145.呪いの痕跡
スタンハイム城の地下、石造りの冷たい一室。
湿気と血のような鉄臭さが鼻を刺す。
かつてこの場所は、王家に仇なす者を幽閉していたと噂されていたが――
それはあくまで、幼き頃に聞いたおとぎ話のようなものだった。
だが今、まさにその場所に自らが囚われているという現実が、グレーンを無言の衝撃で包み込んでいた。
グレーンは膝をつき、うつむいたまま動けずにいた。
その前に立っているのは――
「デュラハン……?伝説級の魔物………!?」
巨大な影のような存在、鎧をまとった首のない騎士。
黒馬にまたがり、片手には兜、もう片手には巨大な剣を持っている。
グレーンは反射的に後ずさった。恐怖というよりも、本能が警鐘を鳴らしていた。
「……我が主、カイ様の命により、あなた様を護衛せよとの命を受けました」
その低くくぐもった声が、地下の冷気とともに響いた。
しかし、声が発せられたはずの“首”は存在しない。
不思議な重圧に飲まれそうになりながらも、グレーンは震える声で問いかける。
「……味方、なのか……?」
デュラハンは、わずかに頷くように兜を傾けた。
それだけで、グレーンの緊張は幾分か和らいだ。
「……さっきの救出、見事だった。まさか、あんな……」
グレーンの脳裏に、先ほどの光景が蘇る。
兵士たちが次々と吹き飛ばされ、血を吐きながら壁に叩きつけられる。
そして、自分を片手で軽々と担ぎ、影の中に沈んでいった怪異。
「……すまない、命を救ってくれて」
「礼には及びません。すべて、主の命に従っての行動です」
淡々と語るその姿に、グレーンは少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「……あの王は……父上は、明らかにおかしかった。まるで人が変わっていた……
お前も見ただろう、あれは……魔法か?」
「……はい。厳密には、呪いです」
「呪い……だと?」
デュラハンは、静かにうなずいた。
「通常の魔法とは違い、呪いは術者の魔素を継続的に注ぎ込み、支配する力。
王ほどの強靭な精神を支配できるとなると、極めて強力な“術者”が存在するはずです」
「じゃあ……あのゼオという男の仕業か?」
「……否。奴からは、術者特有の魔素の乱れが感じ取れませんでした」
グレーンは眉をひそめ、思わず口をつぐんだ。
「……じゃあ、誰が……何のために……」
「……それをこれから突き止めます」
「できるのか? そんなこと……」
「呪いというのは、魔素の連結が続くかぎり、必ず“痕跡”が残ります。
それほど強力な呪いであればなおのこと。痕跡をたどれば、術者にたどり着く可能性が高い」
グレーンは深く息を吸い、拳を握りしめた。
「……頼めるか? 本当に……俺は、父上を……王を、正気に戻したいんだ……!」
デュラハンは無言で頷き、左手を掲げる。
その瞬間、彼の周囲に重厚な魔素が渦を巻いた。
空間がゆがみ、鈍い金属音と共に魔法陣が現れる。
緻密な魔術刻印が幾重にも重なり、淡い紫の光を帯びながら床に展開していく。
「――では、参りましょう。王を蝕む呪いの源を、追いましょう」
魔法陣が静かに輝きを放ち、ふたりの身体が足元の影へと沈んでいった。
グレーンは最後に、薄暗い天井を見上げ、目を閉じた。
「……絶対に……見つけてやる」
冷えきった石の部屋には、誰もいなくなっていた。