157.戻れない
全員が、完成したばかりの城壁の上に立ち、遠くを見渡していた。
眼下に広がる広大な平野、そしてその向こうに横たわる川――いや、大河。
魔女たちが作り出したとは思えないほど自然に溶け込みながらも、圧倒的な存在感を放っていた。
「……高い……」
マリが思わずつぶやき、身を乗り出すようにして下を覗き込んだ。
「なぜわざわざ覗き込むのよ……」
隣にいたルカが呆れたように苦笑する。
だが、マリの心はすでに別のことに釘付けだった。
眼下に広がる風景。あの巨大な川も、四つの城も、そして周囲を包むように築かれた壮大な城壁も――
すべてが魔女たちの手によって、たった一日で創り上げられたものだった。
(……神様? それとも、世界の創造主……?)
そんな幻想すら、マリの胸をかすめた。
「これなら……勝てるんじゃないか……」
ぽつりとカークがつぶやいた。すぐ隣でキースも小さくうなずく。
だが、マリはすぐに顔を曇らせた。
「……ヒルダさんたちは、魔素を使い果たしかけてるのよ。川や城、城壁、それに大量のゴーレムまで……」
ルカも心配そうに顔を歪める。
「……カイ、まだこないのかなぁ。魔素を持ってくるって言ってたのに……」
マリの視線が遠くに向けられた。その先には、カイが現れるはずの東の空。
しかし、そこに彼の姿はなかった。
「そうね……遅いわよね……なにか……あったのかしら……」
言葉が震えた。マリの不安が、皆にも伝染していく。
「いや! マリ殿!」
カークが急に声を張った。
「カイ殿は……やるときはやる男ですぞ! きっと、ちゃんとやって来ます! ひょっこり顔出して、ニッと笑ってくれますって!」
「……ありがとう、カークさん」
マリが微笑む。
「うん……そうよね。そのうち、来るわよね」
その時、ヒルダたち四大魔女が城壁の上に合流した。
一見、平静を装っていたが、疲れは明らかだった。
マリがすぐに駆け寄る。
「ヒルダ先生! 大丈夫ですか!? 顔色が……」
「お前たちに心配されるほど、ヤワではないわ」
鼻で笑うヒルダ。マルギレットも「ふん」と鼻を鳴らし、オルガは無言でうなずいた。
マチルダだけが、心配そうにマリの肩をポンと叩いた。
しかしその実、彼女たちの魔素は限界に近かった。
(……早く来い、カイ……お前がこないと、この作戦は……)
ヒルダの視線は、再び東の空へと向けられた。
その時だった。
「ヒルダ、あれ……あの空の黒い影……なんだ……」
オルガが眉をひそめた。東の空に、何かが蠢いていた。
「オルガ……あの東の空のアレ、なんだか分かるか……?」
「ちょっと待って……」
オルガは親指と人差し指で輪を作り、その中央に魔法陣を描く。ズーム魔法だ。
魔法陣が輝き、東の空の黒い影が拡大される。
その姿を捉えた瞬間、オルガの顔が蒼白になった。
「うそだろ……あんなの……召喚したのか……」
「なに?」
ヒルダも同じ魔法で確認し、次の瞬間、後ずさりした。
「……おい……冗談じゃないだろ……」
――ドレイア。
村々を喰らい尽くした悪魔の巨鳥が、こちらへ向かって飛来していた。
まだその羽音すら届いていない。しかし、確実に――来ている。
「ヒルダ先生? どうかしたんですか?」
マリの声に、ヒルダは重く口を開いた。
「予定外の敵が現れた……災厄だ……」
全員の顔から血の気が引く。
「お母さん、一体何なのね!?」
オリビアが叫んだ。
「東の空から……ドレイアが来ている……」
重く、どこか死刑宣告のような声だった。
「ドレイアって、そんなに……そんなに強いのですか……?」
マリが引きつった笑みを浮かべながら問いかける。
「まさか……四大魔女でも敵わないとか!?」
ヒルダたちは、答えなかった。いや、答えられなかった。
その沈黙が、すべてを物語っていた。
沈黙を破ったのは、普段ほとんど喋らないキースだった。
「……おい、みんなどうした?」
その声に皆が振り返る。
「ビビってんのか? 世界一の剣豪が来てるってのに、ビビってる暇なんてねぇだろ。
お前らは俺の背中見てろ。華麗に切り伏せるから、拍手の準備でもしておけよ」
「あんた……しゃべれたんだ……」
マリがぽかんとした顔をする。
さらにカークが一歩前に出て、拳を握りしめる。
「そうですぞ! 我らもただの付き添いではないのですぞ!
この私、カークも、全力で皆を守る所存でありますぞ!」
「……キースって……そんなチャラい感じだったんだ……」
マリが吹き出したように笑う。
その笑いが、場の空気を少しだけ和らげた。
それを見たヒルダは、拳を握った。
(人間族……悪くない……)
「よし、決めたぞ」
ヒルダが全員に向き直る。
「我々四大魔女が、ドレイアを迎え撃つ! お前たちは、この城壁で川を越えてくる軍勢を叩け!」
マルギレットが続ける。
「ある程度数を減らしたら、奥の城へと下がるのじゃ! そこが本命の戦場じゃ!」
「おおおおおおおおっ!」
声を合わせて気合を入れる面々。
そのとき――空が鳴った。
「――!!」
全員が耳を押さえた。
聞いたことのない重低音の羽ばたきと、まるで一万の人々が同時に絶叫するような、禍々しい鳴き声。
空そのものが裂けるかのような音だった。
誰かが震え、誰かが座り込み、誰かが叫んだ。
空から降ってきたのは、破滅の前触れだった。
ドレイアが、目前まで迫っていた――。