144.玉座
馬蹄が夜の石畳を打つ音が、王都の静寂を破っていた。
グレーンは一心不乱に馬を駆り、王城の正門へとたどり着いた。
「王に、父上に会わせてくれ!」
守衛たちは驚いた顔で立ちふさがる。
「グレーン王子、夜分遅くに何事ですか?王の御前には朝まで……」
「急を要する。国の未来が懸かっている!通せ!」
必死に訴えるが、取り巻きたちは動かず、要請は却下された。
苛立ちを隠しきれぬまま、グレーンは王直属軍を統括する参謀の部屋に向かった。扉を何度も叩き、ついに男を叩き起こす。
「昨日、軍が出発したというのは本当か?」
寝ぼけ眼の参謀が眉をひそめて答える。
「……ああ、三師団が出た。王命によるものだ」
その言葉に、グレーンは愕然とした。カイたちの話が現実となっていたのだ。
「まさか……本当に、出したのか……」
体の力が抜けた瞬間、廊下の奥から兵士たちが駆け込んできた。
見たことのない鎧を着ていた。
「誰だ、その男は!? 王子と名乗っているが、証拠はあるのか?」
「私はグレーンだ! スタンハイム国王の実子だ!」
しかし、兵たちは耳を貸さず、その場で彼を取り押さえ、応接室の一室に軟禁した。
夜が明け、城内に朝の光が差し込んだころ、ようやく王との面会が許された。
玉座の間へと案内されたグレーンの目に映ったのは、別人のような父王だった。
肌は青白く、瞳は虚ろで、口元は時折ピクピクと痙攣していた。
「父上……どうされたのですか、そのお顔……」
しかし、王は答えない。ぼんやりと前を見据えたままだ。
その傍らに、見知らぬ男が立っていた。
銀髪をソバージュのように巻き、50代半ばに見えるその男は、異様な存在感を放っていた。
「……お前は誰だ?」
グレーンが問いかけると、唐突に王が反応した。
「我がスタンハイムと共に歩んできた忠臣ゼオ・メティスを、罪人のように問うのはやめろ!」
怒りとも錯乱ともつかない声で叫び、王はゼオの肩に手を置いた。
「この男は我が友だ。心から信頼している」
グレーンは愕然とした。この男など、王の側近にいた記憶は一度もない。
「なぜ……父上、なぜ軍を出したのです。かつてあなたは戦を憎んでいた……」
王は無表情のまま言った。
「この地を支配しようとする者たちへの警告だ。それが我が国の生き残る道だ」
グレーンは声を荒げる。
「それは本当にあなたの言葉なのですか!? 信じがたい!」
その視線は、横に立つゼオへと向かっていた。
ゼオは何も言わず、ただうっすらと笑みを浮かべるだけだった。
グレーンは確信する。この男が父に何かをした。カイたちの言っていたことは真実だったのだ。
「……なんということだ。一度、引こう……失礼します、王。」
踵を返したその時だった。
「そやつを捕らえよ!」
突然、王が立ち上がり、叫んだ。
「そいつは偽物だ! 我が息子に化ける魔物だ! 名を騙る不届き者を処せよ!!」
その直前、ゼオが王の耳元で何かを囁いていた。
「父上!? 何をおっしゃっているのです!」
グレーンは混乱し、その場に立ちすくむ。
兵士たちが一斉に剣を抜き、彼に向かって迫ってくる。
――その瞬間。
グレーンの足元の影が蠢き、漆黒の霧を伴って一人の騎士が現れた。
ギギィ、と金属が擦れる音。
首のない騎士――デュラハンのヴィーブルだった。
「……グレーン王子……わたくし目が…」
ヴィーブルが剣を抜き、眼前の兵士を薙ぎ払った。風圧だけで三人が吹き飛び、壁に激突する。
突進してきた騎士にも怯まず、巨剣を振るい、一太刀で兵たちを吹き飛ばす。
「ば、化け物だ――!!」
兵士たちが後退しようとした刹那、ヴィーブルはグレーンを抱きかかえ、そのまま影の中へと沈みこんだ。
黒き渦が消えたと同時に、玉座の間は静寂に包まれた。
ゼオは冷ややかな視線でその場を見つめていた。
「……あのような魔物を従えていたとは……、しかも予定より早かったか」
そう呟きながら、再び王に何かを囁き始める。
王の虚ろな瞳は、何も映さないまま、ただ空を見つめ続けていた。