156.大地を割き、海を招く
マルギレットの家がふわりと空中に現れ、次の瞬間、まばゆい光とともに面々を包みこんだ。転移の光が消えると、そこはランヒルド手前の風が強く吹き抜ける高原だった。
澄んだ空気が胸を打つ。草の香りと、遠くに見えるエルフの森。その手前に広がる平地に、誰もが目を見張った。
「まだ……軍勢は着てないみたいね」
暗闇の中だが、気配は全く感じられなかった。
マリがマルギレットの家から勢いよく飛び出し、周囲を見渡して言った。風になびく髪を押さえながら、空気の重さを感じる。
「……それも今のうちじゃな」
と、ヒルダが静かに言うと、オルガとマチルダに目配せをする。
「お前たちは少し下がっていろ」
ヒルダの一言に従い、マリたちは少し後方へと退く。その視線の先で、三人の魔女が地面にしゃがみ込み、真剣な顔つきで地形を指差しながら議論を交わしていた。
「この地層だと、かなり深く行けるのんじゃないか?」
マリはその話のスケールに唖然とした。まるで現実感がなかった。
マチルダがふいに、無詠唱で右手を掲げ、空中から杖を呼び出す。くるりと杖を回すと、地面に突き刺した。杖はまるで地脈を探るように、低い音を鳴らした。
「……ここでいいだろう」
マチルダが静かに告げると、ヒルダ、オルガ、マチルダの三人は自然に輪を描いて立ち、詠唱を開始した。
その場には緊張感が張り詰める。空気が震え、周囲の草が風もないのに揺れた。
その様子を見たオリビアが、ふわりと笑いながら声をかけた。
「ここにいたら邪魔なのね。私たちは先に森の方へ向かうのね」
マリ、ルカ、ミーアらがそれに従って歩き始めた、そのとき――
ドオオオオオオン……!
地鳴りが背後から響いた。咄嗟に振り返ると、地面がまるで裂けたように大きく口を開け、幅広く深い「溝」が走っていた。
「え……これって……」
「これがヒルダたちの本気なの!?」
マリの声が震える。オリビアは誇らしげに胸を張って言った。
「こんなもんじゃないのね!」
誰もが息を呑んだ。その規模、その精密さ、そして魔素の圧倒的な存在感――ただの「川」ではなかった。戦場を分断する、大自然のような壁だ。
「これなら……勝てるのでは……!」
カークがぽつりと呟く。その声に、少しだけ希望の光が皆の胸に灯る。
だが――
「ん? あれ……あれなに……?」
ルカが指さす北の空、海の方角。
空が染まる。水平線の彼方から、天に届くような虹のような光の帯が走る。
それは――
「……海水が……こっちに……流れてきてる!?」
誰かが叫んだ。
瞬く間に、地平線の果てから怒涛のように押し寄せてくる白波。その全てが、先ほどの巨大な溝へと流れ込んだ。
ごうっ! と大地が揺れ、水の音が耳を裂く。あっという間に大河が生まれた。
「……うそ、でしょ……?」
誰もが呆然としていた。
一瞬で創造された大河。その流れは自然のものではない。人智を超えた“魔法の力”だった。
ヒルダ、オルガ、マチルダの三人は、まるで何事もなかったように静かに立ち上がった。
「さぁ、進むのね!」
オリビアの声で全員が我に返る。
一同は、次なる目的地――フェイクの三つの城を建てる地点へと向かった。
数時間後。
開けた平地に到着すると、そこへ空からマルギレットがほうきに乗って現れた。
「次じゃ、オリビア!」
「はいなのね!」
二人は同時に詠唱を始め、地面に杖を突き刺す。
グゴゴゴゴ……!
地が揺れ、轟音と共に大地を押し上げるように、巨大な城が出現した。まるで岩山をくり抜いたような、重厚な洋風の石造り。
「うわ……なんだこれは……」
カークは腰を抜かし、その場に尻餅をついた。
「オリビア、やりおるなぁ……!」
マルギレットが嬉しそうに褒めると、オリビアは顔を赤くして小さく頷いた。
「まだまだなのね……でも、嬉しいのね!」
「あと三つあるのじゃぞ!」
マルギレットが笑いながら飛び去る。オリビアも後に続く。
その頃、カークとキースは、剣を抜き、警戒を怠らずに森の奥へと足を運んでいた。
「……まだ俺たちの出番は来ないな」
「ええ。でも、今のうちに周囲の魔物を排除しておけば、きっと意味はあるはずです」
ミーアも静かに矢を確認している。ルカとマリは、遠くの高原を見つめていた。
「私たち……何もできないでいる」
「でも……何かしないと、って思ってる。今はそれだけが支え……」
皆が胸にそれぞれの焦りと覚悟を抱えていた。
圧倒的な力を目の当たりにし、自分の無力さに歯噛みする。
だが、確かに彼らは歩き出していた。まだ始まったばかりなのだ。