ?……」
「だって、何もせずに帰るのは……面白くないでしょ?」
いたずらっぽく笑いながら、さらに魔素を流し続けるカイ。
その流れはもはや、精神世界での“攻撃”に近かった。見えない糸を通じて、向こう側の存在に向かって、圧倒的なエネルギーが注がれていく。
「これで、ちょっとは嫌な気持ちになればいいなーと思って。嫌がらせっすよ、嫌がらせ」
「……まったく、お前というやつは……」
クルドは呆れながらも、口元に小さく笑みを浮かべた。
――と、そのとき。
「……術式が切れる」
クルドの瞳が細くなる。
「そろそろ時間切れだ。現実に戻るぞ」
カイの周囲に光が溢れ出す。空間がじわりと薄れ、精神世界の地面がかすみ、周囲の黒が霧のように消えていく。
「……あれ? 戻ってる?」
目を開けたカイが、ぼんやりとあたりを見渡した。
視界に映るのは、小屋の木の天井。横に目をやれば、クルドがそっと目を開け、息を吐いている。
ヒルダが静かに近づいてきて、そっと呟いた。
「……無事に帰ってきたか……」
マリが駆け寄ってきて、カイの腕を掴む。
「カイっ! よかった!!」
カイは少し照れくさそうに笑った。
「へへ……ごめんごめん。ちょっとおもしろいとこに行っててさ」
「もう、バカ!」
小屋の中が、次第に安堵と歓喜の空気に包まれていく。