168.疑問
温かいスープで空腹を満たした面々は、ようやく張り詰めた空気から解放されつつあった。
食後のひととき、城の塔の一角では、焚き火のような柔らかな会話が交わされていた。
カイがスープを口にすると「おいしい」と唸った。
ルカが少し得意げな顔で声をあげた。
「うふふ、実はね、マリが味付け担当したのよ」
ルカがニヤリと笑いながらマリの肩を叩く。
「えっ!? ほんとに!?」
驚いたように顔を輝かせるカイ。
手にしていた木製の器を見つめ、改めてごくりとスープを飲んだ。
「……うん、さすが! マリ! おいしいよ!」
そう言ってにっこり笑うカイに、マリは顔を真っ赤に染めた。
「べ、別に……そんな、たいしたことないってば……」
その様子をじっと見ていたキースが、なぜか冷ややかな目を向けていた。
「……ほとんどの味付けしたのおれなんだけどな……」
その隣で、鍋の底を這うようにして舐め回している者がいた。
卵型のボルクだ。鍋を抱え込むようにして、夢中でスープを飲んでいる。
「おまえ、どんだけ食うんだよ……さっきもおかわりしてただろ……」
カイが呆れ顔でツッコむ。
「人間の食べ物って、美味しいなあっ!!」
目を爛々とさせるボルク。しかしその表情は相変わらず乏しく、言葉に抑揚もなく、ただ無邪気に感動しているようだった。
みな苦笑し、ほんのひとときだけでも心が和らいでいった。
そんな中、カイがヒルダの元へ歩み寄った。
「ヒルダ先生。この後の作戦は……どうするんですか?」
その言葉に、周囲の空気がまた少し緊張に包まれた。
ヒルダは腰を上げ、みなに向かって呼びかける。
「全員、少し集まってくれ」
食器を片づけていたルカやマリも手を止め、ぞろぞろと集まってくる。
ヒルダの目には、静かでありながら確かな決意の光が宿っていた。
「このあとだが……しばらくは、この城を拠点として敵を迎え撃つつもりだ」
「しばらくって……どれくらいの期間を想定してるんですか?」
カイが問い返す。
ヒルダは重く息を吐いた。
「敵の勢力は、確かに削れた。だが、このままでは……おそらく押し切られる。
最終的には……エルフの森へ撤退するつもりだ」
その言葉に、場がざわついた。
「え、エルフの森って……」
マリが息をのむ。
ルカも思わず顔を見合わせた。
エルフの森――人間たちにとっては“幻の領域”とも言われ、ほとんどの人間はその場所を知らない。
エルラルドであり恐れの象徴。それが“エルフの森”だった。
「そこに……逃げるんですか?」
「そうだ。だが、それは最後の手段。あくまでこの城で、敵の主力を可能な限り削る」
カイが眉をひそめ、問いをぶつける。
「ですが、エルフの戦力は……それほど多くないはずです。
本当に、そこに希望があると……?」
ヒルダは一瞬、遠くを見るようにしてから口を開いた。
「そうだな……だが、我々には――フォースドラゴンのリュシアがいる。
彼女の力は、まだ完全ではないにせよ……戦況を変える可能性がある」
カイの胸に、奇妙な違和感が芽生えた。
まるで小さな棘が心に刺さったような感覚だった。
(……違う。なんだ、この感覚は……何かが……何かがおかしい……)
考え込むカイ。その様子に気づいたマリがそっと声をかける。
「カイ? ……どうしたの? なにか、あった?」
「え……いや、なんでもないよ」
慌ててごまかそうとするカイに、マリが真剣な眼差しを向ける。
「……カイ。正直に言って。いま、何を悩んでるの?」
カイは黙ってマリの瞳を見返す。
その空気に魔女たちも、ヒルダも気づいた。
「カイ……このような状況だ。どんな些細なことでも言ってくれ」
ヒルダの声は静かで優しいが、どこか切迫していた。
カイは、ようやく口を開いた。
「――なぜ、俺たちだけが戦っているんですか?」
沈黙。
一瞬で、火が消えたように空気が重くなった。
マリとルカが目を見開き、小さく呟く。
「……たしかに……」
ヒルダがゆっくりと頷いた。
「それは、我々が……いち早く、真実に気づき、動いたからだ。
だが、いずれは、他の者たちも情報を手に入れ、ここに来ると信じている。
……いや、“祈っている”のかもしれんな」
「……援軍の可能性は……あると?」
「あるとは思う……が、可能性は、決して高くない」
再び、場にため息が漏れた。
そのときだった。
オルガがぴしっと指を鳴らし、前に出た。
「援軍なら、いくつか声はかけておいたぞ。使い魔に手紙を託してな。
あとは、彼らが受け取り、動いてくれるかどうかだ」
「ほんとに!?」
マリとルカの目がぱっと輝く。
オルガは頷くと、静かに語りだした。
「今まで、我々四大魔女は、奴隷として扱われていた者たちを解放し、
彼らに魔法を教えてきた。……その中には、戦える者たちもいる。
ミーアやオリビアのようにな」
ミーアとオリビアが小さく頷く。
マリが、少しだけ希望を取り戻したような目をした。
だが、カイが口を開いた。
「それでも……数は足りないのでは?」
オルガは、笑って答えた。
「我々だけで、師団を一つ潰したんだぞ。
たとえ数百人でも、十分に戦えるさ。数ではない。意志と力だ」
その言葉に、面々の胸にわずかに火が灯った。
小さな炎だが、絶望の夜に灯るには十分な光だった。
それでも、全貌は見えていない。
敵の真の数も、背後にある組織の底知れぬ力も……。
――だが、希望だけは、まだ……ある。
ヒルダが、立ち上がって告げた。
「……おそらく、敵は朝日の昇るのを待っている。
それまで、わずかでもいい。身体を休めておけ。次の戦いが、来る」
みなが黙って頷いた。
それぞれの心に、静かな決意と、微かな希望を灯しながら。