143.影の番人
森の小屋へ戻るべく、カイたちは、夜のベンゲル郊外に広がる草原を歩いていた。
月明かりが草の波を照らし、風がさらさらと音を立てて吹き抜けていく。
カイがぽつりとつぶやく。
「……本当に、グレーンを信用していいものか……」
前を歩いていたマリが、振り返って言った。
「今はもう、グレーン王子を信じるしかないわよ……」
ルカとミーアも、静かに頷く。
カイは腕を組み、少し考え込むような顔を見せた。
「でもな……なんか腑に落ちないんだよ。あまりにも素直すぎるっていうか……。まるで、俺たちを丸め込むような答えを言ってるみたいだった」
マリとルカは、グレーン王子の言動について、心当たりがある。
「確かに普段の王子なら、もっとプライドが高くて皮肉屋なところがあるのに……」と、マリ。
「でも、民の声に耳を傾けるあの人も、私たちは知ってるわ」と、ルカが続けた。
複雑な感情が胸を満たす。希望と疑念、両方が心に残っていた。
しばらく無言で歩いていたカイが、急に立ち止まり、あっけらかんと言った。
「ま、でももう動き出しちゃったしな!グレーンを信用しよう!うん、そうしよう!」
いきなりの方向転換に、マリ・ルカ・ミーアの三人は顔を見合わせ、ぽかんとする。
「えぇぇ……」と、ミーアが素っ頓狂な声を上げた。
ミーアは少し不安そうに続ける。
「でもさ、もし……もしだよ? グレーン王子が王様に話したことで、逆に怒られて……
王様が、すごく悪い人だったら……王子、大丈夫かな……?」
その一言に、みんなが沈黙する。
確かに、その可能性もある。いや、むしろその可能性の方が高い気さえした。
カイが真剣な顔でうなずき、言った。
「……それなら、急いで帰って、フェイ……じゃなかった、オルガにお願いして、従魔か何かで王子を見張ってもらおう…………」
その瞬間、カイの表情がぱっと明るくなり、軽く拳を打ち鳴らした。
「あっ、そうだ!もってこいの奴がいるじゃん!」
言うが早いか、彼は歩みを止め、静かに魔素を練り始める。
「……デュラハンのヴィーブル、来てくれ」
地面に紋章のような魔法陣が浮かび上がり、重厚な馬にまたがった、首のない騎士が音もなく現れた。
その姿に、ルカとマリが反射的に一歩引いた。
「主よ……ご無沙汰しております……おおよその事情は把握しております。
わたくしめが、グレーン殿を影より守ればよろしいのですね……?」
カイが頷く。
「ああ、そうだ。お願いできるか?」
ヴィーブルは、胸に手を当てて軽く頭を下げた。
「お安い御用で……」
その言葉を残し、影の中へとゆっくりと沈んでいき、姿を消した。
その一部始終を見ていたマリが、ため息をつきながら言った。
「久しぶりに見たけど……やっぱり不気味ね……」
ルカも肩をすくめる。
「うん……夜中にあれがいきなり現れたら、普通に悲鳴上げるわよ」
カイは笑顔で応じた。
「大丈夫だって。ヴィーブルはああ見えて、相当強いんだ。騎士道精神もあるし、無駄な暴力は振るわないよ」
マリがちょっといたずらっぽく言う。
「でもさ、グレーン王子の前に、いきなりあのデュラハンが現れたら……腰抜かすわね、絶対」
「あははは!」
四人は草原の中で笑い合った。
緊張と疑念に包まれていた空気が、少しだけほぐれた気がした。
そうして、グリフォンを呼び出したカイたちは、再びその背に乗り込み、北の森――エステンの小屋へと帰路についた。
空はまだ暗く、東の空にわずかな光の帯が現れ始めていた。
そして、夜空よりもっと暗い顔をしたマリがいた。