173.ティリスの影
「あれ〜ヒルダちゃん、お久しぶり〜!僕のこと、忘れちゃった?」
ティリスが軽やかな足取りで近づいてくる。笑顔を浮かべ、無邪気に片手を振るその様子は、まさに“いつものティリス”だった。整った顔立ちと柔らかな声色、どこか飄々とした雰囲気に、森の空気さえ一瞬だけ和らいだように思えた。
しかし――
「お前は……誰だ!」
ヒルダの声は、冷えきった鉄のように重く、鋭かった。
その一言に場の空気が凍る。誰もがティリスとヒルダを交互に見つめ、沈黙が落ちた。
クルドが戸惑いながら言葉を挟む。
「ヒルダ……どういうことだ?ティリスを忘れたのか? 彼は……」
「私はティリスを忘れてなどいない」
ヒルダは静かに、しかし確信を込めて続けた。
「……だが、目の前にいるこの男は――ティリスではない!」
驚きと混乱が、一同に広がる。
カイが思わず声を上げた。
「え? ちょっと待ってくださいよ、ヒルダ先生……。ティリスって、クルド師匠の幼馴染で、森を案内してくれた、あの……」
「だからこそ、分かるのです」
ヒルダの瞳は、鋭い鷹のようだった。
「私が知るティリスは、軽薄な物腰で笑い。そんな口調で話しかける。仕草、立ち姿、気配……は一緒だ――だが――――この者から“魔素の匂い”がしない!」
全員が一斉にティリスに目を向けた。
ティリス――いや、ティリスに見えるその男は、しばし沈黙し、やがて肩をすくめて笑った。
「ふふ……やっぱり、バレちゃったか〜。ヒルダちゃんは鋭いなぁ。さすが黒の魔女ってところ?」
その口調は先ほどまでの“ティリス”のものとは微妙に違っていた。
どこか冷ややかで、芝居がかった――仮面の下から覗く“何か”を感じさせる声だった。
カイが剣の柄に手をかける。
「お前……何者だ……?」
クルドも目を細める。
「ティリス……」
「まぁまぁ、そんな怖い顔しないでよ。僕の正体は……そうだな」
ティリスの“偽者”は、ゆっくりと指を鳴らした。
その瞬間、空気が波打ち、周囲の木々がざわつく。
まるで空間そのものが歪むような圧――そして、ティリスの姿がわずかに揺らいだ。
ヒルダが叫ぶ。
「魔性の存在だ……!幻影か、あるいは憑依……!」
マリがカイの背に隠れるようにしながら叫ぶ。
「この人……本当にティリスじゃなかったの……?」
「違う、これは……敵よ!」
ヒルダの叫びと同時に、クルドの杖が構えられる。
偽ティリスはにやりと笑い、静かに、しかしはっきりと呟いた。
「“ある人物”からの伝言だよ――“お前たちの希望は、すでに絶たれてる”ってね」
その瞬間、森の空が黒く濁り、まるで瘴気のような霧がじわじわと漂い始めた――。