169.夜襲
カイは、広間の隅に腰を下ろし、自分のマントを引き寄せて布団代わりにして横になっていた。冷たい石床が背中に心地よく、眠気が身体を包み込むはずだった。
だが、目は冴えたままだった。
(……俺は一体、何と戦っているんだ?)
カイは、天井を見つめながら思考の迷路をさまよっていた。
向かってくる者を倒す。それは、正義なのか?敵とされる存在に、話し合いの余地は本当にないのか?
(人間族だけじゃない。オークや魔物も混じっていた……あいつらは何のために戦ってるんだ?)
かつて自分が導き出した答え——“人を襲うものには剣を向ける”という単純な理屈。
だが今、その答えがグラついていた。
(……魔物だって、生きてる。感情がある。命がある。なのに……)
押し込めていた悩みが、再び顔を出していた。
やがて、カイは静かに起き上がり、物音を立てないようにそっと皆の元を離れた。
塔の最上部。城の天辺へと足を運ぶ。
夜風がひんやりと頬を撫でる。辺りはしんと静まり返り、星が煌めいていた。戦火の地上とはまるで別世界のように、夜空はどこまでも静謐だった。
「……こんなに綺麗なのにな」
思わずつぶやく。だが、風の向きが変わった瞬間、鼻を刺すような獣の匂いが漂ってきた。
(……近い)
そのとき、カイの背にかすかな振動が伝わった。
床に手を当て、次に耳をつけてみる。
(……足音? 行進……?)
僅かに、だが確実に、地を揺らす規則的な音が感じられた。
「まずい……!」
カイはすぐさま立ち上がり、指を鳴らしてグリフォンを召喚。背に飛び乗り、宙へと舞い上がった。
「頼む、間に合ってくれ」
グリフォンは夜の空を切り裂き、川、三つのダミー城、そして本陣を見下ろした。
目を凝らすと、闇の中でうごめく影が無数に見える。
「……包囲されてる……!」
カイはグリフォンを反転させ、全速力で城へと戻った。
塔の先端に立ち、大声を張り上げる。
「敵襲だっ!!!」
その声に、城の中がざわめき立った。寝ていた者たちが慌てて起き上がり、武器を手に取る。
ヒルダが無言で塔へと駆け上がる。その背に続いてマルギレットが走る。
マリとルカは寝ぼけた顔をしていたが、すぐに心臓の高鳴りで覚醒した。
「て、敵が来たの!?」
「……あぁ、城の周囲に無数の敵影。すぐそこだ」
塔に上がったマルギレットが、魔法の杖を高く掲げる。
「リュミエール・フェール!!」
杖から光の球が放たれ、上空で爆ぜるように光を放った。照明弾のような魔法が、夜闇を照らす。
その光に浮かび上がったのは、無数の敵兵。
「こんなに近くまで……ッ!」
ヒルダが悔しげに唇をかんだ。
四大魔女たちはすぐさま作戦会議を始め、互いに目を交わすと、同時に杖を天へと掲げた。
「リゼリア・ドラン! セル=アルム! ガルゼ・ネッサ! マルグ・オルダイン!」
長い詠唱が塔に響く。四人の身体から膨大な魔素がほとばしった。
「私に合わせて!」
マチルダが合図を出す。
その瞬間、城の周囲の地面が赤く光り始めた。木々が燃え、草が消え、地面が溶けていく。
溶岩だった。
ぐつぐつと煮えたぎる溶岩が、城壁の内側、三つのダミー城すべてを包み込んでいく。
「な、なんて魔法……!」
敵兵たちが悲鳴を上げ、次々とその赤い海へ沈んでいく。
わずかに壁にしがみつく兵もいたが、そこにマリ、ルカ、ミーアの矢が容赦なく放たれた。
「落ちなさいッ!!」
「撃ち漏らすな!!」
「一人も通すな……!」
凄まじい連携と殺意。それが、この戦場の現実だった。
「これが……四大魔女の魔法か……」
カイはただ、唖然と見つめていた。
そのとき、マチルダが叫ぶ。
「この魔法は、魔素だけじゃなく体力も消耗するの! どんなに魔素共有ができても……身体がもたない!」
「無駄遣いはダメだよぉぉぉ……!」
カイが悲鳴をあげたが、四人は無視して詠唱を続けていた。
やがて、敵の流れが止まった。
ヒルダは城壁を見下ろし、深く頷いた。
「今のうちに交代で睡眠をとれ。見張りは私とマルギレット、あとキースに任せる」
張り詰めた神経はまだ解けない。それでも、休まねば命が持たない。
カイは再びグリフォンに跨がり、敵の本陣へ偵察に飛び立った。
遠くに見える焚火。あちら側は静かだった。一部の部隊のみが奇襲をかけてきたのだろう。
「……なるほど。これは……陽動か……」
カイは眉をひそめながら、再び夜空を駆け、仲間の元へ戻っていった。
――夜明けは、まだ遠い。