142.賊
グリフォンのスピードなら、王都ベンゲルまではほんの一瞬だった。
郊外の広場に静かに降り立つと、すぐにマリが地面にしゃがみ込み、激しく嘔吐する。
「いやー、見ないでぇぇ……っ、オロロロロ……」
カイが背中をさすりながら、優しく声をかけた。
「よく頑張ったな、マリ」
その様子を見ていたルカとミーアの目線は、やや冷ややかだった。
4人は変装したまま、夜の王都へと足を踏み入れる。
行き先は、魔法学校の学生寮。
王族のグレーン王子がそこに滞在している可能性が高かった。
学園内に忍び込んだ4人は、人気のない中庭で小さな作戦会議を開く。
「さて、問題はどうやってグレーンに話を通すか、だな……」
カイが声をひそめながら、みんなに耳打ちをする。
マリが眉をしかめた。
「そんなの、大丈夫なの?」
カイはにっと笑って答える。
「大丈夫。こっちには最終兵器があるから!」
そのまま、4人は学生寮へと忍び込んだ。
この時間帯なら、寮に出入りする生徒はおらず、見張りは巡回の警備員だけ。
作戦は単純だ――
寝ているグレーンを拉致し、グリフォンで一気に飛び去る。
そして、誰もいないところで説得する。実にシンプルだ。
王族の寮室は3つの部屋から構成されている。
一番奥にグレーンが寝ていると仮定し、順に潜入することにした。
ルカが小声で呪文を唱えると、ドアの錠が軽やかに外れる。
「この魔法、悪用されるから禁止されてるんだけどね……」
ぼやきつつも手際は鮮やかだった。
最初の部屋には侍従らしき青年2人が寝息を立てていた。
ルカがスリープの魔法で静かに眠らせる。
次の部屋にも2人、こちらはミーアが魔法で眠らせた。
そして、最後の部屋――。
扉の隙間から、ランタンのようなほのかな明かりが漏れている。
「起きてる……か?」
カイが囁く。
「もし騒がれたら、すぐにスリープかパラライズを。いいな?」
3人が小さく頷いた。
静かにドアを開けると、部屋の中央にある机に、グレーン王子が突っ伏していた。
「寝てるな。よし、ルカ、パラライズを――」
だが、その瞬間。
グレーンがむくっと起き上がり、机の上にあった短剣を構えた。
「誰だっ!? 賊か!?」
「ルカっ!」
カイの声に反応し、ルカが素早くパラライズを放つ。
光の鎖がグレーンの体を縛り、動きを封じたが、口元はわずかに動いていた。
「貴様……その声は、平民か……」
カイたちは驚いた、変化魔法で顔や髪色を変えているが、声をだけで判断するとは・・・
カイたちは、変化魔法を解いた。
マリが小声でつぶやく。
「どうする? パラライズの効果時間は短いわよ。スリープで眠らせたとしても、起きるまでずっと待つことになるわ……」
カイは魔法袋から麻の袋と布を取り出しながら言う。
「口を塞いで袋を被せれば……いや、これじゃ本当に賊だな」
マリがジト目で睨んだ。
「当たり前よ」
カイは苦笑して、袋を仕舞った。
「仕方ない、ここで話すか」
グレーンは口を固められたまま、なおも罵詈雑言をぶつけてきた。
カイは肩をすくめる。
「ダメだ、俺の話じゃ聞く耳持たないな……ミーア、頼んだ!」
ミーアがぎょっとした顔でカイを見たが、やがて頷き、グレーンの前へ進み出た。
丁寧に、ひとつずつ説明を重ねていく。
王国の過去、エルフたちのこと、フォースドラゴンのこと、そして、戦争の火種。
言葉に詰まる場面では、カイが横から補足し、証拠となるアスマの日記も見せた。
しばらくして、グレーンが低くつぶやいた。
「……つまり、私に父を裏切れというのか」
ミーアが首を振る。
「裏切るんじゃないよ。お父様に、止めてほしいの……エルフも人間も、大切な命が失われる前に……」
ミーアの目から、ぽろぽろと涙がこぼれる。
グレーンはその様子を見つめ、しばし沈黙した。
「証拠があるのか?」
カイが答える。
「ある。スタンハイム城から、大師団が3つ、出撃しているはずだ」
「三師団も……それじゃあ、まるで戦争じゃないか……」
カイが静かに言う。
「違うよ。戦争じゃない。蹂躙だ……」
グレーンは目を伏せ、やがて力なく頷いた。
「ミーア殿……そんなに泣かないでくれ。私でよければ……やってみよう」
その言葉に、みんなの顔がぱっと明るくなる。
「ほんとうに……?」
グレーンは微笑んだ。
「今からでも馬を走らせ、父に会ってみせよう」
ルカがそっと魔法を解除し、グレーンの拘束がほどかれる。
彼は静かに身支度を整えた。
「お前たちの言葉を完全には信じていない。だが……ミーア殿の涙が、私を動かしているのだ」
「……キザなことを言う」
カイが少しだけ笑った。
「私の力が、どこまで通用するかは分からないが……やれるだけのことはやろう。
お前たちは、これからどうする?」
「俺たちは、エステン北の森に戻る。仲間が待ってるからな」
「仲間か……」
その一言には、どこか寂しさが滲んでいた。
カイが真剣な眼差しで言う。
「グレーン、頼んでおいて勝手なことを言うようだけど……無理はするなよ。
王国内には教会派の影響が濃くなっているはずだ。誰がどこでつながっているか、分からないんだ」
「分かっている」
そして、馬小屋から一頭の馬が出され、グレーンはその背にまたがった。
月明かりの中、王城の方角へと駆け出していく。
その背中を、4人はいつまでも見つめていた。