161.不死身のノクルス
ノクルスの斬撃が、カークの左腕をかすめた。
わずかに掠っただけ――そう思った瞬間、血しぶきが弧を描き、地面を濡らした。
その量と勢いに、周囲は息を呑む。
「ぐっ……!」
カークが膝をつく。その瞬間、キースが間に滑り込み、剣を振るいノクルスの刃を受け止める。
金属音が耳をつんざく。
「二人がかりで、なおも押されている……なんという剣士なのだ……」
カークが歯を食いしばりながら立ち上がる。
キースが一閃を放つ。ノクルスが剣で応じた刹那、わずかに身を開いた。
「今だ、カーク!!」
キースの叫びと同時に、カークが一歩踏み込み、刃を水平に走らせる。
ノクルスの足首に、鋭い痛みが走った――切断。
「うまい!」
キースが叫び、続けざまに胸元めがけて剣を突き立てた。
漆黒のマントの奥深く、確かに刃は深く刺さった。
「……勝負あったかな」
ノクルスの動きが止まる。刃は心臓を貫いたはずだった。
カークもキースも、息を整える間もなく、じりじりと警戒を強める。
しかし――動いた。
ノクルスはまるで何もなかったかのように、立ち上がった。
剣を引き抜く音すら、死の静寂を破るものとなった。
「なぜだ! 急所は確実にとらえていた! なぜだ!!」
カークが叫ぶ。
今度こそ、と再び斬りかかる。
深く被ったフードの奥へ、刃が吸い込まれるように突き刺さった。
その感触に、確かに頭部を貫いた確信が走った。
だが、それでもノクルスは……生きていた。
「一体どうなってんだよ!」
キースの叫びが、緊迫した空気に響いた。
その様子を見ていたヒルダが、険しい声で言い放った。
「ノクルスは魔法が効かない……だが、光魔法だけは少しだけ効く。先ほどのようにな」
「それで……どうしたらいいんだよ!」
キースが叫ぶ。
ヒルダは一瞬、言葉を選ぶように沈黙した。
「ノクルスは……人間には倒せないのだ」
「はぁ!? それじゃ、俺たちに打つ手はないじゃないか!!」
「そうなのだが……唯一、倒す方法がある」
そう言ったヒルダの右手に、淡い光を帯びた長剣が現れた。
その剣から発せられる魔素の気配に、キースとカークが一瞬たじろぐ。
「それは……?」
「我ら”エルフ”族。我々なら、ノクルスを打てる」
ヒルダの目には、揺るがぬ決意が宿っていた。
ノクルスに向かって突進するヒルダ。
その気配を察知したノクルスが、一歩後ずさる。
その仕草から明らかな動揺が見て取れた。
カークが咄嗟に背後へ回り、ノクルスの両腕を羽交い締めにする。
「ヒルダ殿! 今のうちに! 首をはねてくだされ!!」
ヒルダが剣を構える。
だが、その手が止まる。
「カーク、離れろ! お前まで斬ってしまう!」
「しかし……これしか手はないのです! 今しかない、さぁ早く!!」
その叫びは、まるで命を賭しての懇願だった。
ヒルダの手が震える。
だが、その刹那、ノクルスが身をよじり、羽交い締めを脱する。
その拍子に、フードが外れた。
姿が露わになる。
どす黒く変色した肌、黒曜石のような目、王冠にあしらわれた緑のリーフの意匠。
「こいつ……エルフ族なのか!?」
カークの声が、戦場に響き渡る。
「そうだ……」
ヒルダの答えは低く、重く響いた。
「こいつはかつて、エルフの王だった男……堕ちた王、ノクルス」
その言葉に、一同が絶句した。
「じゃあ、同士討ちじゃないですか……」
キースの声が震える。
ヒルダは静かに答えた。
「お前たち人間も……今、同士討ちをしているのだろう……」
その言葉に、誰も何も言い返せなかった。
ヒルダの表情には、これまでに見せたことのない影が差していた。
その時だった。
空高く、旋回を続けていたドレイアが、突如として急降下を開始した。
巨体が風を裂き、地響きを伴いながら迫ってくる。
ノクルスが跳躍し、ドレイアの背に飛び乗った。
「くそっ……もう一息だったのに!!」
ヒルダが地面を拳で叩いた。
その拳から滲む血が、ヒルダの悔しさをすべて物語っていた。
そして、空へと消えていくノクルスとドレイア。
再び、戦場に静寂が戻る……だが、それはほんの一瞬のことだった。