167.束の間の休戦
敵兵の動きが鈍っていた。
先ほどカイがドレイアごと落としたノクルス――どうやら、その巨体が第二師団の上に直撃したらしい。
遠くの地上では、慌ただしく再編成が行われているようで、攻勢が一時的に止まっていた。
「……いまが、貴重な休憩時間だな」
ヒルダが塔から周囲を見下ろしながらつぶやく。
そして、グリフォンに乗って偵察を終えたカイが城へ戻ってきた。
「敵の動き、ほぼ停止中。第二師団は一部潰滅、そお影響を受け第三師団も隊列を崩してた」
その報告に、場の空気が少しだけ和らいだ。
長い緊張から解き放たれた一同に、ようやく息をつける時間が訪れた。
「この間に、身体を休めた方がいい。各々、ゆっくりするがいい」
ヒルダが静かに告げると、それぞれが小さな安堵を胸に、束の間の休息へと向かった。
マリ、ルカ、キースの三人は、食事の準備を始めていた。
大きな鍋が持ち込まれ、切り分けられた野菜と肉が手際よく放り込まれていく。
キースのナイフさばきは、見ていて気持ちいいほどの流麗さだった。
「すごい……」
ルカが見とれるように言う。
「はいはい、次これ切るぞ」
キースは笑いながら手渡す。
ルカの動きもなかなかのものだった。だが――
「ううっ……」
マリの手元で、ナイフがずれ、トマトがぐしゃっと潰れた。
手は無事だったが、見事なミンチになったトマトを前に、マリは落ち込む。
「……わたし、料理とかしたことなかったから……」
眉を下げ、しゅんとするマリ。
その様子を見たキースが笑いながら言った。
「料理はな、回数こなせば絶対うまくなるよ。剣も料理も似たようなもんさ」
「ほんと? ……キースさん、なんでそんなに上手なの?」
マリが目を丸くして尋ねると、キースは鍋を混ぜながら、ふっと遠くを見るような目になった。
「――それはな、駆け出しの冒険者だった頃の話だ」
火のぱちぱちと燃える音だけが響く静かな空間の中、キースは静かに語り始めた。
キースは、地方の小さな村で生まれた。
両親は早くに亡くなり、村の小さな剣道場の師範に育てられたという。
「そこの師範が言うんだ。“働かざる者食うべからず”ってな。
で、俺は食事当番に回されて、料理を覚えたってわけだ」
それがキースの料理の原点だった。
剣術も、同時に教わった。
朝は剣の鍛錬、昼は畑、夜は炊事――そんな日々を経て、10代で村を出た。
「ある日、冒険者に憧れて、王都より少し南の都市に行ったんだ。
そこで冒険者登録して、いろんな遺跡やダンジョンを回って、腕を磨いた。負けなしだったぜ」
そのうち、名が広まり、王都ベンゲルから王家直属の近衛兵への招集が来た。
「正直、興味はなかったけど……ベンゲル観光がしたくてな」
キースが笑うと、マリもくすりと笑った。
「試験は、まぁ……歯ごたえなかったよ。あっさり合格。
だけど、近衛兵じゃなくて、教会からスカウトされてな――そっちの方が不気味だった」
キースはそこで、何かを思い出すように間を置いた。
「当時はなぜ入隊したのか、記憶が曖昧でな。
あとで気づいたんだ。おそらく……魔法でコントロールされてたって」
マリとルカが顔を見合わせ、息をのむ。
「教会での任務は、神の名のもとにと言いながら、やってることは軍隊そのものだった。
内部には、不穏な空気が漂っていた。――そこである日、出会ったんだとある魔女に」
「……その魔女って……」
マリが小さく尋ねた。
「――あぁ、オルガだった」
「やっぱり!」
マリとルカが同時に叫ぶ。
「オルガは教会に潜入しててな。俺に魔法を解いてくれた。
そこからは情報交換して、カイのことも聞いてたから……試したくなった」
「ふふ……カイ、強くなったでしょ?」
マリがにこっと笑って自慢げに言う。
「そうだな。今のあいつとは、いい勝負になるかもな。
いや、下手すりゃ俺が負けるかも……」
キースが苦笑しながら言った。
マリの鼻が高くなったような顔をして言った。
「でしょー!? カイ、すっごいんだから!」
笑い声が、温かく厨房に響いた。
その雰囲気を壊すように、ルカが真顔で尋ねる。
「でも、キースさんって、伝説の“ダブルS”のソードマスターって呼ばれてたけど、死んだって記録が……」
キースは鍋を混ぜながら、静かに言う。
「俺が教会に入った時点で、存在を“消された”んだよ。
あの中には、俺みたいに操られてる奴が、まだまだいる」
「……じゃあ、これから……その人たちとも戦うの?」
マリの声が少し震えた。
「可能性は高いな。スタンハイム王国を隠れ蓑にしてる教会が、いつ本性を現すか分からねぇ。
その時は……覚悟しておいた方がいいかもしれない」
張りつめた空気が漂う。
だが――
キースがそれを切るように笑って言った。
「ま、今は料理だ! 温かいもんを配ってやろうぜ。元気が出るぞ」
鍋から立ち昇る湯気が、ほんのりと香ばしい匂いを広げていた。
「よーし、完成っと。……さて、味見役は……マリ、頼む」
「えっ!? わ、わたし!?」
「料理は食べてなんぼだ。まずは自分で味わうんだよ」
「……はいっ!」
マリが笑って頷く。
塔の中に、久しぶりに穏やかな時間が流れていた。




