155.火口の住人
森にひとり残されたカイは、呼び出したグリフォンに飛び乗ると、キナーク山を目指して空を駆けた。
夜空を裂いて翔ける翼。山のシルエットが不気味に浮かぶ。
やがて、火山の火口に降り立つ。初めて間近に見るそれは、巨大な獣の口のようにぽっかりと開いていた。
「すげぇな……ほんとに火の山だ」
覗き込めば、遥か下に赤く蠢くマグマが揺らめいていた。風が熱を孕み、肌を刺す。
「しかし……どこから魔素を吸収すりゃいいんだ?」
ブレスレットに目をやる。三つの宝玉はすでに満杯。新しい球体に入れるとしても、どこにその魔素があるのか皆目見当がつかなかった。
とりあえず降りてみようと、補助魔法で体温を制御しつつ、火口湖の縁へと足を進めた。下界の空気とはまるで違う。熱気と硫黄の臭いが混ざり、息苦しさが鼻に残る。
「……こうして見ると、意外とでかいんだな、この火口湖……」
と、ふと足元に小さな横穴を見つけた。
「ん? なんだ、これ」
自然にできたものではなさそうだ。壁面は滑らかに削られ、意図的に通路として整えられているように見える。
カイはしゃがみ込み、四つん這いで横穴に入り込んだ。
穴は徐々に広がり、やがて立ち上がれるほどの空間に出た。そこには井戸のような縦穴があり、下を覗き込めば、かすかにマグマの赤い光が見える――と、そのとき、何かが下からこちらを覗き返してきた。
「ん? 誰かいるのか……?」
不意に気配を感じ、縦穴の内壁に手足を突っ張り、カイは器用に降下を始めた。
深い。足場がなく、全神経を集中させて降りる。そしてようやく地に足をつけたその瞬間。
「よっ、と!」
軽やかに着地したカイの前に、奇妙な存在が立っていた。
ずんぐりむっくりな体型。緑のチュニックに金属の兜を被り、腰には革のベルト。手には小さな剣。立派な髭を蓄えた、小さなバイキングのような姿。
その男(?)は、カイに向かって叫んだ。
「おおっ!? 誰じゃ貴様は!」
カイは目を丸くして、思わず口をついた。
「しゃ、喋った!? ってか何者!?」
「お前こそ何者じゃ! こんなところまで何しに来おった!」
小さな剣を振りかざし、突進してくる。思わずカイはその剣先をつまんで止めた。
「はいはい、ストップストップ!」
小さな体で全力でもがくその男に、カイは思わず笑ってしまう。
「返せ! わしの剣を返せこのやろう!!」
「おっと、落ち着けって」
「落ち着けるかい! 武器がなければ男じゃないんじゃ!」
「……なら名乗れよ。返してやるからさ」
ムスッとした顔で、男はカイのスネを蹴り飛ばした。
「いてっ!!」
油断した隙に、剣を取り返す。誇らしげに胸を張る。
「ふふん。わしの名はボルクじゃ、ボルク・エッグヘンデルじゃ!」
「なんか立派な名前きたな……俺はカイ。ちょっと魔素を回収しに来たんだけどさ」
「……魔素だと?」
ボルクの眉毛がピクリと跳ねる。
「ああ、フォースドラゴンが流し込んだってやつ。……あんた、知らない?」
「そ、そんなもんはない! ここにはおらんぞ!」
「……えぇ?」
話してみれば、意外といいヤツだった。敵意はなく、むしろ長く誰とも話していなかった様子。
「で……素朴な疑問なんだけど。ずっとこんな場所にいて、食料とか水とかどうしてんの?」
ボルクは無言で火口湖の縁に歩み寄ると、兜を脱いでマグマをすくい上げた。
「これじゃ」
「……は?」
「これを飲んどるんじゃ」
「えっっっっっっ!? マグマを!? それ飲み物なの!?」
「おぬし、知らんのか……このとろみとコクの深さを……」
「いやいや、こっちじゃ致死レベルの飲み物だからそれ! ていうか生きてるのがすごいよ!」
「なら、おぬしは何を食っておるのじゃ?」
「普通にごはんとか、野菜とか、肉とか……」
「……ご、はん? それは何じゃ?」
「嘘だろ!? ごはん知らないの!?」
カイは驚愕しつつも、どこか愉快な気持ちになった。
さらに話を聞いていくと――信じられないような話が出てきた。
ボルクは、フォースドラゴンがこの火山に吐き出した超高濃度魔素の中で生まれ、その魔素の影響で生き物としての形態を変え、“ボルク”になったというのだ。
(……嘘みたいだけど、こいつ、魔素の塊みたいなもんじゃねえか)
カイは思い立ち、魔法袋からクリスタルの球を取り出し、ボルクに差し出した。
「ちょっと持っててくれ」
「ん? なんじゃこれは?」
ボルクが球を持つが、何の反応もない。魔素を吸収しない。
「ダメか……やっぱこのオヤジ自身が魔素そのものってことか……」
考え込んだカイは、苦笑しながらひとつの結論に至る。
「連れてくか……。これしかねぇ」
ボルクに向き直り、真剣な目で言う。
「なぁ、外の世界に出てみないか?」
「……外じゃと?」
「そう、外。世界。仲間がいて、戦いがあって……今、ヤバい状況なんだ」
カイは、仲間たちのこと、エルフの森の危機、戦争の前触れ、そして魔素の必要性――全てを順に説明した。
ボルクはしばし考え込み、やがて言った。
「……よし、行ってやってもええ。じゃが、一つだけ条件があるのじゃ」
カイは顔を上げた。
「条件?」
「うむ――“ごはん”とやらを、食わせてくれ!」




