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175.クルドの覚悟

木々の間にひっそりと建てられたその小屋は、古びた樹皮と蔦で覆われ、自然に溶け込むような佇まいだった。中には作りの粗い木の机が据えられ、その上に、ティリスが縄で縛られて横たわっていた。


額には汗が滲み、指先がわずかに震えている。だが目は閉じたまま。昏睡とも、夢ともつかない状態で、彼の魂は今も闇の奥に囚われていた。


周囲には、カイたちが無言で立っていた。空気は重く、誰もが口を開けずにいた。そんな中、ヒルダがゆっくりと一歩前に出る。


「……世界一の魔女と呼ばれるあなたが、あの程度の魔法を見抜けぬとは……」


その声には鋼のような冷たさがあった。


「一体、なぜ?」


クルドを鋭く見つめるその視線は、責めるというより、真実を知ろうとする執念のようだった。


クルドは小さくうつむき、唇を震わせながら答える。


「……返す言葉も、ない……」


「いつから……いつから乗っ取られていた……?」


ヒルダの問いは、静かに、だが重く突き刺さった。


クルドは、ほんのわずかに目を伏せたまま、過去をたぐるように呟く。


「……分からない……。私がエルフの森に戻ってきたのは、数十年ぶり……。ティリスに会うのも、同じだけ久しぶりだった……」


ヒルダの拳が、ぎり、と震えながら握られる。


「くそ……あなたという者がいながら……」


その声には、怒りと悔しさ、そして深い悲しみが入り混じっていた。


クルドはかすれた声で言った。


「すまない……私には……見抜けなかった……」


だがその重い沈黙を破ったのは、カイだった。両手をポケットに突っ込んだまま、ふうっとため息をつく。


「……まぁまぁ、なっちまったもんは仕方ないだろ。俺が最初に出会ったときからそうだったのか、それともあとから何かされたのか――今となっちゃ、誰にも分かんねえさ」


皆がカイに視線を向ける。


「でもな、今一番大事なのは、“これからどうするか”だろ?クルドを責めたって、時間は戻んねぇし、ティリスは戻ってこねぇ。だから俺たちは……前を向くしかねえんだよ」


その言葉に、ヒルダの瞳がわずかに揺れた。


そして、長い沈黙ののち、小さく息を吐いて頷く。


「……そうだな。すまない……わたしとしたことが、感情に飲まれていた……」


小屋の中には、緊張と焦燥が入り混じる空気が満ちていた。

窓から差し込む光はわずかに揺らぎ、まるでティリスの身体に影を落とす魔の気配のようだった。


「今はまだ、術式が生きている……」


クルドがティリスの手を取り、そっと自分の額に押し当てながら言う。


「体内に残る魔素が、ティリスの意識を深く抑え込んでいる……。彼の肉体はかろうじて生きている……けれど、このままでは……」


「このままでは、魔素が魂の座を完全に塗りつぶしてしまう……か」


ヒルダの声は低く、深い焦燥に満ちていた。


「じゃあ、どうすれば助けられるんだ……?」


キースがうなるように問う。


クルドはしばらく黙ったまま、ティリスの顔をじっと見つめていた。

そして、意を決したように言葉を絞り出した。


「――彼の内面に、私の精神を飛ばす。意識の奥に入り、ティリス自身と対話するしかない」


「精神を飛ばす? そんなこと、できんのかよ……?」


カイが目を丸くする。


「できる……だが、非常に危険な術だ。相手の心が完全に闇に呑まれていれば、私も囚われ……戻れなくなる」


クルドの声音は静かだったが、その中にある覚悟がはっきりと伝わった。


「やめようよ! 危なすぎる!」


マリが思わず声を上げた。


ルカも唇を噛んだまま、言葉を飲み込んでいる。


クルドは、微かに首を振った。


「……これは私の責任だ。私が……彼を見誤った責任として、命を賭ける」


「クルド……」


ヒルダが目を伏せる。

そして、次の瞬間には、その目を鋭く開き、杖を握りしめて言った。


「ならば、わたしも結界を張る。精神が戻れなくなった場合でも、肉体が守られるよう、最善の策を講じる」


ヒルダの言葉に、カイがふっと微笑んで言った。


「じゃあ、俺も参加する。支援魔法くらいならなんとかなるし、ボルクがいれば魔素の補助もできるだろ?」


「もちろんじゃとも! わしを誰だと思うとる! 魔素の泉、ボルク様じゃ!」


肩の上で翼を広げながら、ボルクが高らかに笑う。


「じゃあ、いくか……」


クルドがティリスの額に手を当てた。


指先から、柔らかく青と緑の魔素の光が流れ出す。

それは小屋の中を優しく照らし、誰もが息をのんだ。


「……ティリス……聞こえる? 私の声が届いてる?」


クルドが小さく囁いたその瞬間――

彼女の瞳がかすかに輝き、意識が深く、深く、沈んでいった。


まるで、静かな湖の底へと落ちていくように――

光を失い、しかし、救いを求める魂を探して――


外では、ドレイアが再び重低音の羽音とともに咆哮をあげた。

その音は、森の奥へと響き、戦の気配が近づきつつあることを告げていた。


だが、小屋の中は、静寂に包まれていた。


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