163.城へ!
城壁を地上へと降りる螺旋階段。最後尾を走っていたマチルダは、振り返って仲間全員が無事に降り終えたことを確認すると、深く息を吸い、杖を掲げた。
「――フレイム・バースト」
彼女の詠唱と同時に、巨大な火球が階段の中腹に炸裂し、石段が爆音とともに吹き飛んだ。土煙が舞い上がり、階段の残骸が崩れ落ちる音が静寂の中に響いた。
「これで……奴らが城壁を上っても、降りる術はない。落ちるしか……ないわね」
マチルダの唇が一瞬だけ皮肉に歪んだ。
だが、その笑みの奥には深い虚無があった。
彼女自身も、逃げ道を一つ――永遠に断ったことを理解していたからだ。
地上へ降り立った一同の目の前に、巨大な三つの城がそびえていた。それぞれの城の周囲には、石の巨人たち――数千体のゴーレムが、無言の命令に従って動いていた。硬質な脚音と、岩を軋ませるような動作音が、戦場に広がっていく。
「こっちだ、急げ!」
ヒルダが声を張り上げ、最後方を振り返りつつ駆け出す。
マリたちも一斉に走る。ゴーレムたちの間を縫いながら、奥の城を目指してひたすらに走った。風が、土が、戦火の熱気と血の匂いを運んでくる。
やがて、最奥の城にたどり着く。
だが――
「ねえ、入口はどこなの!? 扉が……見当たらないんだけど!?」
マリの悲鳴にも似た声が、戦場のざわめきにかき消されそうになる。
彼女の目の前には、陰鬱な灰色の石壁が広がっていた。まるで巨神の体表のように滑らかで、どこにも扉らしきものがない。周囲には彫刻も、隙間も、何もなかった。
ヒルダが無言で前へ進み、城壁に手を触れた。まるで懐かしい人に触れるような仕草だった。
「……ここが扉だ。だが、魔力で封じられておる。他の者には開かぬ」
その言葉とともに、ヒルダの手から淡い紫光が滲み出し、石壁にゆらりと魔法陣が浮かび上がる。
低い地鳴りのような音――ごうっ……
石壁の一部が震え、ゆっくりと左右に開いた。開口部からは、ひんやりとした空気が流れ出てきた。
「入れ!今すぐだ!ドレイアが旋回を開始しておる!」
マルギレットの叫びに、全員が上空を仰ぎ見た。
――空が……塞がれている。
沈みゆく太陽を遮るほど巨大な影が、円を描くように城の真上を旋回していた。悪魔の巨鳥ドレイア。その双翼が風を裂き、重低音の羽ばたきが空気を震わせている。
「クソッ……こんなもん、空が丸ごと落ちてくるようなもんじゃねぇか……」
キースが唾を吐き捨て、剣の柄を強く握りしめた。
「中へ入って!早く!ここに長くいちゃ……やられるよ!」
ルカが必死に叫び、マリとオリビアの手を引いて扉の中へ滑り込む。
ミーアは一人、城の陰から振り返っていた。
彼女の視線の先――地上に広がる戦場。
「ゴーレムたちが……!あんなに……簡単に……」
数千体いたはずのゴーレムが、押し寄せる混合師団に飲まれ、次々と破壊されていく。腕が砕け、胴体が裂け、巨体が地面に崩れ落ちていく音が、まるで鎮魂の鐘のように響いていた。
「ゴーレムじゃ……時間も稼げねぇのか……」
カークが低く呟いた。
「無駄ではない。だが……もって、あと数分だ」
ヒルダの声には、抑えた怒りと、深い悲しみが滲んでいた。
全員が魔法の扉の中へと駆け込むと、城壁は再び閉じられた。
石がこすれるような音を最後に、外との繋がりは断たれた。
途端、世界が変わったように静かになった。
重い空気が満ち、天井からは淡い光が漏れていたが、どこか冷たい。
まるで墓の中にいるような錯覚。
マリが、肩で息をしながらぽつりと呟いた。
「……ほんとに……私たち、逃げてるだけだよね……」
その一言は、全員の胸を突いた。
答える声はなかった。
しばらくの沈黙が、鈍く重く、その場を支配した。
やがて、オリビアが小さく、震える声で言った。
「……でも、生きていれば……きっと……」
その希望の言葉すらも、誰も信じ切ることができなかった。
ヒルダは静かに天井を見上げた。
「ここが……最後の砦だ。もしドレイアが……本気で墜としに来たら……」
言葉は、そこで切れた。
誰も続きを聞きたくなかった。
「……カイ……」
マリが膝を抱え、小さく呟く。
「お願い……早く……来て……」
その声は、冷たい石壁に吸い込まれ、虚空に消えた。
外では、まだあの巨鳥の鳴き声が、空を引き裂くように響き渡っていた。